櫻坂46(欅坂46) 齋藤冬優花 評判記

櫻坂46, 欅坂46

齋藤冬優花 (C) 欅坂46公式サイト

「『不愉快』と綽名され、不人気を極める」

齋藤冬優花、平成10年生、櫻坂46(欅坂46)の第一期生。
狷介で剣呑なアイドル。派閥作りする政治家のように、限定された仲間と信頼の絆を結び、グループのイデオロギーに関わるデリケートな場所に、ファンの声価に逆らい踏み込む、尊大な人物。
だれに求められたのでもなく、自身をグループの原料だと自負し、アイドルを演じることに義務的に没頭する、ステージの上で恍惚するその姿は、おなじ文芸の世界
に身を置く者としてなにがしかの遠景を描かせるが……。この厄介な志の所持から、齋藤冬優花は、桑原みずきの系譜に連なるアイドルと呼べるだろうか。当然の結実、とでも云うべきか、桑原同様、その尊大さをして、ファンから好意的に語られる場面は極端に少ない。デビューから一貫して人気がふるわず、挙げ句、ファンに「不愉快」と綽名される。

たしかに、尊大に映る。彼女の言葉・文章、たとえばブログを1ページ読んだだけでもその一端に触れる。たとえば、ライブ前日、期待と不安から、自分がステージの上に現れる瞬間をファンは心待ちにしているはずだ、と願い、それを言葉にしてブログに記す、とする。齋藤冬優花の場合、トップアイドルグループの一員であることの矜持がそうさせるのか、その期待と不安の解消を、切実な「願い」として記すのではなく、それが当然の事実であるかのようにファンに向け、語ってしまう。あなたたちは私のファンなのだから、当然、私の登場を心待ちにしているよね、といった解釈につながる「無意識」を書いてしまう。この、ブラックユーモアになりきらない尊大さを映す「無意識」の露呈が、一部のファンから激しい憎悪を買ってしまう要因なのかもしれない。

人は、ほかの人から、あれはこれこれの人だと思われているような人間にならずに終わることはありえない

ガルシア・マルケス / わが悲しき娼婦たちの思い出

これは、受けいれがたい科白だ。とくに、情報に囲繞される現代アイドルにとっては。しかし、受けいれがたいものとの遭遇とは、時として、想像力の外側からおそわれた証しにもなる。この科白は、やはり、いつか必ず現実のものとなって直面する、不吉な予言と扱うべきではないか。
つまり、なにが云いたいのか、というと、齋藤冬優花に向けられる、一部のアイドルファンからの痛烈な批判・批難を完全に看過することはむずかしい、ということだ。
この人は、「不愉快」なる異名、綽名をもつ。齋藤冬優花の「ふゆか」から取って、不愉快。大前提として、アイドルとは、ファンに活力を、大衆に夢をあたえる存在である。そのアイドルが「不愉快」と揶揄されてしまった……、であれば、揶揄を作りアイドルのことを嘲笑う人間を糾弾するよりも、まず、アイドルを演じる少女自身の脇の甘さに目を向け、その瑕疵を問わなければならないだろう。
情報にさらされる現代アイドルは、凡庸であればあるほど、日常の演技に、日常の立ち居振る舞いにきわめて意識的にならなければいけない。他者から見える生活とは、性格によって作られるものだが、性格もまた、生活によって作られることを忘れてはならない。尊大さの現れが、自身のアイドル人気への葛藤を前にした反動であるならば、なおさら生活を見直す必要があるだろう。

 

総合評価 39点

アイドルの水準に達していない人物

(評価内訳)

ビジュアル 3点 ライブ表現 13点

演劇表現 3点 バラエティ 7点

情動感染 13点

欅坂46 活動期間 2015年~