STU48 磯貝花音 評価

STU48

磯貝花音(C)音楽ナタリー

「竜の舞踏」

磯貝花音、平成12年生、STU48の第一期生。
グループアイドルとして獲得した人気、知名度、その心細さに反し、平成の終わりと令和の始まり、この境界線を踏み越えたグループアイドルのなかでは冠絶したライブ表現力を持つ。舞台の上でフィクションを構築しようと試みる意識のつよさは同世代のアイドルたちと一線を画している。まるで、ローマの歴史書に描かれる挿絵世界の住人のような色彩を持ったアイドルで、核心にまっすぐ踏み込む、シンメトリックな瞳、鋭い指、長い黒髪…、スポットライトを浴びると、それらが竜のように滑らかに力強く動きだす。シーンを、グループの黎明期を生き抜こうともだえる、少女の舞姿は脳裏に独特なしるしを刻む。それが火傷の痕のようにいつまでも疼く。情報に囲繞されたことで、常に他人事だと考えていた「通俗」が、実はもっとも身近な存在であった事実を目の当たりにし、その結果、少女は幻想の焔を吹き消し、青春の犠牲がもたらす活力にかげりを目撃し、無謀な夢から覚め、現実世界へと帰還してしまったが、季節の記憶を描出する
磯貝花音の横顔は、STU48、その物語の表紙にファンが触れる都度、鮮明な光りを放ちつづけることだろう。

少女特有の生硬さの提示、それと同時に、生来の怜悧さを無邪気に発散する磯貝花音というアイドル。彼女は感情の発見や自問自答の終着を他人に付与し活力を与える一方で、言語への独りよがりな解釈によって想像力の欠如を映す、やや無防備なアイドルだ。「磯貝花音」のおもしろさとは、あるいは瑕疵とは、アイドルを演じる日々のなかで、こころの内にひそむ弱さをファンに看破されるのではないか、という「怯え」に、想像する力を奪われてしまった点だろう。これがアイドルとしてあるべき姿だ、と自己設定した偶像への固執によって、他者に、ファンに沈黙を与える正論を作り、暗闇に囲繞されてしまった点だろう。強い誇りを握りしめ、意味のある言葉を発しようとする心がけや姿勢とは、見たくはないものを懸命に遠ざけようとする少女特有の反動と拒絶の裏返しでもある。彼女は、ファンに向けて作る言葉を、核心を付く鋭い槍へと変質させ投げつける。その得物は、投擲者が言葉というものに無自覚であればあるほど、投げられる槍は核心の的からおおきく外れ、対象を深刻に傷つけてしまう。そして、傷口から噴き出す返り血を浴びるアイドルもまた、ある種の深刻さを獲得する。磯貝花音が発する言葉の数々とは、アイドルを演じ青春の犠牲を抱きしめる少女の反抗であり、自身の弱さを懸命に誤魔化す、あるいは打ち負かそうとする、少女特有の自己防衛的な正論で満ち溢れていた、と換言できるかもしれないが。しかし、どのような動機から発せられたにしろ、正論をぶつけられた相手はその場で黙り込むか、立ち去るしかない。少女の横顔には、寂寥が映ることになる。

僕は二本の缶ビールを飲んでしまうと、空缶をひとつずつ、かつては海だった埋立地に向けて思い切り放った。空缶は風に揺れる雑草の海の中に吸い込まれていった。それから僕は煙草を吸った。煙草を吸い終わる頃に、懐中電灯を持った男がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。男は四十歳前後で、グレーのシャツとグレーのズボンをはいて、グレーの帽子をかぶっていた。きっと地域施設の警備員なのだろう。
「さっき何かを投げていたね」と男は僕の脇に立ってそう言った。
「投げたよ」と僕は言った。
「何を投げたんだ?」
「丸くて、金属でできていて、ふたのあるものだよ」と僕は言った。
警備員は少し面喰らったようだった。「何故投げたんだ?」
「理由なんてないよ。十二年前からずっと投げてる。半ダースまとめて投げたこともあるけど、誰も文句は言わなかった」
「昔は昔だよ」と警備員は言った。「今はここは市有地で、市有地へのゴミの無断投棄は禁じられてる」
僕はしばらく黙っていた。体の中で一瞬何かが震え、そして止んだ。
「問題は」と僕は言った。「あんたの言ってることの方が筋がとおってることなんだよな」

