STU48の『ヘタレたちよ』を聴いた感想

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「アイドルの可能性を考える 第六回 STU48 編」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。門脇実優菜推し。

楠木:今回は「STU48の可能性」がテーマです。このグループはまだまだ歴史が浅く語りやすいし、そこが現時点ではひとつの魅力と言えるかもしれません。『ヘタレたちよ』において、『暗闇』から続いた”夜”が一応は明けたように感じます。隠れていたものが明るみになった、と言えるかもしれませんが。グループに物語のようなものがうっすらと見えてきた。STU48が現在どのような可能性を秘めているのか。ではよろしくお願いします。

「アンダーグラウンドとしてのSTU48」

OLE:STU48を語ることは「空文」なんだよね。おそらくは。どれだけ論じてもそれが現実に向かって走っていかない。
島:アイドルの実力、楽曲のクオリティ、どちらも高いように感じますけどヒットしないですね。
横森:乃木坂のイメージの下でやっているから負けるんでしょ。
OLE:乃木坂のイメージなんてないよ。欅坂のイメージもない。あるのはそういうのを勝手にイメージして坂道を怖がっているファン、というイメージだね。
島:下敷きとしてはあったんじゃないですか。戦略としてファイルされた資料があって、それに従ってスタートした。でも実際に運営してみるとどんどん想定外の事態が起きる。それに対応していたら全然違うものが出来上がっていた、というのはよくある話ですよね。
楠木:STU48というのは秋元康の別荘ですよね。山と海に囲まれた別荘地で書かれる詩ですから、運営スタッフが資料として「乃木坂46」を用意してもそれとはまったく異なる詩的世界が差し出されるわけです。似せようにも似せられない。『暗闇』は乃木坂をイメージしてたらとてもじゃないけど書けませんよ。
OLE:STUの楽曲のクオリティが高いのは『暗闇』のおかげだよね。この曲が情報としての防波堤になっている。質が悪いのはここに打つかって押し返されちゃう。
横森:表題曲もカップリング曲も、どれも良い。知名度の低さに悔しさを感じてしまうくらい、素晴らしいラインナップ。
島:可能性を見出すとすればそこじゃないですか。良いものを記録し続ければ、今後ヒットしたときにあたらしいファンは過去の楽曲を掘り返して、自らどんどん引き込まれていきますよね。
OLE:シーン全体の勢いを見るに、そう悠長に構えてはいられないけどね(笑)。
楠木:まあそこを気にしても仕方ないかな。むしろ常に綱渡りのような緊張感のある情況に置かれていたほうが絶対に良いから。黎明期・成長期とはそういう魅力をもっているものだろうし。たとえば、このグループの作り手はアイドルと距離が近いですよね。高尚さがある、とは安易に言えないけれど、距離が近い分良くも悪くもアイドルと共に在るという姿勢が見えやすいというか、伝わってきます。グループアイドルの運営というのは要するに作家ですから、グループのイメージをまず生み出すのは彼らになるわけです。彼らのイメージを問うなら初期のAKBと近いですよSTUは。試行錯誤がそのままグループの現実の動向に反映されているように見える。
OLE:そういう意味ではファンの声の一つひとつがアイドルの可能性を開き得るとも言えるかもしれないね。
楠木:このグループの存在感ってまさにアングラですよね。石田千穂とか門脇実優菜沖侑果とか、吉田彩良とか、アンダーグラウンド・アイドルです。
島:でもSTU48はアイドルシーンのなかではメジャーですよね?
