生田絵梨花 VS 遠藤さくら
「アイドルの可能性を考える 第八回 乃木坂46 編」
メンバー
楠木:批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。
楠木:今回は「乃木坂46」です。乃木坂46については以前に「乃木坂46の次世代アイドルの可能性」と題して遠藤さくら、賀喜遥香、掛橋沙耶香、筒井あやめの4名について短く論じました。今回も可能な限り乃木坂46のメンバーに限定し、その可能性を語っていこうとおもいます。ではよろしくお願いします。
「5期生は”他人のそら似”の集合なのか」
横森:5期生が想像以上に豊作らしく、話題になってる。
OLE:5期生の話だと「若手」じゃなくて「新人」になっちゃうね。
島:語ろうにも情報が少なすぎて”語り”にならないですよ。
OLE:そんなことはないんじゃないの。語れるよ。というかファンはみんな各々語ってるでしょ、今。
横森:語っているつもりで”そわそわ”しているだけだ(笑)。
OLE:いや、そういう感情こそ”語り”なんだよ。最初に作ったイメージがアイドル観になるんじゃなくて、イメージを作った、語ったって経験がアイドル観になる。
島:ありきたりですけど、新入生ってやっぱり既存のアイドルにとっても、ファンにとっても、脅威ですか。
OLE:脅威は脅威だよね。でもそれは存在を脅かす者という意味だから、ポジティブな話題になる。
楠木:新メンバー加入によって既存のアイドルの価値が下がると考えるファンが多いけれど、逆ですよね。価値は上がるんですよ、新世代の誕生って。
OLE:すでにあるものを守ろうとして新しいものを拒むってのはさ、平凡なデキの人間の考えることでね、既存の価値を守りたいなら新しいものを柔軟に受け入れるしかない。
島:もしそれでグループの価値が上がるなら、それはそのままメンバーの価値の底上げにつながりますからね。
OLE:じゃあファン感情はどうなんだって考えると、次世代という脅威を目の当たりにした際、ファンは”推し”への想いを強めるはずだよ。より強く抱きしめて味方になるはず。自分にとってのアイドルの価値はぐんぐん上昇していくことになる。
横森:ファン感情を汲むと、”推し変”が起きれば人気の低下につながるから価値は下がる。
OLE:それは「額面」であって素材の価値ではないよ。
横森:素材の価値を言うならそれこそ価値は不変だ。上がりも下がりもしない。銀は銀、金は金のままだよ。
楠木:グループアイドルの場合、あたらしいメンバーの魅力を探る際の手がかりとしてなにを準備すべきなのか、考えれば一目瞭然で、それは既存のメンバーとなる。既存のメンバーの枠に当てながら読むことで、かろうじて鑑賞が叶う。新メンバーの物語に輪郭が出てくるのは1年2年してからでしょう、きっと。そして、そうした「鑑賞」の中で得られるものって、往々にして、枠として準備した既存メンバーの新たな魅力の発見に相違ない。あるいは、魅力の再確認。たとえば、現在公開されている5期生を眺めるに、賀喜遥香、このひとの価値はもう計り知れないものになっている。
島:というと?
楠木:包括していますよ。5期生のルーツを。5期生のような少女たちが”なぜここにいるのか”、”なぜ乃木坂の門をひらいたのか”という疑問、探究心みたいなものの答えとして「賀喜遥香」を堂々と準備できる。彼女は言葉どおり乃木坂46のマスターピースになったわけです。
OLE:サクセスストーリーをアイドル以前の部分からすべて語る必要がもうないからね。それは4期でやってる。
楠木:そうですね。『夜明けまで強がらなくてもいい』で語りきった感があるのかな。アイドルに成る前の少女の前日譚を通して人が生まれ変わる瞬間を歌った『夜明けまで強がらなくてもいい』以降、現実から仮想への、日常から非日常への移動、あるいは逆走みたいなものを明確に語ってきた。『ごめんねFingers crossed』とか、『全部 夢のまま』とかね。要するにそれはアイドルをなにがしかの励まし、夢と捉えさせる、自己啓発にほかならない。そういうイメージを強く打ち出してきた。「アイドル」への招待状を書き続けてきたわけです。そしてそのとおり、才能豊かなアイドルが集められたようだ。であれば、とりあえずではあるけれど「招待状」を書く必要はなくなった。それは4期の物語として語りきったのだから。なら次はその”夜明け”のあとの物語を語るつもりなんでしょう。こうした感慨のもとに5期生を眺めてみると、なるほど、と思うところが多い。
島:1期ではなくて4期なんですか?
OLE:1期は錯綜してるでしょ。作り手の内で最初からイメージが固まっていてそのとおりにやってきたわけでは絶対にない。4期のように最初に作ったイメージを埋めていくのではなく、現実に行動しながらイメージを作っていったのが1期だね。だから錯綜しているし、物語に多様性がある。
楠木:1期の集大は『しあわせの保護色』でしょう、きっと。あるいは『僕のこと、知ってる?』。アイドルを演じることで夢そのものを見失う、ほんとうの自分がどこにいるのか迷子になる、というアイデンティティの問いかけとしてはとびきりに成熟した物語を1期は書いている。夢へ誘いつつ、その夢の泡沫を一方では描いてきたわけですね。
OLE:そういう「泡沫」がアイドルの魅力に映ってしまうのがおもしろい。
島:実際に、集まった5期生を眺めてみて、どうですか?
