乃木坂46の「最後のTight Hug」を聴いた感想

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Time flies 生田絵梨花 ジャケットデザイン(C)乃木坂46公式サイト

「『サヨナラの意味』の続編がついに書かれた」

乃木坂46の10周年記念ベストアルバム『Time flies』のリード曲『最後のTight Hug』がニッポン放送・乃木坂46のオールナイトニッポンにおいて初オンエアされた。生田絵梨花がセンターに立つ最後の楽曲ということで、期待と希望を抱きつつ、聴いた。
鑑賞後、これはかなり良いな、とおもった。アイドルソングとして独特の境地を許した、ひとつの掌編の誕生を告げる、傑作だと感じる。最近、つくづく思うのだけれど、アイドルとはやはり「物語」なのだ。物語があるからアイドルはおもしろいのだし、感動がある。作詞家でありプロデューサーである秋元康がだれよりもそのアイドルの物語化を試みているわけだから、感服するしかない。『最後のTight Hug』には、「過去」になろうとするアイドルの、もはや二度と現れることのないアイドルの横顔がしっかりと描かれている。

乃木坂46の前に立った、秋元康、杉山勝彦というタッグを軸に考えれば、当然、「希望」というモチーフが想起される。要するに、新曲が発表されるたびに、これは『君の名は希望』の続編なのではないか、と考えてしまうわけである。作曲家・杉山勝彦の枠組みにおいてのみ『君の名は希望』の続編が書かれる、と考えるのはあまりにも安易だとおもうが、ここは批評的なことではなく、率直な感想を書く場だから、ファン感情として、それも許されるだろう。
『最後のTight Hug』、これは、グラウンドの隅に座っていた「僕」が「君」=「希望」と出遭った『君の名は希望』、その「君」との別れを描いた『サヨナラの意味』の続編として書かれた、「僕」の成長の物語なのだろう。サヨナラに強くなれ、と歌った前作においては、しかしそれが「僕」=自身への励ましである以上、ほんとうの別れではなかった。失ったけれど、忘れることができない。「君」を過去のひとにするにはどうすればいいのか、という模索の劇であった。『サヨナラの意味』は、「僕」にとって、あくまでも現実を無視してしまえる、幻想的な物語であったわけである。今作においては、その模索の劇に対して、「君」の結婚という現実性を帯びたストーリー展開をもって、「僕」を”サヨナラのあとの”ほんとうの別れに直面させている。アイドルと卒業、このある種の行き詰まりを前にして、そこから引き返すのではなく、それを貫通するように、ほんとうの別れを記している。現実を無視しどれだけ幻想の世界に浸っていようとも、現実とは、いつまで経ってもおなじ場所に漂う人間を容赦なく他の場所へ押し流すものだし、あるいは、置き去りにして行くものだ。今後この「僕」がどうなるのか、どのような成長を描くのか、尽きない興趣がある。

つまり『最後のTight Hug』が素晴らしいのは、『君の名は希望』『サヨナラの意味』というラインを強く意識させるような音楽を作っている点だろう。作詞家、作曲家、それぞれが、しっかりと物語を書いている。ふたりの作家のもつ世界観が鉄壁であり、イメージがぐんぐんと眼の前に広がるし、イマジネールな世界に説得力がある。「希望」の系譜の集大成=掌編の完成を目撃する。しかもその物語は、アイドルの横顔と共に編み上げられた出会いと別れの物語、にみえるから格別な香気を放っている。ファンから明け透けに向けられる期待感にストレートに応える、というのは、実は、むずかしい。しかし今作品は見事に応えているように感じる。『サヨナラの意味』は説明するまでもなく、アイドルの卒業をテーマにした楽曲であるから、ふつうであれば、これ以上さきの物語は書けない。しかしそのさきの物語を書けてしまう。これはやはり作家の内にアイドルの物語化に向けた並みなみならぬ熱誠があるからだろう。なぜ物語化にこだわるのか、それはおそらく、言葉では容易に説明できないものも、物語を作り語ることでそこに表すことができるからである。
とすれば、『僕は僕を好きになる』とは、あの「君」=希望を失ったあとの、暗い部屋の片隅でうずくまる「僕」の自問自答とそこからの再起を描いた物語なのだろうし、『ごめんねfingers crossed』は失った「君」をいつまでも想う「僕」の賛美歌・つよがりであり、いずれもアイドルの現在と”社会のようなもの”、たとえば若者の屈託であったりコロナ禍であったりを通いあわせた歌なのか、といった、愚かにも見逃してしまった過去の作品の魅力に気付かされるような、思考の組み換えが、今作『最後のTight Hug』に触れると起きるわけである。過去を何度もふり返ってしまう……、これが「物語」の魅力・希求なのだ。
もちろん、ただストーリーをつなげただけの歌詞では、ファンの眼前に「物語」が立ち現れる、ということは起きない。アイドルの場合、アイドルを演じる少女の横顔と反響するものが絶対になければならないし、アイドル自身、楽曲を強く抱きしめた物語を作らなければ、物語は編めないのだろう。アイドルの卒業のその後を描いた『最後のTight Hug』は、生田絵梨花がファンの前で大胆に語る、心を動転させるような憧憬と遠く響き合っており、この点も文句なしに感じる。

2016年、『サヨナラの意味』がラジオで初オンエアされた日、橋本奈々未に感想をたずねられた生田絵梨花は「イントロが流れた瞬間に好きだなとおもった」と話していたが、あれから5年、ようやく『サヨナラの意味』の続編が書かれ、その傑作のセンターに選ばれたわけだから、静かな感興がある。やはりこのひとはナラトロジー=アイドルの成長物語という希望に対し、とくべつなもの、を持っているのだろう。

 

2021/11/04  楠木

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