STU48 瀧野由美子 評判記

STU48

(C)STU48 瀧野由美子1st写真集 twitterアカウント

「AKBグループ最後の逸材」

瀧野由美子、平成9年生、STU48の第一期生であり、初代センター。
いまのところ、AKBグループ最後の逸材であり、前田敦子松井珠理奈の系譜に立つ最後の主人公。前田や松井が育んだ”不動のセンター”というイメージに結合されアイドルを立ち上がらせた生駒里奈平手友梨奈と同様に瀧野由美子もまたグループの立ち上げに際し不動のセンターとして、作り手の輿望を担っている。
ひとりのアイドルに一つのアイドルグループの書き出し、その一歩を踏ませる、という決断は、少女の内に他を圧する才能が秘められていることを確信しなければ、できないだろう。STU48・瀧野由美子の内にその「確信」を探るならば、おそらくそれは、ビジュアル、にほかならない。
とにかくこの人はビジュアルがずば抜けて良い。モデルのようにスラリとしていて、女優のような郷愁的な容貌をそなえ持ち、しかもそうした神秘的雰囲気を裏切る、何者にも左右されまいとする意思の強さを伝える、ふてぶてしい面構え、クセのある声音、感情の起伏を洞察し易い仕草、つまり素顔の荒々しさを大胆に提示するアイドルで、それはもちろんファンだけでなく仲間のアイドルにも向けられる。たとえば、志半ば倒れた、夢に破れステージ上で唐突に卒業を発表する同期のメンバーに対し、瀧野は躊躇なくその憂い顔を睨みつける。言葉どおり、STU48の旗手であり、デビューした段階ですでに「センター」を担うことへの必然性を満たす要素の数多くを顕在化し、そのひとつひとつがファンに鮮烈な印象を与えている。
ゆえにこの人は、アイドルの成り立ち、そのビジュアル、その佇まいから、AKBと坂道のハイブリッド、を想わせる。清楚にあふれたビジュアルをそなえているけれど、それは乃木坂46が標榜するリセエンヌ=お嬢様感としての清楚とは異なり、セーラー服ともんぺ、といった、昭和の町を再現したジオラマ世界から飛び出して来たかのような、時代錯誤、郷愁的清楚である。ゆえに、作詞家・秋元康の創り出すノスタルジックな詩的世界、ともすればアナクロでしかない詩情への浸透力がきわめて高い、生命感のつよいアイドルが眼前に姿を現す。
若者の(作詞家・秋元康の想う若者の像、という意味だが)、流行りの文言を用いてみたり、その意味を解釈するために青春の扉をひらき、自己を成長させた青の時代に還り、青春の反復を試みるという、時代錯誤でしかない秋元康の詩作・詩情を瑞々しく感じるとすれば、やはりそれは作詞家の代弁者として歌い踊るアイドルの内に、時代の流れに逆らうような佇まい、があり、かつそのノスタルジーが活力を横溢するから、なのだが、こうした発想に鑑賞者を導くのが瀧野由美子であり、それが彼女の魅力に相違ない。
この逸材が他のアイドルグループでメジャーデビューすることなく瀬戸内で「胎動」していたことは、STU48にとって、ファンにとって、まさしく奇跡との遭遇と呼べるのではないか。グループ立ち上げ当時、メディアにおいて喧伝されたSTU48のコンセプトの一つに、「瀬戸内から、AKB総選挙1位を出そう。」というものがあったが、当然これは瀧野由美子を眺めた作り手の確信が最も強く鮮明に現れた一文と見なすべきだろう。
AKBグループのファン、坂道シリーズのファン、どちらも虜にし得る登場人物、換言すれば、AKB的魅力のなかで坂道的魅力を発散するアイドルであり、事実、AKB48の現センターの名前は知らないけれど、瀧野由美子のことならば知っている、と話す坂道ファンは多い。またある日、あるひとつの偶然をきっかけにして日向坂46のファンの多くを懐に引き寄せるなど、瀧野がAKBと坂道の垣根を越えた活躍を見せたことも記憶に新しい。

