乃木坂46 向井葉月 評判記

乃木坂46

向井葉月 (C) ORICON NewS inc.

「その運命やいかに」

血なまぐさいメロドラマの傑作は、縞のあるベーコンの切り口が、赤と白のだんだらになっているように、悲劇と喜劇がかわるがわる出てくるのが、舞台の習慣である。足枷をはめられ、不運にひしがれた主人公が、藁の寝床にぐったり寝ていると、つぎの場面では、忠実な、だが何ごとも知らぬ従者が、こっけいな歌を歌って観客を喜ばす。胸をどきどきさせながら見ていると、女主人公は高慢で血も涙もない大名につかまえられ、貞操と生命はまさに風前の燈火、彼女は短剣をひきぬき、生命をかけて操を守ろうとする。観客の昂奮が最高潮に達したその瞬間、拍子木がちょんと鳴って、観客はまっすぐにお城の大広間へ運ばれる。そこでは白髪頭の家老が、愉快な家臣の一団とともに陽気な歌を合唱するが、この家臣たちはお寺の納骨堂から宮殿にいたるまで、どこでも自由自在に出入し、絶えず人の前で陽気にさえずりながら、うろつきまわるのである。
こういう場面の変化はばかばかしいようだが、ちょっと見た時ほど不自然ではない。現実の生活では、饗宴のテーブルから死の床へ、喪服から祭日の晴衣へという移り変りはすこしも驚くにあたらない。非常に違うところは、わたくしたちが単なる見物人ではなくて、忙しい俳優であるというだけだ。芝居に似た人生の役者たちは、単なる芝居の観客の前に出されると、早速、言語道断支離滅裂だといわれるような、急激な転換や唐突な感情の爆発も知らないで見すごしているのである。
場面の突然の転換や、時と場所の急激な変化は、ながい間の習慣によって、小説の中では許されているばかりでなく、多くの人から著作上の重大な技術と認められている。つまり作家の腕前は、主として、各章のおわりで登場人物と別れる時、その運命やいかに、と読者に残す期待の多少によって決定されるものである。

ディケンズ / オリバー・ツイスト(中村能三 訳)

向井葉月、平成11年生、乃木坂46の第三期生。
過去の失敗を認めアイドルの物語そのものを移し変えようと決意し行動することのできる、勇敢なアイドル。溢れ出るチャレンジ精神が、アイドルのストーリー性をいや増すばかりでなく、アイドルの物語つまり成長そのものになりつつある。乃木坂にあっては強い独自性、多様性、つまり個性を放つ。

多様性とは、両腕に抱えることができない、共存を許さない性質のものを、一人の人間が、自己の内に同時期に宿すというバランス感覚のことを言う。アイドルの扉をひらいたばかりの頃、向井葉月は、百花繚乱を描く乃木坂の一群のなかにあって、自分にしかない、自分にしかできない役割を探し求めそれを担うことが今日のアイドルにとって必需品になった「多様性」の獲得につながると、無垢に信じ込んでいたかに見えた。
そうした向井の立ち居振る舞い、たとえば、大食漢なるキャクターを健気に演じたり、また別の場面では、楽曲のもつ世界観を毀す身振り手振りの大げさな踊りを場違いにもライブステージの上で披露する、アイドルの赤裸々な醜態がグループのファンに受容され、称賛に抱きしめられることは、ほとんどなかった。ゆえに、アイドルシーンにあっては平均を凌ぐビジュアル、を生まれ持った少女でありながら、順位闘争の場においては辛酸を嘗めてきた。シングル表題作の歌唱メンバーに選ばれたことは一度もない。

しかし、親に褒められた幼児が、何度も何度も、繰り返し同じ行動を取るような、無垢の演技、裏を返せば、自己犠牲の精励によった、アイドルを演じることに酔いしれた、乃木坂の風儀に逆らった走狗にしか見えないピエロを演じ踊る向井葉月はもういない。現在の彼女を眺めるに、たしかな多様性を備えもつ、たとえば、過去に育んだアイドルのあられもなさを傷つきやすさとして演出し解釈させるというパラフレーズなアイドルを完成させたかに見える。アイドルを通しやつされて行く自己、に意識的になり、不甲斐なかった自己=過去をみずから断ち切ろうとする、英断さ果敢さを宿したそのアイドルの横顔には、”味”が出ている。
『君に叱られた』以降、あるいはより正確に云えば『ごめんねFingers crossed』以降、向井葉月のアイドルの作り方、演じ方、その意識の有り様に大きな変化が起きたようだ。

