AKB48 大島優子 評価

大島優子 (C)FRIDAY(フライデー) 2016/12/09

「白鳥になりたいペンギン」

大島優子は、AKB48の第二期生であり、神7のメンバーである。
アイドルの存在理由(命題)とはファンに活力を与えることである。アイドル・大島優子のアイデンティティこそ、ファンに夢を与える「原動力」と云えるだろう。彼女の汲めども尽きることのないステージへの情熱、日常のエネルギッシュな立ち居振る舞い、あらゆるシーンを全力で生き抜く姿勢はファンに持続する勇気、希望を与えた。不完全な物語が不気味な希求力を発揮したAKB48のなかにあって、大島優子はアイドルの古典的な”ジャンルらしさ”を具えたアイドルとして屹立していた。だから、彼女の”白鳥には決してなれないペンギン”という境遇(物語)は、ファンを未だ発見したことのない新しい地点からの共感に遭遇させ、特別な信頼感を勝ち取った。「大島優子」はグループアイドルにとっての、群像劇の主要登場人物になるための、一つのバイブルになった。

大島優子の物語を批評する際に看過できない存在がある。それはやはり前田敦子の存在だ。グループアイドル史=長編小説の圧倒的な主人公に対するアンチ・テーゼという役割を余儀なくされた大島優子の憂鬱を安易に推し量ることはできない。だが、ファンの妄執によって生み出される稚気に囲繞されてもなお、機嫌の良さを失わない「大島優子」の日常、背反性は深い魅力を湛えていた、と云えるだろう。しかし、そもそも両者には大きな隔たりがあるのだ。前田敦子がハンニバルならば、大島優子はスキピオ・アフリカヌスだろう。前田敦子がユリウス・カエサルならば、大島優子はポンペイウスである。前田敦子は純文学タイプのアイドルであり、大島優子はエンターテイメントタイプのアイドルなのである。福田和也の言を借りるならば、大島優子はファンに「快適な刺激を与え」ファンを「気持ちよくさせ、スリルを与え、感動して涙を与える」アイドルである(*1)。純文学タイプである前田敦子は「本質的に不愉快なもの」であり、ファンを「いい気持ちにさせるのではなく。自己否定、自己超克をうながすような力をもっている」アイドルと呼べるだろう(*2)。つまり両者の間には行き交いすべきではない境界線が引かれており、同じ批評空間では呼吸できない。彼女たちの物語を並べて比較するのはイノセントと揶揄される所業である。この純文学タイプとエンターテイメントタイプのカテゴリー分けは、後世のアイドルを批評し、フィクションを作るにあたり重要なテーマとなっている。このカテゴリー分けを成立させたという一点だけでも、大島優子は現代アイドル史に大書されるべき人物と云える。

 

総合評価 81点

現代アイドル史に名を残す人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 16点

演劇表現 17点 バラエティ 16点

情動感染 17点

AKB48 活動期間 2006年~2014年

引用:(*1)(*2)福田和也「作家の値うち」

評価点数の見方