楠木:もちろん。文句なしにメジャーですね。
OLE:だから危うい。
楠木:そのとおりですね。作り手もアイドルも、おそらくはファンもアイドルの価値がどこに転がっているのか、いまいちあやふやになっている。瀧野由美子というひとは文句なしにメジャーです。乃木坂でもセンターをやれる器でしょうこのアイドルは。瀧野由美子本人の性質とは別に、瀧野由美子というアイドルはエンターテイメントですよね。大衆性があります。芸術家気質はあまり見えてこない。アイドルを演じている本人そのものの資質を問うと彼女には「美」がありますから、これは芸術家気質に数えられる。けれど「アイドル」の動かし方を考えると大衆性に応答するエンタメ・アイドルですよね。メジャーの地平で渡り合えるアイドルということになる。一方でその後ろで踊るアイドルはアングラにしか見えない。ここですね問題は。
横森:瀧野由美子がSTUで一人だけ浮いて見えるのは、彼女だけメジャーアイドルだからなんだよな。
島:僕はすでに知識として備えていますが、あらかじめ誤解を防ぐために言いますが、それはアマチュア、素人とは別なんですよね。
楠木:もちろん。困ったことにアンダーグラウンドというのはアマチュアと混同されがちです。THA BLUE HERBなんかはそれをそのままテーマにして一本曲を書いているけれど、そういう誤解が生まれてしまうのには理由があって、アングラを名乗るアマチュア=素人があとを絶たないからです。自分のやっていることで飯が食えない素人が、メジャーで食ってる奴らに嫉妬して、俺はアンダーグラウンドだ、って威勢を張る。でもそれはニセモノの思い上がりなんですね。その職業で食えていないのであればそれはアンダーグラウンドではない。ただの素人です。アンダーグラウンドというのは、乱暴に言えば、過剰な芸術家気質を持ってしまったばかりにオーヴァーグラウンドつまり大衆に理解されることに怯える人間のことです。
OLE:まあそこまで厳しく選別してしまうとアングラが絶滅しちゃうけどね(笑)。アングラというのは、たとえば音楽をやっている場合、要するに24時間それを考えていられるのかが条件になる。パートタイマーみたいに「時間」を決めてやってるようなのはメジャーとしてはあり得るかもしれないがアングラではない。また言うまでもなく、メジャーとアングラどちらが上なのか、という話題でもない。
楠木:そうですね。STUで言えば、瀧野由美子、石田千穂どちらにも魅力はあるわけです。しかし立っている場所が違う。じゃあ我々ファンはどちらを向けばいいのか、と。迷子になる。メジャーというのは作り手の自由が効かない。その代償として公衆からの歓呼、抱擁がある。逆にアンダーグラウンドはなんでも自由にやれる。しかし大衆とは無縁をつらぬくことになる。どちらを取るかは作家次第です。
島:アングラとしての魅力が爆発したのが『独り言で語るくらいなら』ですね。これ、あの衣装を着てあの踊りを作れるのはSTUだけですよ。
横森:でも全然反響しないよね。ユーチューブとか、全然回らない(笑)。まあ俺もほとんど観ないんだけど、ユーチューブ。
OLE:あれは大衆性を計測するツールでしょ(笑)。アングラじゃ回らないよ。作品の質とはまったく関係ない話題だ。
島:ユーチューブの再生回数で作品の良し悪しを見る風潮ってなんなんですかね、あれ。
OLE:そりゃあ、大衆っておバカだから(笑)。バカについて考えても仕方ない。人生はそこまで永くないよ。
楠木:大衆への反抗みたいなのを歌った『サイレントマジョリティー』が大衆から絶賛されましたよね。あるいは気を引いた。これはアイロニーですよね。自分たちへの反動を直截に歌っている、しかし自分はその大衆側に立っていない、と無意識に思い込んで絶賛したわけです、大衆が。この構図ってそのまま平手友梨奈と大衆の対峙に引用できてしまう。大衆というのは、常に自分が少数派、精鋭のような存在だ、と錯覚しているわけです。これは投資・投機を見ればわかりやすいですね。大衆は常に損をする、と誰もが情報として取得している。みんながみんな勝てるわけないですからね。だからトレードの際に彼ら彼女らは自分は特別だ、負けるはずがない、と確信して注文するわけです。だから必ず負ける。まず、いま自分がどこに立っているのか意識しなくちゃならない。
