日向坂46 ってか 評判記

「ってか」
ミュージックビデオについて、
日向坂46の6枚目シングル。センターには金村美玖が立つ。
このアイドルグループの「良さ」とは、やはりダンスにあるのだろう。現在グループに所属する少女の多くが平手友梨奈の背中を間近で眺めアイドルを育んだ経験を持っているのだから、当然と云えば当然なのだが。彼女たちは、ダンスにおけるテクニカルな部分と演劇の要素、このふたつの調和バランスが素晴らしい。今映像作品は、このダンスの良さを活かした作りになっている。
アイドルの「踊り」とは闘争にほかならない。『ってか』は、相対する敵が、自分自身なのか、自分とはまったく異なる物体なのか、わからないが、そのなにものかとの闘いを踊り=物語として語っており、映像のエクリチュールにしっかりとした結構がある。
グーテンベルクの銀河系に従えば、ある物語においてその登場人物のなかに主体を定めることによってはじめて「個」の発揮が叶う、つまりグループアイドルにたとえるならばセンターを主体とする物語にこそ求心性が宿るはずだが、今作品は一度触れてみればわかるとおり、主人公(小坂菜緒)の不在をテーマとしており、主体を欠如している。いや、そうしたテーマに倒れ込まざるを得なかったようにうかがえる。主人公が不在するなかで、いまの自分たちには一体なにができるのか、という戦いを描いているのだろう。圧倒的だった主人公、その不在によって招くはずの求心性の欠如も、グループアイドルならば話が変わる。頼りない、弱々しい平凡なアイドルの横顔にも求心力が宿る、それがグループアイドルの魅力の一つである。世界観そのものはけして目新しいわけではなく、アイデアに乏しいものの、グループの物語を反映しており、なかなか完成度は高いようにおもう。作品がしっかりと両足で立っている。
ただ、色使いがあまりにも単調に感じる。過去の映像作品と同じテーブルの上に並べた際に、どれもこれも同じに見えてしまう。『ドレミソラシド』以降、あるいはより正確に云えば『青春の馬』のヒット以降、グループのイロに確信がもてたのか、あるいは慢心してしまったのか、似たような色使い、筆使いをした作品が多すぎる。ヴィヴィッドに対し無関心すぎ、辟易する。もちろん、変えるよりも変えないことのほうがよりむずかしい。センターを取り替えても、グループの世界観に傷を付けたくない、という姿勢、試みにおける代償だと好意的に捉えるべきなのだろうが、それにしてもあまりにも画一的である。世界観の共有に文句はない、だがここまで似たりよったりの映像がつづくとさすがに飽きてくる。
たしかに、作品そのものは豪華であり、贅沢に仕上がっている。しかし、じゃあこれを眺めることで心が揺さぶられるのか、と問われたならば、まったくそんなことはないわけである。それは映像作家の力量不足なのか、演者の資質に問題があるのか、まだわからないが、まず間違いなく今後の課題になるだろう。
これはこれまでにも繰り返し述べてきたことだが、芸術性と作品の完成度とは必ずしもイコールではない。どれだけ未熟であったり粗雑であったとしても、これは今絶対にここで表現しなくてはならない、という衝動のもとに作られた作品ならば、それは文句なしにアート足り得るのだ。
歌詞について、
日向坂46というアイドルグループのエクレシア・ピューラと合致する詩的世界を記しているものの、タイトルの無謀さあるいは無防備さには頭を抱えるしかない。君しか勝たん、と書いてクリシェに囚われた前作に対し、今作においてはクリシェとは無縁を貫いている。だがその両極のいずれもが”ダサイ”ことにかわりなく、あれをやってもこれをやってもダメ、という徒労感を投げてしまっている。
日常の機微を描いた詩情だが、思想の垂れ流しにもみえる。詩とは、思想に踏み込んでしまうと途端につまらなくなるものだ。
総合評価 57点
聴く価値がある作品
(評価内訳)
楽曲 13点 歌詞 8点
ボーカル 15点 ライブ・映像 13点
情動感染 8点
歌唱メンバー:髙橋未来虹、高瀬愛奈、森本茉莉、高本彩花、上村ひなの、濱岸ひより、宮田愛萌、山口陽世、富田鈴花、佐々木久美、影山優佳、松田好花、佐々木美玲、河田陽菜、渡邉美穂、潮紗理菜、東村芽依、齊藤京子、金村美玖、加藤史帆、丹生明里
作詞:秋元康 作曲:浦島健太、加藤優希 編曲:加藤優希