アイドルの可能性を考える 第十回 「アイドルの値打ち」の使い方 ビジュアル 編

乃木坂46, 座談会

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「『アイドルの値打ち』の使い方」

メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

楠木:今回は、「アイドルの値打ち」の使い方、とタイトルを打つ予定です。使い方、と言っても、あたらしくブログに訪れた読者だけでなく、定期的にアクセスしてくれる読者がブログにより深入りできるようなテーマにしたいと考えています。たとえば、点数の付け方、各評価項目の意味をあらためて問いつつ、そこに旬のアイドルを絡め、語れたらおもしろいのではないか、と。では、よろしくおねがいします。

「加筆の是非」

横森:最近、全然書いてないね。
楠木:調べてみたら今年の1月17日にアップした「矢久保美緒」の記事が最後で、約半年間、あたらしいアイドル批評を書いていない。正直、今、公開している大部分の記事をリライトしたい衝動に駆られている。
OLE:加筆はしないほうが良いけどね。加筆をすると全部おなじになる。
楠木:表現が似たりよったりになっている自覚はあるんです。今もっているイメージで過去の作品を均すわけですから。自分の過去の文章を読んで稚拙に感じたり意味がわからなかったりすると加筆したくなる。でも過去にその文章を書いたとき、自分のなかで「意味」を持っていたはずなので、そこに手を加えるとなると、なかなか葛藤がある。とはいえ、それはしっかりと真面目に書く才能のある作家の葛藤であって、僕は稚拙な書き手なので、その幼稚さをなんとか見栄えの良いものに建て直している、といった感じです。
島:最近のリライトを見るに、過去の文章を口語で読み直しているように感じますね。
楠木:対談とか、座談会とか、そういったものをどう文章に起こすべきか、参考にした本のなかで、福田和也と柄谷行人の対談だったかな、そのなかで、小説は詩の批評、という文言を見つけたんですけど、それがヒントになっているのかなあと。最初は、アイドルを物語るにはどうすればいいか、考えた結果、詩的さというのを意識して書いていたんですけど、どうやら僕の腕ではこれがちょっとどうにもならない。そこで詩的に書いたものをほぐしてみた。するとなかなか物語性のある文章ができあがった。じゃあこれでいこうかな、と。
OLE:ポエティックにするメリットは読者に想像の余地を与える点だから、それをほぐすとなると、書き手のイメージが伝わりやすい一方で、読者の想像の余地はどうしても少なくなる。
島:齋藤飛鳥のページが一番バランス取れていますよね。これをフォーマットにすればあとになって大きく崩れるということはないんじゃないかな。あとは、鈴木絢音のセンター検証記事ですか、あれもしっかりしていますよね、文体が。
OLE:まあ自分の文章が恥ずかしいって自覚があるなら、まだまだ上達の余地があるよきっと。恥というよりもレトロと言うべきだけど。
横森:作家は恥に無自覚なほうが良かったりもするんじゃないの。この前、秋元康と指原莉乃の対談動画を見たんだけど、指原莉乃は辞書を片手に作詞しているらしい。辞書を片手に書くのは良いんだけどさ、それをカメラの前で話しちゃう指原莉乃も、そのエピソードを引き出してニコニコしてる秋元康も、とんでもなく無自覚だよ(笑)。その日はじめて知ったであろう言葉を使って詩を書いている。そんなことをおおっぴらにするって、要するに恥に対して無自覚なんだ。
OLE:それはアイドルのレコーディングにも言えることだよな。事情はともかく、その日はじめて渡された歌詞カードを読んでレコーディングしました、なんて情報は伏せるべきだよ。
島:恥を持たないから多作が可能になるのかもしれません。

