欅坂46 平手友梨奈 評価

欅坂46

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「他の追随を許さない次世代アイドル」

欅坂46のオープニングメンバーであり、現在、最も嘱望されている若手アイドルである。時代の寵児と云っても良い。
再現性という意味では「平手友梨奈」を継承するアイドルが今後現れることは、まずないだろう。それだけ突出した境遇の持ち主である。『1Q84』において村上春樹は芥川賞を”つくられた賞”とした。もしも、アイドル界に文壇とおなじような「新人賞」が溢れていたら、彼女は、その賞を総嘗めにしたことだろう。

 

枠にはまった平凡な人にとっては、自分こそ非凡な独創的な人間であると考えて、なんらためらうことなくその境遇を楽しむことほど容易なことはないのである。ロシアの令嬢たちのある者は髪を短く切って、青い眼鏡をかけ、ニヒリストであると名乗りをあげさえすれば、自分はもう眼鏡をかけたのだから、自分自身の《信念》を得たのだとたちまち信じこんでしまうのである。(略)またある者は、何らかの思想をそのまま鵜のみにするか、それとも手当たりしだいに本の一ページをちょっとのぞいてみさえすれば、もうたちまちこれは《自分自身の思想》であり、これは自分の頭の中から生まれたものだと、わけもなく信じこんでしまうのである。(略)この無邪気な厚かましさ、この自己とその才能を信じて疑わない愚かな人間の信念は、ゴーゴリによってピロゴフ中尉という驚嘆すべき典型のなかにみごとに描きだされている。ピロゴフは自分は天才である、いや、あらゆる天才の上に立っているということを、一度として疑ったことはないのである。

(ドストエフスキー「白痴」)

現在の平手友梨奈を囲繞する声量。大衆が平手友梨奈を揶揄し、茶化した結果として、彼らの目の前に立ち現れるアイドル像は、このピロゴフ中尉に外ならない。

純文学とエンターテイメントの境界線が曖昧になった昨今の文壇の焦りと現在のアイドル界が抱える悩みは似ている。多様性が氾濫し、牙を向ける必要のない分野の猛者を敵に回す結果となったアイドル界が「平手友梨奈」の名前を掲げることで辛うじてそのレーゾン・デートルを保とうと試みているのである。彼女を囲繞する過剰な賛辞は次第に彼女から現実的な感覚をもぎ取る。妄想の翼が大きく羽ばたき、アイドルとして本来進むべき道が歪められてしまった。それは、自我同一性を獲得する前段階である少女のアイデンティティの発露の場が損なわれてしまったとも捉えられる。しかし、平手友梨奈は我々の危惧を、常識を毀損するかのように、自身を虚構の中に創り上げたアイドルに投射し、そこに立ち現れた「影」を確立させようと、或いは不成立にしてしまおうと抗っているのである。そして皮肉にも、周囲にとっては、その悶えが「神秘」となって映しだされるのである。しかし、大衆とは神秘という奇跡に対し、不要な猜疑心を抱くものである。その疑念が彼女をピロゴフ中尉にかさねていくのだろう。
だが、むしろ私は平手友梨奈に神秘を感じたことはない。私が彼女から感じるのは、リアリティー(迫真)を孕んだ独自性である。

処女作『貧しき人々』を発表したドストエフスキーは時代の寵児として文壇デビューを果たす。しかし、その直後に政治犯として逮捕され、死刑判決を受ける。銃殺刑である。彼は練兵場で待機列に並ばされるが、刑の執行直前に、一人の使者の登場によって銃殺を免れる。刑の執行まで残り数分であったという。文学史に名を刻むべき資質をもった作家がこのような個人的体験に遭遇した意味は、計り知れない。この経験は、彼の作品に色濃く反映される。『白痴』においては、その光景がきわめてリアルに描写されている。
平手友梨奈もドストエフスキーと同じような”個人的体験”に遭遇している。遭遇してしまった。その体験によって、彼女が作り上げる「平手友梨奈」の表情や仕草(表現力)が他のアイドルの追随を許さない領域に到達したことは、やはり、皮肉(宿命)と云うべきだろうか。

 

総合評価 80点

現代アイドル史に名を残す人物

(評価内訳)
ビジュアル 15点 ライブ表現 20点

演劇表現 17点 バラエティ 9点

情動感染 19点

 

 欅坂46 活動期間 2015年~

評価点数の見方