村上春樹「羊をめぐる冒険」

言葉とは感情の前に発生するものだと自覚しているアイドルが(日本人が)果たしてどれだけいるだろうか。
人は、「嬉しい、楽しい、大好き」という感情が心に、身体中に発生したから「嬉しい、楽しい、大好き」と言葉にして表に、外の世界に溢すのではない。「嬉しい、楽しい、大好き」という「言葉」が自分の中で創られた後に、その感情を抱くのである。つまり、言葉に意識的にならないかぎり、感情よりも前に「感情を説明する言葉」を表現行為の一環として、日常の仕草や立ち居振る舞いに現すことはできない、ということだ。乱暴に云ってしまえば、言葉に無意識なアイドルは、一つの振り付けを通し、表現できる感情の数は「嬉しい」の一個のみであるが、言葉に意識的なアイドルは、「嬉しい、楽しい、大好き」と多彩な舞姿を描くことを可能にする。ステージ上でみせる振る舞いが表現豊かで奥行きを持てば持つほど、伝えたいと想う心に伝わるようになる、これは説明するまでもない事実だ。過酷なダンスレッスンを重ね、テクニックを磨いたアイドルが、デビューしたばかりの新米アイドルに表現力で圧倒される光景が、過去から現在まで、宝塚歌劇からAKB48まで、アイドル史において間断なく作られる理由に、日常における「言葉」への意識の差があるのは間違いない。
そして、この話題にはさらに「そのさき」の領域がある。

「からだの隅から隅まで、心の隅から隅まで、全部言語でできてるんだな。隅から隅まですべて言語でできているはずなのに、ところが稀にそこから漏れるものがあるんだよ」
「それは『言葉にならない気持ち』ってやつじゃないの」
「言葉にならない気持ち」と言ってしまうと、気持ちが先にそれを言葉にしていくみたいなことになってしまう。みんなたいていそう思っているけれど本当は逆で、気持ちよりも先に言葉がある。恋愛なんていうのはその最たるもので、人は自分の気持と呼べる以前の、方向や形の定まっていない内的なエネルギーを恋愛という既成の形に整えていく。そういう風に人間は言語が先立つ動物のはずなのに、その言語から気持ち以前の何かが洩れているようなことを感じることがあって、自分には十一月のこの季節がそうなんだ」

保坂和志「季節の記憶」

磯貝花音のライブ表現には、この気持以前に”洩れている何か”がある。寒さを運んでくる雨のような”何か”が。それは一握りのアイドルだけが放つことを可能にする「異物感」と同質のものかもしれない。はじめて『暗闇』の選抜メンバーによるライブ・パフォーマンスを観たとき、舞台装置上でもっとも異物感のある手触りを残したのは、センターポジションに立つ瀧野由美子でも、西野七瀬とのシンクロニシティを想わせる岩田陽菜でもなく、磯貝花音であった。やや押し付けがましい、芝居じみた表情、その滑稽な横顔がライブ会場から去ったあとも、付いて離れなかった。まるで、火傷の痕のように疼く。彼女の踊りには、気持以前に”洩れている何か”がたしかにあった。言葉に無自覚なアイドルが、言葉に意識的なアイドルのみが到達できる領域、たとえば、齋藤飛鳥のようなきわめてブッキッシュな人物が棲む場所に、段階を飛び越えて到達してしまっている。これはもう天分と云う外ないだろう。シーンのトレンドに迎合した論評を用いるのならば、黒い羊を演じた欅坂46のアイドルたちと同じように、磯貝花音も芝居によって、唄うこと、踊ることを仮装しているのだ(もちろん、その芝居を映像作品における演劇力へと安易に塗り替え、評価するような真似はしない)。この磯貝花音の立ち居振る舞いは、歪んだ情動の発露や固陋の壁にぶつかる物語を描きはしたものの、ライブステージの上で披露した滑稽な勇敢さに限って云えば、それはこれまでのグループの歴史においてもっともつよい主人公を描いている、と評価できる。グループがブレイクするまえにこの逸材の喪失が決定づけられたことは、まさしく失望にほかならない、と云えるのではないか。

 

総合評価 65点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 17点

演劇表現 8点 バラエティ 13点

情動感染 14点

STU48 活動期間 2017年~2020年

 

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