STU48 風を待つ 評判記

「風を待とう」
歌詞、楽曲、ミュージックビデオ、ボーカルについて、
STU48のセカンドシングル。センターは瀧野由美子。
前作『暗闇』から作風がおおきく変わっている。というよりも、作風の転換を強いているように感じる。”アイドルポップスらしさ”のようなものから抜き出た前作に対し、今作品は、踊ること、をテーマにしている。アイドルのダンステクニックに重きを置く、ダンスに注力する、価値を見出す、という姿勢を打ち出すことでグループにイロをつけようとするような、グループアイドルらしさへの過剰な追究をはじめている。ただ、ダンスに価値を見出す、これは説明するまでもなく、まったく目新しい試みではないし、むしろこのグループにあっては隘路にも見える。たとえば、センターで踊る瀧野由美子だが、主人公でありながら、グループの動きから置き去りにされてしまっているようにみえる。これからグループの魅力を打ち出そうとする矢先に、肝心の主人公とグループの魅力にズレがあるようでは……。
楽曲そのものについて云えば、「風」という季節の匂いにつながるイメージに、まだ瑞々しさの残るアイドルの横顔が丁寧に重なっており、なおかつ、グループアイドルの闘争部分を優美さで覆い隠そうとする物語が語られているため、それなりに感興がある。ボーカルも良い。前作で投げつけたぎこちなさは拭われている(今作品以降、STU48の得物として、円盤の内に保存されるアイドルの歌声が挙げられるようになる)。たしかに、繰り返し聴いても飽きない。なによりも、グループの航路が定まりつつあると同時に、アイドルを演じる少女のそれぞれが、個々に、自身の作るアイドルのアイデンティティの模索を開始している点にスリルを感じる。
しかしまた、前作『暗闇』で到達した閾に向ける憧憬が強すぎるのか、眼前に立つ、足踏みするアイドルに抱く期待感は、音が鳴りはじめると、アイドルが『風を待つ』を歌いはじめると空振りしてしまう。まず、とにかくアイドルの笑顔の硬直が目立つ。その所為か、どうしてもあたらしく描かれる光景よりも、置き去りにされてしまったものの方へ意識が向いてしまう。この錯綜が『風を待つ 』で描く颯爽と疾走感をぶち壊しにしてしまっている。グループアイドル=狭い路地を全力で走り抜けるのならば、真剣な表情が望まれるのだろうし、潮の香りを運ぶ風を全身に受けるのならば、やはり眠るような微笑をみせるべきなのだろう。
書き出しに置かれた、「さっき見てた夢を思い出せない すぐ消えてしまって切なくなるんだ」という描写が『暗闇』からの転換を示唆し、しかもそれが再現不可能な「夢」であったと告白している点は、なかなかおもしろい。また、2作品目にして、作詞家・秋元康がすでに別荘(STU48)での暮らしに倦みをいだき、作詞家の想念が都会の喧噪に恋い焦がれているのには、おもわず苦笑してしまう。*1
ライブパフォーマンスについて、
ミュージックビデオで披露した「笑顔の硬直」が、ライブステージの上でも終始、全面に押し出されており、アイドルの表現のすべてが空転している。揺きのない笑顔が置かれているせいでダンスのキレさえも滑稽に映ってしまうのだから、取り返しがつかない。準備された振り付けの難易度が高すぎたのだろうか、『暗闇』で表現した情感が損なわれており、前作からの連なりを感じない。ただ、このグループはライブパフォーマンスに秀でた”タレント”揃いであるようだから、様々なステージの上で楽曲を演奏していく過程においてアイドルのそれぞれが物語性を得ていくのだろう、と期待を持つことは可能。
総合評価 62点
再聴に値する作品
(評価内訳)
楽曲 15点 歌詞 13点
ボーカル 13点 ライブ・映像 8点
情動感染 13点
引用:見出し、*1 秋元康/風を待つ
歌唱メンバー:石田千穂、石田みなみ、磯貝花音、市岡愛弓、今村美月、岩田陽菜、岡田奈々、沖侑果、甲斐心愛、門脇実優菜、瀧野由美子、田中皓子、土路生優里、中村舞、福田朱里、薮下楓
作詞:秋元康 作曲:大河原昇 編曲:若田部誠