「『ビジュアル』の見方」

楠木:これを言ったら元も子もないけれど、アイドルはビジュアルがすべてですよね。ビジュアルに勝るものはない、と言った現役アイドルがいますけど、そのとおりだとおもいます。アイドルに点数を付す際に、項目を分けるのか、分けずに単純に100点満点でやるのか、悩みましたが、ビジュアルの優劣をはっきりやりたいと思ったので分けたわけです。たとえば、項目を作らずに点数をつけると、指原莉乃は80点以上になるはずです。一方で項目を分けて総合点でやるなら彼女はビジュアルや演劇力にトップアイドルとしては弱いところがあるから80点に届かなくなるし、バラエティに20点を付けることでなぜアイドルとしてここまで強いのか、説得が一応はできるわけです。総合的にやることで個性が見えなくなる、という意見があるけれど、そんなことはないですね。個性を見出し教えるなら項目を分けたほうが絶対に良い。
OLE:総合点で見るのか、各項目で見るのか、そこは読者の自由だから。アイドルをビジュアルだけで読むなら、ビジュアル15点、と打ち込んでブログ内検索すれば良い。
横森:ビジュアルじゃなくてルックスだよね、本音は。
OLE:うーん。
楠木:ルックスの良し悪しだけをはかるとなると、そのアイドルの有り様みたいなものが表現できなくなるよね、きっと。チーズが伸びると美味しそうに感じるのはなぜか、味覚じゃなく視覚でしょうあれは。その、伸びる、という点を文章にしようと、やっているわけだね。
OLE:アイドルのカテゴリー分けも要はビジュアル評価なんだよ。前田敦子と大島優子を純文学とエンターテイメントのカテゴリーにそれぞれ分けて語っているけど、これはビジュアルを評価している。
島:そういえば、アイドルをアーティストと形容することに否定的なアイドルファンって多いみたいですね。
楠木:天才問題とおなじですね(笑)。アイドルを天才と評価することはあり得ない、という姿勢を構えるファンは多い。でも「天才」にしろ「アーティスト」にしろ、あらためて問うまでもなくシーンにしっかりと存在しますよ。
横森:天才はともかく、アーティストかどうかなんて、その人間の持つ志しによるんだから考えるまでもない。アイドルはアーティストじゃないって考える人間が物を知らないだけ。
楠木:そう。誤解をおそれずに云えば、鑑賞者に理解されないことを顧みない行為が芸術性の高さつまりアーティスティックな姿勢、小説で言えば純文学にほかならない。エンターテイメントというのはその真逆ですね。大衆に理解されないと成り立たないのがエンターテイメントです。たとえば推理小説、これはほとんどがエンターテイメントでしょう。読者が理解できない推理小説は商品になりませんよね。つまり、アイドルを商品と定め、商品としての価値を高める姿勢を作るならば、それはエンターテイメントタイプのアイドルと呼べるわけです。考えてみれば、ファンに理解されなくても構わない、と自分の好きなものだけに情熱を打ち込んでいるアイドルをアーティストと呼ぶわけだから、一般大衆がアイドルの内に芸術性を見いだせないのも仕方ないのかもしれません。アイドルの内に秘められた芸術性を見出すような、真面目にアイドルを眺めているファンはごくわずかしか居ないでしょう。当然、売れるアイドルというのは、一般大衆のこころを満たすような、大衆でも魅力を理解することができるエンターテイメントに舵を切ったアイドルになります。でも本当にトップアイドルと呼べるひとって、結局、エンターテイメント的だし純文学的でもあるんですよね。この点は小説と大きく異なるのかもしれない。小説家にとっては、純文学とエンターテイメントの境界線というのは絶対に踏み越えられないものとして、引かれていますから。アイドルの場合、おそらく、それを演じるなかで、アーティスティックさとエンターテイメントを行き交うのではないか。
OLE:平手友梨奈をなぜアーティストと呼べるのかというと、『サイレントマジョリティー』をやった段階でもう人気競争に答えが出たからだね。前田敦子なんかは最後まで大島優子と競ってたから、そういう意味ではエンタメから逃げ切れてない。