OLE:STUはアンダーグラウンドとしての存在感を発揮したほうが乃木坂と張り合えるんだよな。AKBはそれをやるにはもうちょっとね、大きくなりすぎた。
横森:そういう意味ではイコールラブはバランスが良いよね。
OLE:そうだね。指原莉乃の頭が良いんだよ、やっぱり。
島:指原莉乃が残っていたらまた違ったでしょうね。迫力がありますからね、彼女。
横森:まあ良くも悪くも今とは違うアイドルグループになっていただろうね。
楠木:そのへんはよくわからないけど、はっきりとした岐路は『大好きな人』だろうね。あれで「全員選抜」をやったでしょう。選抜制を採用しているグループで「全員選抜」は絶対に手を出してはいけない禁断の果実だよ。「選抜」の価値が下がるからね。だれもが手に入れた、ということは、だれもが失った、という意味である、と言った歴史作家がいたけれど、まさにそれをやってしまった。これ、アイドルに寄り添ったのかファンに寄り添ったのか、わからないけれど、これはメジャーでもアンダーグラウンドでもなく、アマチュアの発想ですね。
OLE:「選抜」を目標として日々精力的に運動するアイドルからすれば、それをはじめて手に入れる瞬間の感動を剥奪されたわけだから、キツイよね。
楠木:与えられた境遇のなかで何をやっても「アイドル」として売れない、つまり芸能人として先がまったく見えない、という情況にグループがあるなかで、「選抜」の価値すらも引き下げられてしまった。こうなるともうただの素人集団へと突き進んでしまう。矜持を育む環境にないわけです。
横森:しかも似たようなことを『思い出せる恋をしよう』でも繰り返しているんだよね。期別で歌唱メンバーを構成するって、なんだかすごく中途半端なことをやってる。
楠木:『思い出せる恋をしよう』を眺めれば、ファンならだれでも世代交代を確信するよね。でも実際にはそうならなかった。このへんにやっぱり作り手の内に宿っているあやふやさが出ているように感じてしまうな。価値の問題って、顕在化するまでにラグがあるからね。世代交代でやはりこのグループは失敗するんじゃないかな。

「『ヘタレたちよ』を聴いた感想」

横森:新曲、どう?
島:良いと思います。最近発売されたアイドルポップスのなかでは一番聴ける。
OLE:これ、カタルシスがあるよね。
横森:MVにもストーリーがあるよ、ちゃんと。
楠木:石田千穂が焚き火をぼーっと眺めてるところとか、凝ってるよね。
OLE:全体的に、なんだろう、過去を掬い上げているのかな。
楠木:たしかに、その表現がピタッとくるかもしれない。
横森:映像手法としてのクリッシェがあるんだよこれ。過去を思い出せるような仕掛けがある。
楠木:『暗闇』と世界観が地続きになっている、というよりも、『暗闇』がしっかりと再利用されているんだね。デビューシングルに「暗闇」を置いてしまった不吉さみたいなものと、その不吉さの結実を利用できている。
OLE:これこそ作り手とアイドルの共闘じゃないの?一緒に闘おうとしているように見える。まあこれは歌詞が良いんだろうけど。
楠木:一番のサビの歌詞が良いですね。
島:これは『ってか』みたいなノリとは全然違いますよね。戦略性を破棄しているというか。熱いものがある。
OLE:『ってか』とは比較にならないくらい良いよ。歌詞も映像も。
楠木:過去に抱いた熱誠を呼び戻そうとしているんですよ作家が。それが歌詞にしっかりと反映しているわけです。熱意を伝えるのってむずかしいですからね。これは成功でしょう。
島:これは見方によっては『僕らの春夏秋冬』ですよね。
楠木:なるほど。
横森:巡り合わせというのは絶対にあるよね。『僕らの春夏秋冬』を作らせたアイドルがSTU48に存在するのは確かでしょ。結果的にしろ。傑作への原動力が存在する。立仙百佳がそれなんじゃないかなっておもってる。
楠木:でも、あなた、推しは門脇実優菜でしょ。そこは門脇実優菜って言っておかないと……。
横森:それとこれとはまた話が違う(笑)。