今、自分が立っている場所とは、過去の自分の行動選択による結果、にほかならない。もし今の自分を眺めそれを「失敗作」と捉えるならば、当然、過去の自分の行動選択に誤りがあったのだ、と考えるべきなのだが、これが不思議なもので、自身の過去つまり自分が積み上げてきたものを否定し、過去を断ち切ることのできる人間は、極端に少ない。凡庸であればあるほど、これまでに積み上げてきたものを崩すのではなく、さらに高く積み上げることで、いつか必ず上空に漂う「夢」にタッチできるはずだ、と考えてしまう。
過去に従い、現在をなにひとつ変えずに過ごすことは、実は容易い。困難を強いられ勇気を求められる行為、それは自己の内で信じて疑わなかったもの=過去のすべてを断ち切ること、である。
向井葉月が素晴らしいのは、自己の過去を断ち切り、あたらしいアイドルを作ろうと果敢に挑戦するその心構えを実際に言葉にして、口に出し、ファンに伝え表明することで、期待感を演出している点だろう。
アイドルの扉をひらいたばかりの少女が、眩いスポットライトの光に後押しされ、変わりたい、と表明することはあるいは容易かもしれない。一方で、アイドルとして、乃木坂の一員として、けして少なくはない経験、物語を積み上げてきた人物が転向を口走る際に強いられる覚悟は、計り知れない。その壁を乗り越えた向井の横顔には、はっきりと、これまでのイメージ、ある種の痛手を払拭する、「アイドル」に身をやつす者、としての儚さ、独自性が宿ったかに見える。なにかが音を立てて変わることの兆しを、そこに嗅ぎつける。

興味深いのは、そうした、アイドルの意識の変化、物語の転換の契機が、やはり知ろうとしなかった「過去」を「現在」の働きかけによって知り、その過去を支えにして現在をより深く大切なものとしていく、と歌った『君に叱られた』と前後して現れた点であり、あるいは向井葉月は、楽曲とアイドルが共にある、という、ほんの、わずか一握りのアイドルだけが表現し得る、アイドルの物語化、を叶えたかもしれない。
自問自答の末、かつて自身を”とりこ”にしたアイドルに成り代わろうと試みているのだろうか。空回りするばかりであった、ひとりのアイドルファンが、星野みなみや渡辺みり愛に憧れたひとりの少女が実際に、ほんとうに「アイドル」に成ってしまった奇跡・昂奮がここにきて一気に壺にはまった感がある。
たとえば、アイドルとファン、その双方の視点をもつ向井には、ファンがアイドルを眺め語る際に、そのアイドルから直接見つめ返されていると強く実感してしまうような、錯覚・迫力がある。向井葉月を眺め、もったいないな、とか、あの場面でなぜああいう言動をとってしまうんだろう、とか、ここをこうすれば良いのに、とか、たとえば、自分の憧れた、自分が成りたいと想ったアイドルになろうと前を向けば良いのに、といった現実を無視したファンの妄想でしかない願望に、現実的に応答してくれたかのような、錯覚を、この人はもたらす。
とはいえ、もっとも肝要なことは、では実際に今後、彼女がどう変わっていくのか、どのような成長を遂げるのか、という関心、尽きない興味にある。つまるところ「アイドル」とは、ある人の、成長する前の姿、成長したあとの姿、その間隙に現れる像のことを言うのだろうし、物語性のあるアイドルとは、自己がその間隙に漂っていることを、言葉で、行動で演じ表現・演出してしまえる少女のことを指すのかもしれない。もはや説明するまでもなく、向井葉月はその「少女」の一人に数えられる。

 

総合評価 65点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 13点

演劇表現 12点 バラエティ 13点

情動感染 14点

乃木坂46 活動期間 2016年~

評価更新履歴
2019/04/19  情動感染 6→10  バラエティ 8→10
2020/05/20  情動感染 10→9  バラエティ 10→13 演劇表現 5→6
2021/10/23  再評価、加筆しました  演劇表現  6→10  情動感染  9→12  ライブ表現  7→11
2023/01/11  評価、本文を一新しました  ライブ表現 11→13   演劇表現 10→12  情動感染 12→14

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