STU48 石田千穂 評判記
「私だけの世界がいい」
石田千穂、平成14年生、STU48の第一期生であり、2代目センター。
グループアイドルにおける序列闘争の場を華麗に、したたかに生き抜き、やがて「センター」を我が物にする、一つのアイドルグループのアイデンティティを決定づける、という、「闘争心」がアイドルをもっとも晴れやかに美しく、もっとも強く飛翔させることの極北を形作ったメンバーだという点に鑑みれば、STU48のエースであると同時に、AKBグループの新時代の傑作、マスターピースと認めるべきかもしれない。
新アイドルグループ・STU48の立ち上げに際し詩作における新局面、これまでにやろうとしたけれどできなかったこと、へのチャレンジに踏み込んだ秋元康の、その試弾となって放たれたのがメジャーデビューシングル『暗闇』なのだが、同表題作においてセンターポジションに選ばれたのは瀧野由美子であり、石田千穂が配されたのは最後列だった。瀧野由美子、岩田陽菜、門脇実優菜、藪下楓の4名が、デビュー・初期の作り手が見出したSTU48の軸であり、石田は作り手の憧憬には含まれていなかった。
石田が表題作のセンターに立つのはデビューから3年後、6枚目シングル『独り言で語るくらいなら』の制作を待つことになるが、しかし彼女が頭角を現したのはセンターに抜擢されたことに端を発するわけではない。アクターズスクール広島出身という肩書を持ってアイドルの扉をひらいてからセンターに立つその日まで、グループにおける石田の存在感はつねに、不動のセンターである瀧野由美子を脅かすものであった。
ここに生じる矛盾が石田千穂という人の「特筆」であり、作り手の内に何者にも負けない憧憬を根ざすことがなかった石田のことを、正直に云えば、あまりパッとしない、とても華があるようには見えないその少女のことをSTU48の将来のエース、STU48のイロを決定づける存在だと確信し行動してきたのがほかならない彼女のファンであるという点、センター、写真集、ソロコンサートなど、ファンが想像し期待した未来=キャリアをアイドルがそのとおり入手した、という点、アイドルファンのありふれた妄執にしか感じられなかったものが現実を形作った点、ファンの評価がそのままアイドルの実力・魅力に還元されているかのように思えるほど、ファンの声量に押しつぶされることのない才能を備えている、という点に石田千穂の本領がある。
ゆえに同業者、またファンのあいだでもその評価、言わば好悪を大きくわけるアイドルだが、そうした、アイドルとファンの関係性、を訝しむのはアイドルの本質から遠ざかる行為かもしれない。
注目すべきは、なぜ石田千穂は眼力の確かなファンにその才能を見出され、ついには作り手の憧憬に割り込んだのか、この点にあるはずだ。私が考えるに、その希求力の行き着くところはやはり、踊り、ではないか。
この人は、しなやかで、悠揚せまらざる踊りを編む。どれだけ幼稚で粗雑な振り付け、独りよがりで難解な振り付けであっても、石田千穂が踊れば、作品になる。
性格の勝気さ、野心とナルシシズムの一致したその踊りは、たとえば『無謀な夢は覚めることがない』において他の多くのアイドルを「凡庸」へと突き落とし、多くのアイドルファンがいつの間にか忘れていたもの、ステージの上で躍るアイドルを眺めることでその魅力に囚われるという今日のシーンにあって埋没したアイドル観を、瑞々しい、目新しい魅力としてあらためて打ち出している。
この石田千穂の資質をして、もはや光の薄くなったAKB48という星にあってもなお強く輝ける「希望」と扱い、坂道シリーズの魅力を数え上げ無謀にもそのすべてを模倣しようと試みることで、演技とダンスのいずれも一定の水準になければ「アイドル」として認めるべきではないという厳しい基準をSTU48は打ち立てた。
その意味では、STU48のみならずAKBグループに所属する若手アイドルの多くは、この「石田千穂」の横顔に学び、アイドルを組み立て、夢を育むべきかもしれない。
とはいえ、私が石田千穂というアイドルにもっとも強く引かれる点は、そうした「希望」がいかなる形をとってもアイドルとしての「希望」の枠を出ない虚しさ、暗さにあるのだが。
たとえば齋藤飛鳥を主演に据え次のほんとうの夢へのチャレンジを描いた『ここにはないもの』の構図を模倣した、石田千穂のセンター楽曲『息をする心』のミュージックビデオが顕著だが、乃木坂の作品とほとんど変わらないシチュエーションを乃木坂ではないアイドルが演じると、希望の光りではなく暗闇が広がる。
現在のAKBグループにあっては、アイドルの先にある夢を、アイドルを演じる日々のなかで思い描くことにどれだけの意味があるのだろうか、疑念が拭えない。あるいは、救いという活力を与えるべきアイドル自身に救いがないことこそ、鑑賞者にとっては救いなのかもしれないが。石田の踊りは、横顔は、この、救いのなさ、を教える。救いがない、今、自分が打ち込んでいるものがなんら自分の未来に貢献しないだろうという予感のなかで、なにかをつくる、なにかを物語ることこそアートと呼ぶべきなのだが。
総合評価 74点
アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物
(評価内訳)
ビジュアル 14点 ライブ表現 17点
演劇表現 14点 バラエティ 14点
情動感染 15点
STU48 活動期間 2017年~
2023/04/03 本文と評価を一新しました(初出 2018/11/25)