乃木坂46 松村沙友理 評価

乃木坂46

松村沙友理(C) dmenuTV/テレビドガッチ

「目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない」

きわめて独創性のたかいアイドルである。”ユニーク”という称号を授けるアイドルを1人選べと問われたら、私は迷わず彼女を選ぶだろう。乃木坂46の第一期生としてデビューし、すでに6年以上経過するが、ビジュアル、モチベーションと、まったく衰えを知らない。バラエティの分野においては、現役アイドルのなかでもトップクラスに富んだウィットの発揮と多事多難を発生させる。観る者の価値観を根底から覆してしまうような、想像力を先回りする不安定な緊張感を孕んだ笑い顔を作る。その非日常化に成功した日常風景を映像作品という仮構の世界でも抵抗なく再現してしまうのだから、”演じる”という行為に対して天賦の才を授かった人物と云えるだろう。

「…我々の人生においては、現実と非現実との境目がうまくつかめなくなってしまうことが往々にしてある、ということです。その境目はどうやら常に行ったり来たりしているように見えます。その日の気分次第で勝手に移動する国境線のように。その動きによほど注意していなくてはいけない。そうしないと自分が今どちら側にいるのかがわからなくなってしまいます。私がさきほど、これ以上この穴の中に留まっているのは危険かもしれないと言ったのは、そういう意味です」

村上春樹 「騎士団長殺し 第一部」

松村沙友理の批評を試みる際に、おそらく誰しもが、月の裏側に独り取り残された孤独と憂鬱について、触れるべきかどうか、逡巡するのではないか。「目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない」という事実を意識的に看過することはむずかしい。月の裏側から帰還したのは、アイドル「松村沙友理」のみであった。我々が眺めるのは(あるいは闖入するのは)松村沙友理が作り上げた虚構のみである。アイドルの物語とは、アイドルが、自身の作り上げた虚構=もうひとつの別の世界とこちら側の世界を行き交いする姿形である。帰還後の松村沙友理は、その虚構の中から一歩も足を踏み出していない。空扉は閉じられたままだ。彼女は月の裏側で膝を抱えていた時間があまりにも永かったため、”現実と非現実との境目”を不分明にしてしまった。”こちら側”の松村沙友理は何処に居るのだろうか?未だ、月の裏側で独り、宇宙を見上げているのかもしれない。

キャリアの途中で挫折を経験し、訪れるはずだった黄金期を失ってしまうタイプの人間は様々な分野で存在する。決してめずらしい話ではない。しかし、その挫折が通俗的な後悔を纏う類の出来事だった時に、アイドルという「ジャンル」に身を置く少女は、果たしてそこから立ち直れるだろうか?以前と同じ場所で、前と同じように笑えるだろうか?きっと、何かに依存しないかぎりは、自我を保てないのではないか。虚構は、そこに留まったままの人間をどのような場所に導き、どのように成熟させるのか。或いは、未成熟な果実のまま腐らせてしまうのか。松村沙友理というアイドルは、その問いに対し一つの答え(物語)を提供してくれるはずだ。皮肉にも、孤独感と憂鬱は彼女の存在そのものを純文学のテーマとして成立させてしまった。文学的な要素を”抱えてしまった”人物は、現代アイドルのなかでも稀有な存在と呼べる。文学的なアイドルたちが放出する異物感は我々を不安にさせる。松村沙友理の狂態は、我々をひどく苛立たせもする。なぜなら、私たちは、”こちら側”の彼女を知らないから。忘れたままだから。”目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない”。彼女の「狂態」とは、虚構(うそ)を付くという行為によって映し出されるのではない。架空の世界を現実の世界だと妄執し、その世界の窓からこちら側に向けて笑う姿が「狂態」として我々の前に立ち現れるのだ。「松村沙友理」は今日も現実の枠組みと虚構の枠組みが激しくぶつかりあうような、危ういダンスを、融けてなくなった氷の上で踊りつづけている。

「みっちゃん」
「うん?」
「みっちゃん、あたし狂ってる?」
「そんなんいったら、この街の女はみんな狂ってる。あたしらずっと世間さまの注文してきた女をやってきたんよ。これからはすきにさせてもらお」

西原理恵子 「パーマネント野ばら」

 

総合評価 82点

現代アイドル史に名を残す人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 14点

演劇表現 17点 バラエティ 19点

情動感染 16点

乃木坂46 活動期間 2011年~

2019/02/03 再評価 加筆しました

評価点数の見方