楠木:個人的に平手友梨奈に魅力を感じるのは、この純文学とエンターテイメントの問題をそのままアイドルの有り様、物語として表現しているところですね。自分のやりたいようにやるという意志の強さ、つまりアーティスティックさと、アイドルである以上は常に求められるエンターテイメント性、そのあいだに引かれた中心線をふらふら歩くというアンビバレントをそのままアイドルの物語として演じている。そして最終的には、エンターテイメントには成り下がれない、と純文学に倒れ込んだわけです。もしそれでも彼女がアーティストではないとするならば、僕がこれまでに批評してきた純文学作家のすべてもアーティストではないということになるけれど、それはとてもじゃないけど考えられない事態ですね。
OLE:現役なら齋藤飛鳥にアーティスティックさを感じる。理由は平手友梨奈とまったく同じ。
横森:乃木坂の10周年のライブでOGが参加したけど、あれこそまさしくエンターテイメントだよね。
OLE:演出家のなかでアイドルはあくまでもエンターテイメントであって、自分の手掛ける舞台はアートではないってことだね。ファンを盛り上げる、満足させる、そしてお金を稼ぐ、それがエンターテイメントだから。
島:芸術はお金になりませんからね。
楠木:OGの登場でおもしろいのは、グループアイドルでなければ体験し得ない状況がたしかにある、というのを証している点でしょう。5万人ですか、それだけの数の観客の前に立つ、注目されるっていうのは、これはもう女優では体験できない。アイドルを卒業して女優になった、アイドルシーンから遠ざかった人間が、もう一度シーンに登場し現役時代と同じだけの数の観衆を前にした時に、おそらく、青春を捧げ、あるいは青春の犠牲を受け入れて演じていたものが、正真正銘の青春にほかならなかった、と感じ入るんじゃないかな。
OLE:それは卒業生だけじゃなくてアイドルになったばかりの5期にも当てはまるかもね。青春を代償にしてアイドルを演じているっていう実感は、アイドルになってすぐはまだ湧かないだろう。
島:5期生はどうですか。前にちょっとここでも話題にしましたけど。
楠木:ビジュアルというなら、僕はもう中西アルノに”ぞっこん”です。横山由依に似ているので(笑)。言ってしまえば、賀喜遥香、彼女も横山由依ですよね。ルックスは似ていないけれどアイドルとしての有り様、ビジュアルですね、これは横山由依とよく似ている。バラエティ番組での立ち居振る舞いにバナールなところがありますよね、どちらも。
島:可愛いですよね。ビジュアルなら彼女か川﨑さくらさんが抜けてるとおもいますね。
OLE:ビジュアルに惹かれているのかどうかはわからないけど、俺の周りでも中西アルノが人気なんだよな。井上和も人気だけど。
横森:横山由依というよりも、やっぱり平手友梨奈の正統を継いでるとおもうけどね。
楠木:平手友梨奈云々なら林瑠奈に一歩譲るかな。
OLE:でも林瑠奈は中西アルノに似てないんだよな。
楠木:中性の有無じゃないですか。平手友梨奈って中性、あるいは中庸ですよね。中西アルノってエロがあるので、そこは平手友梨奈とは全然似ていない。
横森:秋元康って中性的な子を好むよね。
島:秋元康が中性的な少女を好むのは、少女にセックス=性を見ることに不安があるからじゃないですか。
OLE:啓蒙者って立場に一貫するのは、やっぱり少女がセックスの対象にならないように本能が報せるからだろうな(笑)。
楠木:秋元康の歌詞が気持ち悪いと言われるのと、村上春樹の小説がエロ本と言われるのって、同じ感情のもとに発せられているからね。
横森:中西アルノ。江國香織が好きだって、文体とか。
楠木:へえ。ブログで?インタビュー?
横森:ブログ。
楠木:そうなんだ。
島:江國香織は正真正銘の純文学作家ですね。
