STU48 磯貝花音 評価

磯貝花音(画像中央)(C)STU48

「竜の舞踏」

まるで、ローマの歴史書に描かれる挿絵世界の住人のような色彩を放つ。核心にまっすぐ踏み込むシンメトリックな瞳、鋭い指、長い黒髪、それが竜のように滑らかに力強く動きだす。激動を生き抜くための確かな鼓動を感じる。彼女の舞姿は観る者の脳裏に独特なしるしを刻む。それが火傷の痕のように疼く。

磯貝花音というアイドルは、少女特有の生硬さと共に生来の怜悧を無邪気に発散するため、感情の発見や自問自答の終着を他人に付与し活力を与えるが、同時に、言語への独りよがりな解釈が想像力の欠如に映る場面も多い。アイドルとしてあるべき姿=偶像への固執が”沈黙を与える正論”を作る理由は想像力の欠如が原因だろう。意味のある言葉を発しようとする心がけや姿勢は、自身の言葉を核心を付く鋭い槍に変質させることが可能だが、言葉というものに無自覚であればあるほど、その槍は核心という的からおおきく外れ、対象を傷つけてしまう。磯貝花音が発する言葉の数々は正論に満ちている。正論をぶつけられた相手はその場で黙り込むか、立ち去るしかない。

僕は二本の缶ビールを飲んでしまうと、空缶をひとつずつ、かつては海だった埋立地に向けて思い切り放った。空缶は風に揺れる雑草の海の中に吸い込まれていった。それから僕は煙草を吸った。煙草を吸い終わる頃に、懐中電灯を持った男がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。男は四十歳前後で、グレーのシャツとグレーのズボンをはいて、グレーの帽子をかぶっていた。きっと地域施設の警備員なのだろう。
「さっき何かを投げていたね」と男は僕の脇に立ってそう言った。
「投げたよ」と僕は言った。
「何を投げたんだ?」
「丸くて、金属でできていて、ふたのあるものだよ」と僕は言った。
警備員は少し面喰らったようだった。「何故投げたんだ?」
「理由なんてないよ。十二年前からずっと投げてる。半ダースまとめて投げたこともあるけど、誰も文句は言わなかった」
「昔は昔だよ」と警備員は言った。「今はここは市有地で、市有地へのゴミの無断投棄は禁じられてる」
僕はしばらく黙っていた。体の中で一瞬何かが震え、そして止んだ。
「問題は」と僕は言った。「あんたの言ってることの方が筋がとおってることなんだよな」

村上春樹「羊をめぐる冒険」

言葉とは感情の前に発生するものだと自覚しているアイドルが(日本人が)果たしてどれだけいるだろうか。
人は、「嬉しい、楽しい、大好き」という感情が心に、身体中に発生したから「嬉しい、楽しい、大好き」と言葉にして表に、外の世界に溢すのではない。「嬉しい、楽しい、大好き」という「言葉」が自分の中で創られた後に、その感情を抱くのである。言葉に意識的にならないかぎり、感情よりも前に「感情を説明する言葉」を表現として、仕草や立ち居振る舞いに現すことはできないだろう。乱暴に云ってしまえば、言葉に無意識なアイドルは一つの振り付けで「嬉しい」という一個の表情しか持てないが、言葉に意識的なアイドルは、「嬉しい、楽しい、大好き」と多彩な舞姿、表情を身に纏うことが可能であり、表現が豊かで奥行きがあればあるほど、伝えたいと想う心に伝わるようになる。過酷なダンスレッスンを重ね、テクニックを磨いたアイドルが、デビューをしたばかりのアイドルに表現力で圧倒される光景が間断なく作られる理由に、日常における「言葉」への意識の差があるのは間違いない。
そして、この話題にはさらに「そのさき」の領域がある。

「からだの隅から隅まで、心の隅から隅まで、全部言語でできてるんだな。
隅から隅まですべて言語でできているはずなのに、ところが稀にそこから漏れるものがあるんだよ」
「それは『言葉にならない気持ち』ってやつじゃないの」
「言葉にならない気持ち」と言ってしまうと、気持ちが先にそれを言葉にしていくみたいなことになってしまう。みんなたいていそう思っているけれど本当は逆で、気持ちよりも先に言葉がある。恋愛なんていうのはその最たるもので、人は自分の気持と呼べる以前の、方向や形の定まっていない内的なエネルギーを恋愛という既成の形に整えていく。そういう風に人間は言語が先立つ動物のはずなのに、その言語から気持ち以前の何かが洩れているようなことを感じることがあって、自分には十一月のこの季節がそうなんだ」

保坂和志「季節の記憶」

磯貝花音のライブ表現には、この気持以前に”洩れている何か”がある。寒さを運んでくる雨のような”何か”が。それは一握りのアイドルだけが放つことを可能にする「異物感」と同質のものかもしれない。はじめて『暗闇』のライブ・パフォーマンスを観たとき、舞台装置上でもっとも異物感のある手触りを残したのは、センターポジションに立つ瀧野由美子でも、西野七瀬とのシンクロニシティを想わせる岩田陽菜でもなく、磯貝花音であった。やや押し付けがましい、芝居じみた表情、その滑稽な横顔がライブ会場から去ったあとも、付いて離れなかった。火傷の痕のように疼く。気持以前に”洩れている何か”がたしかにあった。言葉に無自覚なアイドルが、言葉に意識的なアイドルのみが到達できる領域(例えば齋藤飛鳥のようなきわめてブッキッシュな人物が棲む場所)に、段階を飛び越えて到達してしまっている。これはもう「天分」と云う外ないだろう。シーンのトレンドに迎合した論評(科白)を用いるのならば、黒い羊を演じた欅坂46のアイドルたちと同じように、磯貝花音も「芝居」によって、唄うこと、踊ることを仮装しているのだ。この再現不可能な未成熟さ=豊かな可能性は、未だ遭遇しないファンを魅了することになると予感する。自身が体験して得た答えこそが絶対的な真理とし、それをそのまま”マイフィロソフィー”として昇華するような磯貝花音の立ち居振る舞いは、一歩間違えれば固陋という壁にぶつかるリスクを孕むものの、期待値、胎動という観点に立てば、間違いなくトップアイドルの資質と評価できる。「磯貝花音」は所属するグループのなかでもっとも主人公感のあるアイドルと云える。

 

総合評価 68点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 17点

演劇表現 10点 バラエティ 13点

情動感染 14点

STU48 活動期間 2017年~

評価点数の見方