AKB48 前田敦子 評判記

AKB48

前田敦子 (C) 日刊スポーツ

「平成のシンデレラ」

前田敦子、平成3年生、AKB48の第一期生。2代目センターであり、「神7」のメンバー。
後世、平成のアイドルシーンを振り返った際に、まず最初に挙げられるアイドルの名、それは「前田敦子」になるのではないか。平成を代表するアイドルであるばかりでなく、大衆が考える今日のアイドルの有り様を決定づけたのは前田敦子その人だろう。グループアイドルとして宿すその主人公感は比類するものがない。シングル表題作のセンターポジションに立った回数は、実に22回。他の追随をまったく許さない。だが前田敦子が真に主人公である所以とは、そうした記録に支えられているわけではない。7年間の物語の中で、現代でアイドルを演じることの屈託を彼女が溢したのは、第3回AKB48選抜総選挙時の叫び(『私のことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください』)のみであり、「会いに行けるアイドル」というコンセプトを掲げ国民的アイドルグループにまでのぼりつめたAKB48のなかにあっても前田は神秘的イメージを保ってきた。身近なアイドル=偶像、という倒錯の魅力を引き出すバランス感覚、夢と現の絶妙な間合いに前田敦子という人のセンスがある。

初めてセンターに選ばれた日、一人だけ目立つのは嫌だ、と泣きじゃくった。それを眺めた同期のメンバーは自身の悔しさを圧しころし、前田のことを支えようと、それぞれが、かたく決心したという。こうしたエピソードに見る、少女の無自覚さと、無自覚であるがゆえに高められる求心力こそ「前田敦子」が真にセンターたり得る所以であり、ゆえに彼女は常にクリティークの的にさらされ、ファンから、また同業者からも強烈な毀誉褒貶を買うことになった。この、自分の苦しみなどだれにも理解されないだろうという確信、絶望のなかで「アイドル」を夢への架け橋にして成長する少女の物語、芸能における立身出世こそ、今日のアイドルつまりグループアイドルの王道であり、平凡な少女たちに用意されたシンデレラストーリーである。
であれば、触れる者すべてに不快感をあたえるような、沈鬱なオーラをまとうアイドルへと前田が成長を遂げたのも当然の結実と云えるかもしれない。前田敦子というアイドルが特別であるのは、そうした情況がむしろアイドルとしての存在感・価値を増幅させている点にある。たとえば、俯き沈黙した彼女が、不意に、ただきまぐれに笑うだけで、周囲の人間は安堵し興奮を抑えきれなくなる。前田はそんな魔力をそなえもつ。
その「魔力」の最たるものは、ノスタルジーへの避けがたい希求、になるだろうか。

むかし好きだった女や、好きだと云えなかった女、実際に恋愛をした女。別れたあとに好きになった女。時が経ち、彼女たちの顔がボンヤリとしか思い出せなくなる。アイドルを演じる少女たちのなかにその面影をもつ者が居て(あるいは面影と呼べるもの自体存在しないのかもしれないが)、アイドルの顔と思い出の中で揺く女の顔がすり替わってしまう。「過去の女」が目の前で笑うアイドルの姿形と比較して決定的に劣ることを頭ではしっかりと理解できているのに、むしろそのすり替わりをハッキリと否定したいのに、どうしてもかさなってしまう。頭からはなれない。堪えがたい……、つまり、このような探求の悶えの提供が今日のアイドルの、つまり前田敦子というアイドルの魅力であり、彼女がシンデレラであることの”しるし”なのではないか。

 

総合評価 82点

現代のアイドルを象徴する人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 16点

演劇表現 16点 バラエティ 16点

情動感染 18点

AKB48 活動期間 2005年~2012年