STU48 磯貝花音 評価

STU48

「竜の舞踏」

 

ローマの歴史書に描かれた挿絵世界の住人のようなビジュアルである。黒髪でシンメトリックな瞳と長い四本の指。それが竜のように滑らかに力強く動き出す。その舞姿は観る者の脳裏に独特なしるしを刻むことだろう。

STU48のライブで表題曲である暗闇のパフォーマンスをはじめて観た時、最も印象に残ったのはセンターの瀧野由美子ではなく、磯貝花音であった。ただし、その日に書いたメモには”磯貝花音、ライブ表現、悪目立ち”と記されている。しかし、その後、私は時折、ふとしたなにかのきっかけでその磯貝花音の表情をくり返し思いだすようになり、いつの間にかそれをひとつの価値のある光景として創造するようになってしまった。つまり、平易に表現するならば、自分が最初に抱いたイメージが誤りであった、と気付かされたのである。この「気付かされる」という誘導力は、アイドルにとってひとつの資質と評価できるだろう。それも特別で格別な資質である、と。

感情の発見や自問自答の終着を他人に付与するということは、活力を与えるということでもある。
もちろん、それは無自覚な資質であるだろう。狙ってできるような類のものではない。
無自覚という点ではもうひとつ、磯貝花音についてまわる問題がある。それは磯貝の発する「言葉」についての無自覚さ、無意識さである。

言葉をしっかり選んで、考えて話す。それだけで言葉に意識的かといえば、決してそんなことはない。
言葉に意識的になる、それは自分が発した言葉が誤解や無理解、黙殺というトンネルを潜り抜け、対象の心にどのような波紋を広げるのか、常に想像力を働かせることである。誤解を避け、理解を得ようとする、それだけでは言葉に意識的とは言えない。それを意識的と捉えてしまう人間こそ、言葉に対し無意識で想像力の欠如した人間と云えるだろう。

磯貝花音の場合、怜悧であるがゆえに、その無自覚さが目立ってしまうのである。意味のある言葉を発しようとする心がけや姿勢は、言葉を相手の核心を付く槍のようなモノに変質させることが可能だが、言葉というものに無自覚であればあるほど、その槍は核心という的からおおきく外れ、対象を傷つけてしまう。現在の磯貝花音にはこの傾向が強く覗える。
正論だと感じた言葉を並べ続けるのは、自己にある種の安心感をもたらすかもしれないが、その防衛本能を剥き出しにした姿に人が魅了されるか、と問われたら答えは勿論ノーである。
磯貝花音が発する言葉(大仰に表現すれば思想)の数々は正論に満ちている。正論をぶつけられた相手はその場で黙り込むか、立ち去るしかないだろう。

僕は二本の缶ビールを飲んでしまうと、空缶をひとつずつ、かつては海だった埋立地に向けて思い切り放った。空缶は風に揺れる雑草の海の中に吸い込まれていった。それから僕は煙草を吸った。
煙草を吸い終わる頃に、懐中電灯を持った男がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えた。男は四十歳前後で、グレーのシャツとグレーのズボンをはいて、グレーの帽子をかぶっていた。きっと地域施設の警備員なのだろう。
「さっき何かを投げていたね」と男は僕の脇に立ってそう言った。
「投げたよ」と僕は言った。
「何を投げたんだ?」
「丸くて、金属でできていて、ふたのあるものだよ」と僕は言った。
警備員は少し面喰らったようだった。「何故投げたんだ?」
「理由なんてないよ。十二年前からずっと投げてる。半ダースまとめて投げたこともあるけど、誰も文句は言わなかった」
「昔は昔だよ」と警備員は言った。「今はここは市有地で、市有地へのゴミの無断投棄は禁じられてる」
僕はしばらく黙っていた。体の中で一瞬何かが震え、そして止んだ。
「問題は」と僕は言った。「あんたの言ってることの方が筋がとおってることなんだよな」

 

(村上春樹「羊をめぐる冒険」)

 

正論が常に正しいとは限らない、という視点。これは言葉に対する美意識から生まれる。

何故、ここまで言葉について執拗に言及するのか?それは、アイドルのライブ表現力のひとつに関わる重要な問題だからである。言葉とは感情の前に発生するものだと自覚しているアイドルが(日本人が)果たしてどれだけいるだろうか。

人は、「嬉しい、楽しい、大好き」という感情が心に、身体中に発生したから「嬉しい、楽しい、大好き」と言葉にして表に、外の世界に流し出すのではない。「嬉しい、楽しい、大好き」という「言葉」が自分の中で創られた後に、その感情を抱くのである。
言葉に意識的にならないかぎり、感情よりも前に「感情を説明する言葉」を表現として、仕草や立ち居振る舞いに現すことはできないだろう。乱暴に云ってしまえば、言葉に無意識なアイドルは一つの振り付けで「嬉しい」という一個の表情しか持てないが、言葉に意識的なアイドルは、「嬉しい、楽しい、大好き」と多彩な舞姿、表情を身に纏うことが可能であり、表現が豊かで奥行きがあればあるほど、伝えたいと想う心に伝わるようになる。

そして、この話題にはさらに「その先」の領域がある。

「からだの隅から隅まで、心の隅から隅まで、全部言語でできてるんだな。
隅から隅まですべて言語でできているはずなのに、ところが稀にそこから漏れるものがあるんだよ」
「それは『言葉にならない気持ち』ってやつじゃないの」
「言葉にならない気持ち」と言ってしまうと、気持ちが先にそれを言葉にしていくみたいなことになってしまう。みんなたいていそう思っているけれど本当は逆で、気持ちよりも先に言葉がある。恋愛なんていうのはその最たるもので、人は自分の気持と呼べる以前の、方向や形の定まっていない内的なエネルギーを恋愛という既成の形に整えていく。そういう風に人間は言語が先立つ動物のはずなのに、その言語から気持ち以前の何かが洩れているようなことを感じることがあって、自分には十一月のこの季節がそうなんだ(略)

 

(保坂和志「季節の記憶」)

わたしが磯貝花音のライブ表情に感じたものこそ、この気持以前に”洩れている何か”ではなかったのか、と想う。それは一握りのアイドルだけが放つことが可能な異物感と呼べるかもしれない。
言葉に無自覚なアイドルが、言葉に意識的な人間のみが到達できる領域に、段階を飛び越えて到達してしまっている。これは「才能」と云うほかないだろう。この再現不可能な未成熟さがファンを魅了するのである。

自身が体験して得た答えこそが絶対的な真理とし、それをそのまま「マイフィロソフィー」として昇華するような磯貝花音の立ち居振る舞いは、一歩間違えれば固陋という壁にぶつかるリスクを孕むものの、期待値という予感、胎動という観点でいえば、間違いなくトップアイドルの資質と評価できる。

 

総合評価 72点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 17点

演劇表現 10点 バラエティ 15点

情動感染 14点

 

評価更新履歴
2018/10/28 ライブ表現 18→17 バラエティ 14→15

STU48 活動期間 2017年~

評価点数の見方