HKT48 指原莉乃 評価

HKT48

Rino Sashiharaさん(@345insta)がシェアした投稿

 

「この世界の片隅に」 

典型的な機会主義者であるが、俗悪な個性と強運の持ち主でもある。指原莉乃は前田敦子、大島優子につづく「女王」だが、先代のイデオロギーは継いでおらず、アイドルとしてよりも「お笑いタレント」としての存在感の方が大きい。後世、現代アイドル史を振り返った際に、アイドル・指原莉乃の成功と孤立は、AKB48の誕生によって形成されたアイドル=グループアイドルという概念の外郭にヒビを入れアイドル=ソロアイドルへと時代を回帰させる転換点になった、と評価できる可能性があったが、同時代に平手友梨奈大園桃子が出現したことにより、ついえた。

指原莉乃の成功は、彼女の”ウィット”に因るものだが、それ以上に、”時代”を味方にできた点がおおきい。『電車男』や『転生したらスライムだった件』などのライトノベルが文学者からも評価される理由は(作品そのものに文学的な価値があるとは言えないが)、インターネット独自の文化を後世の人間が研究するうえで、文学的な価値を孕んでいる点にある。これらの作品は時代を反映し、象徴する読物と呼べるが、時代を先回りする作品ではない。タイミングが違えば、アイデアを先に出されたら、世に出回ることがない類の作品であり、まさに、時代を味方にした、と云える。指原莉乃も同じように、インターネットという筐体をジュークボックスにし、観者の情動を引き起こすことにアイドルとして”はじめて”成功したのである。情報に囲繞されたアイドルが、その情報の雨にどのように打たれ、それをどのように利用したのか、立回ったのか、指原莉乃は、その研究対象として価値のある物語を書いた、と云える。指原莉乃以降、恋愛スキャンダルを起こし、それを人気へと転換させたアイドルは存在しない。それは、”彼女たち”に指原莉乃が備え持つ、俗悪さとウィットが不足しているからではなく、指原莉乃のような時代を味方にする”強運”を生まれ持っていないからである。そして、いつの時代でも、どの世界でも、時勢(運)を味方にできた人間は大衆に惚れられるものである。また、歴史に名を刻み込む統治者とは、いつの時代でも、どの世界でも、大衆に惚れられて運の女神にも愛される人間を敵に回すなどという愚かな選択は、絶対にしない。

指原莉乃のアイドルとしての実力と評価が、彼女が固執するAKB48や現在最も高い人気と資質を持つ乃木坂46に所属するアイドル等の足元にも及ばないことは、滑稽というよりも、悲劇であるが、「お笑いタレント」としてみた場合、アイドル史において指原莉乃を超える「経歴」をつくり出すアイドルは、今後、現れることは決してないだろう。手にしたいものはすべて手にしてきたかのような、圧倒的に豪華なキャリアである。文句の付け所がない。バラエティの評価基準を、笑いだけではなく、喜怒哀楽すべての表情、と定めているが、そのような基準を遥か後方に置き去りにしてしまうような、大物タレントと云える。

しかし、指原莉乃にとって本当に欲しいものは、この先も絶対に手に入らないのではないか、と私は想う。指原莉乃が本当に欲しいもの、それは「AKB48・指原莉乃」である。人は、季節の記憶というノスタルジーの訪問に打ち勝つことは、できない。どれだけ孤独を飼いならした人物でもその訪問には、心を激しく揺さぶられる。どれほど強く郷愁を抱いても、”指原莉乃はHKT48というアイドル界の片隅に骨を埋めるしかない”という事実に、彼女の孤独、孤立を感じてしまうのだ。もちろん、それは、外のだれよりも、彼女自身が深く理解しているはずだ。

 

総合評価 56点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)
ビジュアル 9点 ライブ表現 10点

演劇表現 4点 バラエティ 20点

情動感染 13点

 

・HKT48 活動期間 2007年~

評価点数の見方