しかるに、生駒里奈、平手友梨奈と並びグループのアイデンティティ、色づかいを決定的にした登場人物として銘記されるどころか、エースの座を石田千穂に奪われ、ただルックスが良いだけのアイドル、作り手に優遇されただけの実力のないアイドル、というイメージに落ち込んでしまった。
瀧野由美子が”だめ”になってしまった理由を探るならば、それは5枚目シングル『思い出せる恋をしよう』において描かれた、若手アイドルとの青春の交歓を通した世代交代劇にあるのではなく、また
6枚目シングル『独り言で語るくらいなら』において石田千穂にセンターの座を奪われたことに端を発するのでもない。瀧野由美子が”だめ”になってしまったのは、欅坂46の下部組織にすぎなかったけやき坂46が坂道シリーズの新グループとして「日向坂」を冠し小坂菜緒を先頭にデビューしたことに応じた作り手が、メジャーデビューシングル『暗闇』をもって作り上げたSTU48のイメージ、存在感、空気感のすべてを転覆させ、2枚目シングル『風を待つ』において、グループの売りを「ビジュアル」から「ダンス」へと転向したからである。
この人は、踊れない。いや、アイドルシーン全体を見渡せば、平均的、ではあるのだが、ことSTU48にあっては、しかもそのセンターで踊るということであれば、ひどく鈍重、滑稽に見え、悪目立ちする。
瀧野と同期であるSTU48の1期にはシーンにおいてトップクラスの踊り手が揃っている。今村美月大谷満理奈磯貝花音門脇実優菜石田千穂など、枚挙にいとまがなく、この少女たちの才能を活かすことが日向坂への迎撃であり、STUの飛翔につながると確信した作り手によって企図・制作されたのがダンスを主題に置いた『風を待つ』であり、2枚目シングルにして早くも瀧野は、センターに選ばれるもグループの方針、アイドルの作り方、から遠く置き去りにされてしまうという運命の矛盾につかまってしまった。
後日、脅威と目した日向坂46の、ファンの多くを魅了したのが門脇実優菜でもなく石田千穂でもなく瀧野由美子であったことはなんとも皮肉的としか言いようがないのだが(AKBグループに所属するアイドルが坂道シリーズに没頭するファンに歓迎されるというのは、後にも先にも、この瀧野由美子だけだろう)、裏を返せば、それだけこの人に坂道的魅力つまりビジュアルをもって多くの人間を虜にするというアイドルの古典さがそなわっており、”坂道”と食い扶持を奪い合ってしまうことを避けようとした作り手の意識が浮き彫りにされる。

現在のSTU48を眺めるに、このグループは踊りのなかでアイドルを物語る、踊りを通してなにかを表現する、伝える、ということに注意を打ち込むアイドル集団であり、石田千穂をセンターに迎えた『独り言で語るくらいなら』以降は、演劇の風にも吹かれつつあり、ダンス、演技のいずれも不得手とする瀧野由美子はより一層小ぶりに映る。STU48と聞けばまず瀧野由美子の横顔を想起するし、瀧野由美子と言えばSTU48を代表するアイドルだという共通認識があるのは間違いないが、ではSTU48というアイドルグループの特色、STUがSTUたり得ることの”しるし”つまりアイデンティティを問うならば、そこに瀧野由美子の面影を見出すことは困難をきわめる。ビジュアルという、生まれ持った才能、本来アイドルを大きく飛翔させる資質がほとんど活かされない事態、前にも後ろにも道がないという状況に追い詰められたとき、アイドルがどのような表情を描くのか、という意味では尽きない関心があり、やはり興味深い存在ではあるのだが。

 

総合評価 63点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 7点

演劇表現 9点 バラエティ 16点

情動感染 16点

STU48 活動期間 2017年~