OLE:原動力ってことなら、このグループの楽曲の平均点の高さみたいなのはもしかしたら岡田奈々かもしれない。彼女は今作でグループから去るらしい。これはメルクマールになり得るんじゃないか。次作でもしクオリティが著しく引き下げられてしまったら、それは岡田奈々の影響だ、と。
横森:でも岡田奈々ってあくまでも私はお客様、他人だよってのをアッピールしているよね。
OLE:そうかなあ。
島:岡田奈々のあの髪色は自分はここにいる少女たちとは別の人間だ、他人だ、という意思表示なんですよ、きっと。だってMV撮影時くらい染めようと思えば染められるわけでしょう。でもそれをやらない。
OLE:ミュージックビデオを見るとき映像作家のその世界観の質だけで作品の質ははかれないよね。出演するアイドルは誰でもいいなんてことは絶対にありえない。作品の構造さえ同じであれば、出演者が誰であろうと同じような評価を得られるのか、と問うならば、考えるまでもなく、得られない、と両断できる。アイドル=演者が異なるならば、間違いなく評価も様変わりする。『サイレントマジョリティー』をAKB48がまったく同じライトの下で撮影してもあれだけの成功を収められたのか?まあ不可能だろう。あの20人とあの作家だったから起きた奇跡なんだ、あれは。どちらかが欠けてもダメ。説くまでもない。であれば、岡田奈々がSTU48の作品に登場していることにも意味がかならずあるわけ。なら髪色に意味を見出そうとするのはあまりにもくだらないでしょ。語るべきは、岡田奈々がそこに「在る」のかどうか、だよね。
楠木:霊験あらたかな人、ということなんでしょう、彼女。AKBで見るよりこっちで見るほうが僕は好印象なんだよね。グループによってアイドルの見え方が変わる、ということを教えている。

「瀧野由美子はなぜダンスが上達しないのか」

島:瀧野由美子のダンスは相変わらずですね。
横森:この話題いつまで経ってもクリアされないよね。
島:踊りに関しては強いアイドルが揃っているグループですよね。仲間内で改善されてしかるべきだと思いますけど。それでも改善が一向に為されない、ということは根深い問題なんでしょうね。
OLE:背が高いってのもまあ要因としてあるんだろうね。ほら土生瑞穂とか、あの子もダメでしょ、ダンス。
楠木:歩幅ですよ。ダンスとか演劇って歩幅なので。
OLE:歩幅って直せないの?
楠木:字と同じですね。捉え方は。
横森:楠木君はね、名のある書道家に自分の後継者になれって本気でせがまれたことがあるくらい字がお上手だから。ホテルの宿泊カード、あれに名前とか住所書くとさ、フロント係の子によく驚かれてる。
楠木:「字」というのはみんな才能だとおもっていますよね。字が下手な人って、自分には生まれ持ったセンスがないんだ、と決めつけて諦めている。僕なんかもともと字なんて大して上手くなかった。下手な方でしたよ。でもこれじゃ格好悪いな、と。それで字を書くときは上手い人の字を真似して書く、というのをやっていたら上手くなった。それだけなんですね。才能なんてないですよ。感覚で言えば絵の模倣とおなじです。
OLE:それを才能と言うんじゃないの(笑)。
楠木:いやいや、これうまく言葉で説明できないけれど、真似すればいいだけなんです。再現しようとすれば。思考なんですね、字って。センスって捉えてしまうともうそこから上手くならない。人って考えることで成長するでしょう。ダンスもおなじですよ。踊りというのは言語で出来ているから、つまり思考ですよね。ダンスや演技は感覚だ、なんて考えているひとは、成長しないでしょうやはり。だって感覚なんだから、それって持って生まれたものでしょ(笑)。研ぐことはできる、でも伸ばすことはできないよ。
島:瀧野由美子はおそらく自分のダンスをヘタクソだって貶す人間の声に負けてしまったんでしょう。自分のダンスが下手だって考えて練習する人間は上達しようがない。
楠木:またこれは話がズレるけれど、目標とするものがそもそもダサかったら上手くなりようがない。瀧野由美子はもしかしたらなにかすごく変わったダンサーを見本としているのかも。ここはセンスが求められます。変なものに憧れてしまったらもう取り返しがつかない。
