欅坂46 平手友梨奈 評価

欅坂46

平手友梨奈(C)street Jack 12月号/ベストセラーズ

「自我の喪失を描く」

平手友梨奈、平成13年生、欅坂46のオープニングメンバーであり、初代センター。
現在、最も嘱望されているアイドル、時代の寵児と云っても良い。きわめて突出した境遇の持ち主であり、再現性の観点において、今後、平手友梨奈を継承するアイドルが登場するシーン、グループの歴史を転換させる場面への想像を獲得することは叶わない。『1Q84』において村上春樹は芥川賞を”つくられた賞”と扱ったが、若しもアイドル界に文壇とおなじような”賞”が溢れていたら、彼女は眼の前に並べられたそれらの賞を総嘗めにしたことだろう。平手友梨奈の登場とはアイドルに”ほとんど”関心のなかった人々の心を掴んで揺さぶる出来事であった。彼女の「屈託」と「不適切な行動」を眺めた観客から贈られる賛辞と揶揄とは、現代のアイドルシーンが抱える病弊と緊密に絡むクリティークであり、それは彼女がグループアイドルではなく、”グループから切り放された”アイドルであることの証明になっている。(*1)

枠にはまった平凡な人にとっては、自分こそ非凡な独創的な人間であると考えて、なんらためらうことなくその境遇を楽しむことほど容易なことはないのである。ロシアの令嬢たちのある者は髪を短く切って、青い眼鏡をかけ、ニヒリストであると名乗りをあげさえすれば、自分はもう眼鏡をかけたのだから、自分自身の《信念》を得たのだとたちまち信じこんでしまうのである。…またある者は、何らかの思想をそのまま鵜のみにするか、それとも手当たりしだいに本の一ページをちょっとのぞいてみさえすれば、もうたちまちこれは《自分自身の思想》であり、これは自分の頭の中から生まれたものだと、わけもなく信じこんでしまうのである。…この無邪気な厚かましさ、この自己とその才能を信じて疑わない愚かな人間の信念は、ゴーゴリによってピロゴフ中尉という驚嘆すべき典型のなかにみごとに描きだされている。ピロゴフは自分は天才である、いや、あらゆる天才の上に立っているということを、一度として疑ったことはないのである。

ドストエフスキー/白痴

現在の平手友梨奈を囲繞する声量。大衆が平手友梨奈を揶揄し、茶化した結果として、彼らの目の前に立ち現れるアイドル像は、このピロゴフ中尉に外ならない。

純文学とエンターテイメントの境界線が曖昧になった昨今の文壇の焦りと現在のアイドル界が抱える悩みは似ている。AKB48が完成させた、心地の良い自己完結した群像劇、アイドルのグループアイドル化に歪みが生じ、多様性が氾濫し、牙を向ける必要のない分野の猛者を敵に回す結果となったアイドル界が”平手友梨奈”の名前を掲げることで、辛うじてそのレーゾン・デートルを保とうと試みているのである。彼女を囲繞する過剰な賛辞は次第に彼女から現実的な感覚をもぎ取る。妄想の翼が大きく羽ばたき、アイドルとして歩むべき道が歪められてしまった。アイデンティティを獲得する前段階にあった少女は、”アイドル”を演る時間の流れのなかで、自身を何者かに選定する動機を攫めなかった。しかし、平手友梨奈は我々の危惧を、常識を毀損するかのように、自身を虚構の中に創り上げたアイドルに投射し、そこに立ち現れた”架空の登場人物”を確立させようと、あるいは自我そのものを不成立にしてしまおうと企み、抗っているのである。皮肉にも、周囲にとっては、その果てしもない空虚の底に落ち込んだような悶えが神秘となって映しだされる。しかし、大衆とは神秘という奇跡に対し、身勝手に身をゆだねた光に対し、不要な猜疑心を抱くのが常である。この疑念が彼女をピロゴフ中尉にかさねていく動機なのかもしれない。だが、むしろ、私は平手友梨奈に神秘を感じたことはない。私が彼女から感じるのは、リアリティーを孕んだ逼迫性である。

『貧しき人々』を発表したドストエフスキーは時代の寵児として文壇デビューを果たす。彼は、「生活に行きづまり、自殺を思いながら書いた処女作で、一躍文壇の寵児となった。だが常に自分が話題の中心でなければ満足せず、賛辞に飢え、自らの才能を誇り、自意識過剰で、会話も立ち居振る舞いも不細工だったために、ペテルブルクの知的サークルの笑い者、嫌われ者になった。微温的な革命グループと交際をし、そのために警察に逮捕され、死刑判決を受け処刑台に立たされた。」銃殺刑である。彼は練兵場で待機列に並ばされるが、刑の執行直前に、一人の使者の登場によって銃殺を免れる。刑の執行まで残り数分であったという。(*2)
文学史に名を刻む資質をもった作家がこのような個人的体験に遭遇した意味は、計り知れない。この経験は、彼の作品に色濃く反映される。『白痴』においては、その情景がきわめてリアルに描写されている。「『もし死なないとしたらどうだろう!もし命を取りとめたらどうだろう!それはなんという無限だろう!しかも、その無限の時間がすっかり自分のものになるんだ!そうなったら、おれは一分一分をまる百年のように大事にして、その一分一分をいちいち計算して、もう何ひとつ失わないようにする。いや、どんな物だってむだに費やしやしないだろうに!』」。平手友梨奈も”彼”と同じような個人的体験に遭遇している。遭遇してしまった。この自意識に束縛された自由の獲得によって、彼女が提示する”平手友梨奈”の立ち居振る舞いや仕草、つまり表現力が他のアイドルの追随を許さない領域に到達したことは、やはり、アイロニー(宿命)と云うべきだろうか。そして、そのアイロニーは、思考の経験を与えるフィクティブな批評を作らせる原動力にもなっている。(*3)

自意識ばかりが鋭敏になり、自分が何者なのか、何が欲しいのか、何をやるべきなのか一切分からず、自分を持て余しながら、どうしようもない衝動だけはふんだんに抱えている厄介者たちの、無益だが深刻な苦闘の劇…彼らの屈託を、不適切な行動を、笑えばいいのだ。それは、あなた方の姿そのものなのだから。

福田和也/ろくでなしの歌「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー」

 

総合評価 81点

現代アイドル史に名を残す人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 20点

演劇表現 17点 バラエティ 12点

情動感染 17点

欅坂46 活動期間 2015年~

引用:(*1) (*2) 「」福田和也/ろくでなしの歌
(*3)「」 ドストエフスキー/白痴

評価更新履歴
2019/1/21  演劇表現 16→17
2019/4/23 加筆しました

評価点数の見方