乃木坂46 生田絵梨花 評価

乃木坂46

生田絵梨花(C)週刊ヤングジャンプ.2016.44号

「現代アイドルの最高到達点」

まさしく「傑物」であり、現代のアイドルシーンを代表する人物である。グループアイドルとして、舞台女優として、類い稀な意欲と飽くなき探究心、アイドルの枠組みを貫通しようとする姿勢、それらが”奇跡との遭遇”に結実して行く。奇跡への実感、歓喜こそ、生田絵梨花を現代アイドルの最高到達点へ押し上げた要因である。

生田絵梨花の他者(人物)に対する距離感の掴み方は優れた歴史家を彷彿とさせる。作家とは歴史上の人物を自身と同じ「人」として、想いを馳せ、日常に手繰り寄せる。塩野七生はユリウス・カエサルを、司馬遼太郎は坂本龍馬を、福田和也は乃木希典を叙述し、”彼ら”の日常の目線と手触りを描写した。批評=フィクションに落とし込んだ。生田絵梨花も、日々すれ違う、この先、もう二度と交錯することがないかもしれない「他人」との交流のなかでその”距離感”を想う。「あの人も、わたしと同じ人間なんだ」と。これは、ファンとの距離感が喪失した現代アイドルシーンを(きわめて受動的な境遇を)、自身のアイデンティティを損なわずに”ありのままで”生き抜くための核心的な資質と云える。

生動する状況の中で、登場人物がその条件と戦いながら自己の可能性を押し広げてゆくような小説が読みたい、という希望は、反時代的にすぎるだろうか。

福田和也「作家の値うち」

君の名は希望の演奏通過によって確立させたアイドルとしてのアイデンティティを、何度目の青空か?で作った笑顔(演技)を最後に喪失する。アイドルの”ジャンルらしさ”との決別。生田絵梨花は自己のみならず、アイドル界の枠組み、限界を拡充することで、グループアイドルという狭められた役割の可能性の幅を押し広げる。もちろん、それは「乃木坂46」があたらしい活動領域を獲得していく光景にかさなって行く。わき目もふらずに隘路の壁を掘り進んでいく力強さから伝播する信頼感。生まれ持った自己認識の強さ。そして、客観性の欠如した立ち居振る舞いは、アイドルとしては前例がない「ユーモア」と映り、次の瞬間になにが起こるのかまったく予想のつかない不安と興奮を観る者にあたえた。”コゼット”をミュージカルで演じた日、『魔女の宅急便』のキキの内側から魔法のちからが消失した”朝”と同じように、生田絵梨花のユーモアも彼女の内から欠落してしまったが、それは、彼女が”完全に”アイドルという枠組みを貫いた痕跡である。

グループアイドルにとっての「努力」とは、仲間と困難な目標を成し遂げた際に、喜び、安堵する仲間たちを尻目に、もう次の、新たな壁を登るために準備を始めるような行動を指す。生田絵梨花は努力ができる数少ないアイドルである。自己超克とも呼ばれるこの行為は、周囲に疎ましさや息苦しさを与えることも少なくはないはずだ。生田絵梨花と他のアイドルを決定的に隔てるもの、それは、無理解に囲繞され孤立したときに、歩を進めることのできる独断力である。アイドル・生田絵梨花は犀の角のようにただ独り歩むのである。孤独や孤立感こそが、文芸という「虚構」を作り上げると熟知しているから。

 

総合評価 87点

現代アイドル史に名を残す人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 17点

演劇表現 20点 バラエティ 17点

情動感染 17点

乃木坂46 活動期間 2011年~

評価点数の見方