横森:ただサイズの違いがあるでしょ。たとえば門脇実優菜の動きをサイズ感無視して再現したら滑稽な踊りになるよね。要するに真似を実行するのにもセンスがいる。
OLE:まあもし真似するなら石田千穂が良いんじゃないの。バランスが抜群でしょ彼女。身体の動かし方がしなやかだよね。
楠木:考えて動いているんですよ。真似をするというのは思弁と動作の一致ですよね。石田千穂の場合は、はじめから思弁と動作が一致している。あれこそ才能だと僕は思うんだけどな。
島:石田千穂さんって人気ありますよね。でもいまひとつ魅力がわからない。
楠木:このひとは不思議ですね。だんだん粗が見えてくる。普通は見れば見るほど良くなっていくあるいは良く感じてくるのがアイドルなんだけど、彼女は逆です。だんだんと弱くなる。希求力が減衰していく。日常の演技が上手いということなんだろうけれど、しかしそれが維持できないという(笑)。もし維持することができていたら生田絵梨花になれていたかもしれない。いずれにせよダンスは別格に上手い。
島:参考書を選ぼうとするとSTUは贅沢に悩めますね。
OLE:参考書ってことなら門脇実優菜だろうな。やっぱり。
楠木:抜きん出ていますよね。踊り子ですよ、彼女。踊り子と形容できるアイドルって門脇実優菜と横山結衣くらいですか、今は。つまりアンダーグラウンドですね。たとえば『誰のことを一番 愛してる?』を踊っても滑稽に映らないのは平手友梨奈と門脇実優菜くらいですよね。オリジナルでは宮脇咲良、松井珠理奈はもうすでに滑稽だったし、SKEとかほかのグループの公演で披露され続けいてる楽曲だけれど、どれを眺めても滑稽です。
OLE:門脇実優菜のダンスというのは「白石麻衣」だよね。齋藤飛鳥遠藤さくらみたいな飛び抜けた高級さ、高貴さはないが、極めてテクニカルであり、メルクマールとして機能している。これは白石麻衣の美と同じなんだ。白石麻衣の美というのは、「個人」ではなく「大勢」を説得させる美だと思う。正直、個人的には可愛いとは思えないんだよね、白石麻衣。でもまわりの連中が絶世の美女だと口をそろえて言うわけ。で、そういう情況に置かれちゃうと反抗したくなるよね、どうしても。けれど白石麻衣に限っては、まあたしかにそうだな、と。妙に説得させる力があるんだな、彼女の美には。自分は可愛いとはおもわないけれどそれは好みの問題であって大多数の人間はこのアイドルのことを可愛いと思うはずだ、という結論を出せてしまう。それが白石麻衣の凄みなんだけど、門脇実優菜のダンスもこれとおなじ説得力がある。大衆を屈服させるんだね。
楠木:今回、あらためてSTU48のアイドルの踊りを一人ずつ眺める時間を作ってみたけれど、瀧野由美子はそこまで酷くはないんですね。実は。センターとしてはどうか、となるとやはり物足りないように感じるけれど。STUの1期とドラフト3期は基本的にダンスは平均より上にありますよ。門脇実優菜が頭ひとつふたつ抜けているのはたしかです。ここを基準にして語るべきであるってこともわかる。じゃなきゃ伸びないですからねグループが。そういう意味でも門脇実優菜はメルクマールなんでしょうし、存在理由がはっきりとしています。レゾン・デートルの明確なアイドルはやはり強いですよ。ただ石田千穂とか今村美月もかなり良いですよね。もう辞めちゃったけど磯貝花音も良かった。あとは峯吉愛梨沙とかもね。かなりレベルが高いし個性がある。まあこれは順位闘争をやって、それで生き残ってる連中だから当たり前ですけど。問題は2期ですね。これがもう笑えないくらいみんなヘタクソです。グループの得物をダンスってことでやってきたのに2期がこれだと早々にイロを変えなくてはならないだろうね。それか3期ですか。3期に期待するしかない。2期で踊れない子は今後かなり厳しい局面に立つはずです。それくらいパフォーマンスが酷い。もちろん全員ではない。何人かはボーダーをクリアしているようにおもうし、テクニカルな部分ではなくてステージ上での存在感みたいなもの、言葉では説明が容易にできないもの、を持っているアイドルもいる。原田清花とかね。ただどうだろう、全体を眺めると救いようがないように思える。不遇の2期、ではなくて、不作の2期ですね。STU48は。

「STU48・2期生の可能性」

