乃木坂46 生駒里奈 評価

生駒里奈(C)中田智章/spice

「希望があるところには必ず試練があるものだから」

生駒里奈は乃木坂46のオープニングメンバーであり、初代センターである。
前田敦子の純粋な継承者は松井珠理奈でも生田絵梨花でもなく、生駒里奈だろう。もちろん、グループアイドル的連なりやイデオロギーの継承ではなく、青春犠牲を受け入れる”定め”という意味で。生駒里奈は有徳な人物であるが、功労者よりも、到達者という印象のほうがつよい。乃木坂46に所属する少女たちがアイドルを演じるにあたり、虚構の必要性を自覚し、そのもうひとつの別の世界へ踏み込む”きっかけ”を彼女たちにあたえたのが生駒里奈である。彼女は常にグループの矢面に立ち、クリティークの的となった。仲間でありライバルでもあるアイドルたちの一歩先をあゆみ、迎え撃つ試練を打倒し、あるいはそれと相討ちになり、おくれてきた仲間には希望の存在だけをみせた。やはり、到達者と云ってよいだろう。

グループにおいて、他の追随を許さない求心的な主人公感を具える生駒里奈はビルディングスロマン型アイドルと呼べる。ビルディングスロマンを日本語に訳すと、自己形成小説、成長小説、教養小説となる。教養小説とは、トーマス・マンの小説が代表するように、主人公の内面が様々な経験を経て成長をする物語、とするのが通説である。まさにアイドル・生駒里奈の成長物語こそ、ビルディングスロマンと名付けることが可能だが、彼女が放つ”主人公感”には独特な異物感があり、トーマス・マンの書く主人公の毛色とは少し異なる。文体と描写の違いと表現すれば良いか。生駒里奈の際立ったエモーショナルは、彼女の存在そのものをヴァルネラブルの境域へと、読者の潜在意識を誘導する。その結果、安易に内奥を吐露している人物として映るのだから、ファンは生駒里奈のことを良くも悪くもわかった気になってしまう。しかし、人間の心とはそんなに浅いものではない。彼女はビルディングスロマンでありながら無理解や誤解を抱える倒錯した登場人物であった。

”本来”の生駒里奈は、トーマス・マンではなくヘミングウェイに近い。彼女の物語はヘミングウェイの文体のように徹底的に感情が抑制され、研ぎ澄まされ、洗練されており、「どうしてもそこで生きる人間に不本意な妥協を強いる世間において、懸命に、ごまかしなく、しかも誇りを守り抜こうと闘う果敢さ」を抱えた「ハードボイルド」に映った。境遇に振り回されながらもグループアイドルの”主人公”として屹立し、闘争との対峙を隠さない姿勢が異端児と扱われてしまう点は松井珠理奈と共時している、と云えるだろう。(*1)

いままで、かれの作品では、否定のあとに開けられた空洞を、もっぱら肉体的情念で埋めていたのですが、この作品ではそれが精神的に肯定されることによって、倫理への通路が開かれているようにおもわれます。 しかも、そこにはなんの感傷的な抒情もなく、ハードボイルド・リアリズムは手堅く守られており、眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまいと決心しているようです。

福田恆存 / 老人と海の背景

君の名は希望以降、生駒里奈を主人公とした乃木坂46の物語は彼女そのものを”端境期”に扱い、生駒里奈という中心軸から放たれた少女たちの物語は群像劇へと傾倒して行く。その群像劇のなかで描写される”生駒里奈”は「眼に見える外面的なもの以外はなにも描くまい」と堅く「決心しているよう」に映った。彼女の「感傷」が多少なりとも覗えたのは”卒業”決定後に制作された『Againstくらいではないだろうか。『Against』において、自身の存在理由、自己をもっとも的確に表現できる手法の模索への、とりあえずの回答が示されたことは、現代アイドルにとってひとつの到達点にタッチしたと評価できる。そして、その段階で物語がぶつ切りに終わってしまうのもまた、ヘミングウェイの短編小説のような読後感を読者に与えるのである。(*2)

 

総合評価 80点

現代アイドル史に名を残す人物 

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 16点

演劇表現 14点 バラエティ 17点

情動感染 18点

乃木坂46 活動期間 2011年~2018年

引用:(*1) 福田和也/作家の値うち
(*2)福田恆存 / 老人と海の背景

評価点数の見方