楠木:そうですね。童話出身の小説家だったとおもうけど、日常の機微を文章にできる作家ですね。『流しのしたの骨』とか『神様のボート』とかね。『流しのしたの骨』で主人公の少女が弟とボーイフレンドの3人でレストランに行くんだけど、主人公のボーイフレンドの前に運ばれてきたゼリーを見た弟がその大きさに驚いておもわず指で突付いちゃうというシーンがある。家族の前でだけでしか見せられない行動を他人の前でとってしまった。素が出てしまったんだね。それで、自分たちの秘密を知られたみたい、と想って、主人公と弟は恥ずかしくなって黙り込んじゃうんだけど、これは自分の日常というものが世間から如何に離れているのか、という、どの家庭にもある独自さ、日常の不気味さみたいなものをよく現している。アイドルの立ち居振る舞い、つまりビジュアルですね、その魅力を探る際には、やはりそうした日常の機微がどれだけ溢れているのか、というのは注目すべきでしょう。西野七瀬が売れたのはまず間違いなく、この「ゼリーを突付く」という行為、素顔をさらけ出すような衝動をファンの前で描けたからです。
横森:西野七瀬はビジュアルで売れたアイドルの代表格だよね。あれだけビジュアルが良いアイドルはほかにいないよ。
OLE:白石麻衣よりビジュアルは上だよね、正直。
楠木:白石麻衣が凄いのは、ビジュアルのひと、というイメージ、賛辞のなかで、そうした声を過褒にせずにアイドルを演りきった点でしょう。しかも20代後半までアイドルを延伸した。年齢による美の衰え、アイドルにとってこれ以上の恐怖はないはずだけど、そうした感情もふくめてビジュアルそのものをアイドルの物語にしてしまった。美しくありたい、と願い、そのとおりに行動してきた、生きてきた。しかし当然それは時間の経過によって崩れる落ちるわけですよね。そうしたときに、じゃあほんとうの自分とは一体なんなんだ、と迷子になる。ありふれた感慨ですけど、こういうのは一般女性でも当然持つ疑問でしょう。『僕のこと、知ってる?』は会心作ですけど、その主人公はやっぱり白石麻衣の横顔と一致する。
OLE:ビジュアル一本でやれてるアイドルって少ないからな。
横森:現役なら小坂菜緒だろうね。
OLE:小坂菜緒の場合は、ビジュアルしかない、って意味合いのほうが強いかな。
楠木:彼女って主役以外考えられないですよね。どのグループのどの期に置いても、まあ、まずセンターでしょう。それ以外にはあり得ないというか。イメージできない。だからきっと行き詰まる。
OLE:端役が務まらないのはまあ苦しいよね。本人も作り手も。
楠木:そう考えていくと、『君しか勝たん』の歌詞はやっぱりよくできているなあ、と。あれは失った恋人を想い悔悟する詩情ですから、当然、失った恋人は主役にはなり得ない。と同時に、失った恋人こそ本当の愛の証であるという確信があるわけですから、その恋人に当てはまるのは小坂菜緒しかいない。つまり小坂菜緒の価値を打ち出しつつ小坂菜緒ではないアイドルが主役になれるという物語を用意したわけです。舌を巻くものがありますよ。
OLE:でもそれは最終手段というか一度きりの特効薬でしょう。
楠木:そうですね。『ってか』がダメなのは、小坂菜緒=主役が不在することの弱さを自ら打ち出している点です。事態の深刻さみたいなものを自ら打ち出しているけれど、開き直っているように見える。作品が魅力的に映らないのも当たり前です。この作品には主役が欠落していますと告白しているわけですから。新作の『僕なんか』がおもしろいのは、そうまでして保護してきた小坂菜緒の魅力に、実は作り手の誰一人として到達できていないことを、作り手が自ら吐露している点です。
横森:そうやって作り手を追い込んじゃうところなんかは「平手友梨奈」だよね。
島:平手友梨奈もまたセンター以外考えられないタイプのアイドルですよね。
横森:俯き加減とか、こころの閉じ方が平手友梨奈っぽいよね。


2022/06/15  楠木

 

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