島:僕は2期生のことをほとんど知らないのですが、情報としてざっと眺めただけでも、これは、と思うような子が一人もいません。不作と言われたら確かにそのとおりだなと思ってしまいます(笑)。
OLE:不遇というのは辞書通りに解釈すると、人気・実力がないと成立しないんだよな。アイドルの場合は「箱」の知名度が抜群にないと不遇ってのは絶対に成立しない。乃木坂の2期が「不遇」を成立できたのは1期のおかげだよね。1期のおかげでグループが売れて知名度が上がったから、その知名度のあるグループの中に素人のような子たちが混ざっている、見方を変えれば、才能豊かに見える少女が素人のまま放置されている、と。だから不遇が成立した。STU48の場合は、「箱」の知名度が低いし、少女たちに才能があるようにも見ない、だからただの素人にしか見えない、と。
楠木:アイドルのキャリアを眺めると、何もないんですね。物語=フィクションがどこにも作られていない。フィクションが作られていない、というのは要するに演技がない=「アイドル」がない、ということです。
横森:醜聞しか無い(笑)。
島:最近、アイドルのスキャンダルが多いじゃないですか、まあ最近ということでもないんでしょうけど、どう感じていますか。
OLE:捉え方はまあ自由だよね。ただあたらしい発見はもうないよね。感情の反復横飛びだから。
楠木:スキャンダルに大衆が怒るのは、アイドルが「アイドル」に真面目になっていないのに、自分たちファンだけが真面目になっている、という構図が浮き彫りにされるからですよね。これはまあ現実の恋愛でも仕事でも同じですね。自分の熱量に対して相手の熱量が見合ってなかったらがっかりするというか恥をかかされたとおもってしまう。つまり怒りがうまれるわけです。アイドルの存在理由を考えると、ファンを怒らせる、というのはあまり褒められたものじゃないですね。破綻しています完全に。
横森:ファンを夢から覚ますのはアマチュアだよ。まあスキャンダルは2期に限った話ではないんだけど。
楠木:猫って夢と現実を区別できないよね、きっと。夢で見た光景は現実での出来事だし、そもそも「現実」のほかに認識できる世界がないから「現実」もないわけだ。無意識の思い込みというか、そうした確信をアンコンシャスと言う。成功するアイドルってこのアンコンシャスがあるんだよね。最近なら、遠藤さくらは言うまでもなく、丹生明里とかね、彼女もアンコンシャスでしょ。STUには一人もいないかな。
島:でもそういうモノへの反抗ですか、人生の大事な部分をかけて打ち込んできたものをみずから砕くような、そういう瞬間にスリリングを感じるというのも一方ではあるようにおもいます、僕は。ダンスとか演技とか、みんな練習するときは必死でしょう?そういう積み重ねをみずから砕く衝動には生彩があるように感じます。
OLE:甲子園の優勝ピッチャーがインタビューで「野球はただのお遊びです。そんな大騒ぎするほど立派ものじゃないですよ」と涙している観客に向かって言い放つような、抑圧に対する解放だね。
楠木:観客と選手の感動というか、真面目さですか、そういうのは別に一致する必要はないんですよね。どちらもふざけてしまえる。コンテンツの価値を貶めることができるってのは何も観客だけの特権ではないわけです。そしてそういったフィクションのような転向を現実でやってしまったのが須藤凜々花なんです。つまり須藤凜々花の物語が生じてしまった時点で、正直に言ってもうアイドルのスキャンダルって語るべき余地が残されていないわけです。 
横森:2期の問題って、もうなにをやってもアイドルとしては大成しないと本人たちが確信している点だよね。
OLE:もっと深刻なのは、仮に本人に向上心があっても、その夢は叶わない、という現実がはっきりとあるところだよ(笑)。そういう意味じゃたしかにアンダーグラウンドVSメジャー、ではなくてアンダーグラウンドVSアマチュアだね。今後STUがアンダーグラウンドとしての魅力を発揮したときに、この子たちはその中で素人=アマチュアとして浮き彫りになってしまう。
島:アンダーグラウンドVSアマチュアの問題に還元するなら、実力さえあればいいわけですよね?
