まえがき

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アイドルってなんだろう?
日常を演じ、妄執の矛先に選ばれ、偶像になる…、少女たちを取り巻くメディア、コラムニストの書く”称賛”は、この疑問にはこたえてくれない。平成の終わり、令和の始まり、今を生きるアイドルは真剣な批評を経験しない。彼女たちが浴びるのは幼稚な賛美と無垢な中傷だけだ。
文学とは人間のありのままのすがたをうつし出す作業だ、と先人は云う。夏目漱石はニートを、大江健三郎は宗教とテロルの緊密を、村上春樹は現代日本人が抱える空虚と無関心を、それらを象徴とする時代がおとずれるよりも前に、小説にして”来るべきものの側”となり、撃った、と。予言と見間違う所業。日常の写実が結果として、対象となった人物の未来を原稿用紙にうつすことになる。つまり、文学小説に描かれる、かれら彼女らの生活は”僕”たちの日常でもある。もちろん、アイドルだってそこに含まれる。原稿用紙の上を歩く架空の登場人物の言葉に、行動に少女が作るアイドルを重ねることによってはじめて、その輪郭をなぞるのではないか。
「DJ KRUSH」を聴きながら、「魔の山」を読み、「大江健三郎」を批評する、物書きの端くれ。虚構の扉をひらき、もうひとりの自分を、アナザーストーリーを描く少女たちに自己を投影するように、”僕”も、現実世界から遊離して、もうひとりの自分を、もうひとりの作家「楠木融」を名乗り、架空の世界の住人を演じてみる。小説を書くように批評(フィクション)を作った小林秀雄に勇気をもらいながら、ブレイクビーツのように文豪たちの言葉を引きながら、彼らが書いた物語の登場人物と響き合う、儚さと活力をふりまくアイドルの素顔を発見するために、虚構に産み落とされ、どこかに置いたまま忘れてしまった自我を探し求め迷子になる少女たちの物語を批評してみよう。塩野七生がユリウス・カエサルに”恋”をしたように、ヴァリエテ座で踊るナナを『金蝿』と批評したフォシュリーのように、アイドル史をひとつの長編小説として眺め、架空の世界に生きる少女たちの日常を手繰り寄せ、物語ってみよう。

2018.08.08 楠木融

何だかわからないけど気にかかる人がいるじゃないか。
で、どうアプローチしていいんだかわからないけど、観察しているとどうにもオモシロイ。立ち居振る舞いとかね、反応とかが、微笑みたくなるように好ましいとかね。…で、そういう人をみつけて、その人の値打ちというかな、面白いところを見つけて、好きになるっていうのはとても大事なことなんだよ。ホレるっていうことは。 その人が好きでも、何も得をするわけじゃないし、あるいは濃くつきあうワケでもない。だけどタマに一言二言話したり、その人間の立ち居振る舞いを眺めて喜んでいる、みたいなことがね。それで、じっくりと観察して、いろいろなことを理解しようと務める。…結局値打ちってそういうもんだと思うんだよね。銭金とか損得とかとは別な、興味を人生にいだけるか、と。

福田和也/乃木坂血風録

 

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