AKB48 大島麻衣 評判記

AKB48

大島麻衣/写真右(C)どんどんぶろぐ

「AKBを岐路に立たせた」

大島麻衣、昭和62年生、AKB48の第一期生。
1期の旗手だと見做すべきだろうか。前田敦子、高橋みなみと並ぶ初期のAKB48の代表的メンバーであり、未成熟であることをかけがえのない魅力にかえてアイドルファンをとりこにする前田にたいして、大島はその卓越したビジュアルをもってまだまだアマチュア集団でしかないAKBの認知度を上げるべくプロパガンダをつかさどった。ゆえに黎明期に立つグループのなかにあって大島は別格の知名度を誇っていた。

デビューから応援してきたアイドル=ほとんど素人でしかない少女が、遂に、グラビアで雑誌の表紙を飾る、地上波のテレビ番組に出演し見慣れた有名芸能人と共演する、という、アイドルを推すことの醍醐味、興奮を、誰よりもはやくファンに体験・共有させたのが大島麻衣である。
それだけに大島の卒業、グループからの早期離脱は、同業者、ファンを問わず、震撼させる出来事となった。ルックスに華があるのはもちろんのこと、飾り気のないさっぱりした気性の持ち主で、同期のメンバーだけでなく、後輩のアイドルからも慕われたようだ。それでいて、ステージの上ではどこか心淋しげな横顔を作り音楽に落とし込むのだから、心身ともに魅力的なアイドルに映る。卒業のタイミングが違えば、まず間違いなく一度はセンターに立っただろうし、前田敦子、大島優子に比肩する人気メンバーとして屹立したことだろう。
とはいえ、大島の卒業がなければAKBのヒットはより確かなものとなったのか、と問えば、かならずしもそうではないと、言い切れる。大島の卒業にたいして当時のファンがいだいた感情は、混迷するグループからの脱出、であったようだ。この先どうなるかわからない、先の見えないアイドルグループから”彼女”は一人抜け駆けしたのだ、という妬心、復讐心であるが、ほんとうにそうだろうか。彼女のブログやインタビューを漁るに、彼女が卒業を決心した真の動機は、前田敦子という絶対的な主人公感を生まれもつ少女を前にした敗北感にあることは明白だ。キラキラと輝く前田の制服姿を間近で眺めたあとで見る自己の制服姿に、ひどく落胆したようである。大島が唯一表題曲の選抜メンバーから外れた『夕陽を見ているか?』に記された秋元康の詩情の数々が、奇しくも、あるいは当然の帰結か、彼女の抱える屈託と共鳴して、その背中を押してしまったようでもある。
いずれにせよ、当時のAKB48のなかで芸能界における将来性の高さを最も強く示した少女が、そのとおりグループから離脱しソロアイドルでの成功をもくろみ、やがて失敗した点、同時に、大島を欠いたAKB48がその後国民的アイドルへと成長を遂げた点、ついにはアイドル=グループアイドルだとする共通認識を確立させた点から、大島麻衣の卒業がAKBの岐路と重なっていたことがわかる。つまるところ、もしあのとき彼女が卒業していなければAKBはさらなる飛翔を遂げていただろうという予測は、かなり不安定な憧憬に映る。
ソロアイドル化への試みこそ失敗したが、バラエティタレントとしてならばAKB48のブレイクによってAKB一色になったシーンのなかでも大島は存在感をかき消されずにしぶとくキャリアを築き上げている。この彼女のバラエティタレントとしての到達点を超えるのは指原莉乃のブレイクを待つことになる。

 

総合評価 65点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 11点

演劇表現 10点 バラエティ 15点

情動感染 14点

AKB48 活動期間 2005年~2009年