STU48 瀧野由美子 評価

STU48

瀧野由美子(C)別冊カドカワDirecT 06/KADOKAWA

「アナクロニズム」

瀧野由美子、平成9年生、STU48の第一期生であり、初代センター。
やや
クセを抱えた声音、成熟したビジュアル、ふてぶてしい面構え、感情の起伏を洞察し易い仕草は道半ば倒れる仲間の後姿をつよく見つめ、そこからもう一度光りのある方へ向き直る姿勢をファンの前で惜しげなく描く。この日常の勇猛がライブステージの上では求心力に塗り替えられる…、デビューした段階ですでにセンターポジションという役割を担うことへの必然性を満たす要素の数多くを顕在化し、そのひとつひとつがファンに鮮烈な印象を与えている。まさに「大器」と形容するに相応しいアイドルと云えるだろう。彼女は乃木坂46が標榜する”リセエンヌ”的な清楚ではなく、”セーラー服ともんぺ”といった古典的な清楚を抱えており、作詞家・秋元康の創り出すノスタルジックな詩的世界への浸透力がきわめて高く、郷愁的なアイドルと呼べる。岡田奈々の具える、他のアイドルを末端的登場人物へと追いやる風姿にも圧倒されることなく共存を可能にしている点も看過できない。この逸材が他のアイドルグループでメジャーデビューすることなく瀬戸内で「胎動」していたことは、STU48にとって、ファンにとって、奇跡との遭遇と呼べるのではないか。ただし、日常の立ち居振る舞いのなかにアイドルとしての「鮮度」を損なうような場面も多い。この点は残念に感じるものの、それは彼女が昭和の町を再現したジオラマ世界から飛び出して来たかのようなアイドル像=アナクロニズムを作り上げていることの代償なのかもしれない。つまり、「美」こそ瀧野由美子というアイドルのアイデンティティである、と扱う批評展開を回避するのはむずかしい。表現の分野では貧弱さを隠しきれないが、彼女にとって、アイドルを演じることへの命題は演劇の範疇にない。彼女の命題とは、「瀧野由美子」の美がアイドルという虚構の中でどのような悶えをみせるのか、という点にある。鑑賞で満たされるだけの美ではなく、青春犠牲、日常の喪失、現実と仮想の行き交い、それらの過程で否応なく遭遇する幻想や妄執を抱きしめ、叫びを圧しころし、ボロボロになりながら儚さの獲得に踏み込めるのか、AKB48からつづくグループアイドル史のなかで主人公とされる少女たちの背負った業、それが彼女の前にも立ち現れるのではないか。

STU48のコンセプトには「瀬戸内から、AKB総選挙1位を出そう。」という見出しがあるようだ。なるほど、瀧野由美子ならば実現するのではないか、と憧憬を描く。悪鬼が跳梁する舞台を、唾棄すべき惨状を古典的で正統さを抱えるアイドルが一掃する英姿(物語)は観るものにカタルシスを与えるはずだ。もちろん、瀧野由美子は長編小説の書き出しをたった今書き終えたばかりである。しかしガルシア・マルケスは云う。「長編小説は書き出しですべてが決まる」と。純文学作家の綿矢りさは、芥川賞を獲った作品「蹴りたい背中」の書き出しの2行を書くのに1年という時間を要したと聞く。瀧野由美子もデビューから1年、彼女の物語の書き出しも、文句なしの一行を書けたようだ。あとは重厚な物語をファンの前に描き続ければ良い。ファンは、それを注意深く見届ける必要がある。

 

総合評価 72点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 13点

演劇表現 11点 バラエティ 16点

情動感染 16点

STU48 活動期間 2017年~

2020/01/09  ライブ表現 12→13

評価点数の見方