OLE:そうだね。でもないよね、肝心の実力が。
島:成長の可能性、みたいなのは見込めないんですか?この子たちは。
楠木:2年やってこれだと、おそらく才能がないんでしょう。個人的な好悪は脇に置くとして、才能を感じるアイドルを探るとすれば、立仙百佳、このひとはステージの上で表情が輝く。才能があるようにおもう。あとは同じ理由で原田清花。このひともステージの上で強いでしょう。テクニカルな問題を無視できる、センタータイプだね。ほかにも逸材感みたいなのを放つアイドルがいるにはいるんだけど、真っ直ぐに伸びてこなかったね。
OLE:逸材と言ってもそれは「批評」としての、だよね。たとえば遠藤さくらと並べてみて、同じ逸材だ、とはならないよね。酷かもしれないけど役者が違う。
楠木:もちろん。アイドルの批評を作ろうと考えるとき、そういうアクチュアルな面、ビビッドな面をどこまで取り入れるかという問題が出てきます。遠藤さくらを基準にして「逸材」を準備すると、これはもうクリシェと径庭する。しかし文章を書くとなると形容は必要ですよね。クリシェを迎え撃つ覚悟で「逸材」と置くわけです。ただ、乱用するものと、乱用を避けるべきものはしっかり区別しないといけない。「逸材」は乱用しても問題ないでしょう。一方で「純潔」、これは乱用を避けるべきです。
横森:佐々木琴子とかね。
楠木:そう。スキャンダルに話を戻すと、アイドルを演じる少女、と書くわけですから、アイドルではない場面も当然描き出そうとしているわけですこっちは。ただ、物語として語る、という前提がある以上むずかしいんですね。興を削ぐような文章は避けるべきで、アイドルにもそれぞれ「私」があるのは考えるまでもなく当たり前のことだし、あるふたりのアイドルの「私」のあいだに差異があるとき、それは情報として知っているかどうかに過ぎないわけです。じゃあ知っているだけ書くべきなのか、考えるまでもなくそんな安易な行為はほかにない。情報の羅列ほどつまらないものはないでしょう?
OLE:「私」に踏み込みすぎるとゴシップ記事に成り下がるからね。
楠木:ゴシップ記事というのは一回読んだらそれでオシマイです。文学ではないですよね、当たり前ですけど(笑)。つまりバランス感覚というか、物語を作ることへの意識を常にもたないとダメなんですね。アイドル評論家で、アイドルのスキャンダルへと傾倒して妄想を爆発させた人がいるけど、あれも要するにバランス感覚の欠如です。スキャンダルにふれることがアイドルのリアルとか真実とか素顔に到達するためのもっとも有効な方法だと考えるのは浅薄なわけです。それがもし有効ならば、フィクションというのはノンフィクションに敗北し衰退しているはずです。しかし実際にはフィクションがノンフィクションを遥かに凌いで隆盛を誇っている。3.11の津波動画がインターネット上のあらゆる動画サイトにアップロードされたとき、フィクションの終わりを告げられた、と嘆いた作家がいたけれど、結局そんなことは起きなかった。それはやはり、人間というのは現実よりもフィクションの中から真実を拾い上げることのほうが遥かに得意で好物だからです。ノンフィクションというのは基本的に退屈でつまらないですよね。とくに凡庸な作家の場合、安易にスリルを売りにするけれど、まったくスリルがない。それは書き手と読み手、共に想像力を試されないからです。
OLE:スキャンダルなんかよりもよっぽどおもしろい話題がアイドルというコンテンツ=フィクションの中に落ちているんだよね。

 

2021/10/03  楠木