横森:1期生に似てるよね。顔も雰囲気も。3人目の子、菅原咲月さん?橋本奈々未っぽい。
島:小川彩さんは上村莉菜や齋藤飛鳥に似ていますよね。
横森:齋藤飛鳥のイメージはないなあ。
OLE:一ノ瀬美空って子は大島優子のイメージがあるよ。井上和って子はAKBの若手にいたような、ちょっとすぐに思い出せないけど(笑)。
楠木:要するにこの紹介動画を眺めながらアイドルを語ろうとするとき、その原動力のほとんどは”他人のそら似”ですよね。以前どこかで見かけたことがあるような、通り過ぎ忘れていた過去だけれどそれは自分にとって価値のあるものだったと確信しているような、そういう意識を復活させる印象、つまり手元にわずかに残っている記憶、しかし確かな情報を頼りにそのアイドルのことを語ろうと試みているわけです。当然その”語り”とは、眼の前の瑞々しいアイドルを語ると同時に過去のアイドルのことも語っているんですね。これは説明するまでもなく「引用」です。
OLE:ただこれまでの新人、3期と4期には目に見える引用がなかったよね。ファンにも作り手にも。今回は目に見える引用をやっているでしょ。
楠木:個々で言えば山下美月くらいでしょうか、「過去」のおもかげを持っていたのは。林瑠奈はイレギュラーですからね(笑)。ほかのメンバーは乃木坂としてアイドルを育む過程で「過去」との通い合い、響き合いをファンに発見させてきたわけです。しかし5期はすでに「過去」を材料にその可能性を探られていますよね。明確な情報としての過去との類似、あるいは一致への歓声がある。
横森:でも他人のそら似ってお膳立てするものじゃないよね。
OLE:その違和感は、引用が主目的になっているのが原因だね。主従関係が逆転しているんだ。採用したアイドルの内に1期と似たところがあった、だから不思議に感じる。これは”他人のそら似”ってやつかもしれない。でも、もし1期と似ているアイドルを優先的に採用しているのだとすれば、それは”他人のそら似”ではないんだよね。偶然の一致、過去との偶然の再会が果たされるからこそファンは盛り上がるんだよ。偶然が連続して起きてしまったらそれはもう偶然ではない。とはいえまだ4人しか情報がないわけだから、なんとも言えないけど。
横森:前田敦子に似ている生田絵梨花をセンターに置くことはむずかしい、と考えたのが初期の運営でしょ。今の運営はそのスタンスとは逆を向きはじめているんだろうね。
「『林瑠奈』を読む」
島:5期生の加入で既存のメンバーへの関心が強まるなら「趣味」が捗りますね。
楠木:”推し”であれば捗るんでしょうけど……。語れなきゃそれはもう”推し”ではないからね。ただ僕みたいに自分の”推し”ではないアイドルを全部語ろうとする人間、”推し”ではないけれど興味はもっているっていう人間からすれば、まだ語っていないメンバー、主に4期生って情報がまだまだ少ないんですよ。アンダー楽曲に『口ほどにもないKISS』という曲があるけれど、これは未熟さこそ記憶になるんだ、と歌っている。記憶というものは季節をまたぐ際に鼻をかすめるものです。そういう季節の記憶化をもたらすものこそ成長なんだ、と歌っている。成長をしたからこそ未熟であった頃の過去を振り返りその通り過ぎた魅力に引かれるんだ、と。4期生のほとんどが現在この「未熟」の段階にありますよね。まあ「アイドル」だから当然と言えば当然ですけど。批評を作りやすいアイドルってこの「未熟」から脱しようとする、あるいは脱したアイドルですね。これは5期生の話題にも通じるけれど、成長した姿を眺めて過去を想う、だから語ることが容易いわけです。4期はまだまだ大変ですよ。書けるけど、書いたものを眺めるとアイドルと正面から向き合えていない。打ち明けるなら、それはアイドルのことをまだまだよく知らないからです。
OLE:十人十色とはよく言ったもので、百花繚乱、アイドルのそれぞれに個性があるんだっていう真面目な主張と戦わなきゃならない。じゃあアイドルのそれぞれに異なる形容を用意できるのかといえば絶対に不可能だろう。
楠木:『作家の値うち』がすごいのは100人の作家に対してすべて異なる形容をしている点ですね。しかもこれは自分の文章を要約して物語化しているでしょう。途轍もない作業量ですよ。僕はいま、その「要約」を真似して一度書いたアイドル評を短いものに変えている。たとえば齋藤飛鳥とか佐々木琴子とかね。それでできあがったものを読むと、たしかに物語化が起きているんですね。これを100人やったのかと考えると、やはり並ではない。センターの値打ち、と題した記事ははじめからこの試みをもって書いたので、頓挫したわけです(笑)。でもあの記事の生駒里奈評が『アイドルの値打ち』の代表作なので、ぜひ読んでもらいたい。仕事のノリで書いてしまった批評です。
島:そういった作業は自己投影による形容の重複から脱却できるんでしょうね。
楠木:やはり対象がアイドルであっても自己投影に頼るのはだめなんでしょう。
横森:でも支離滅裂というか詩的というか(笑)。独善的に書いてた初期の記事のほうが読み物としては俺は好きだけどな。最近の記事は説明的だよね。
OLE:加筆は悪手だよね。
島:音楽も同じですよ。それこそブルーハーブですか、彼らも顕著です。初期作品はまさに詩ですよね。セカンドアルバムで詩から散文に寄っていって、サードは詩であり散文であり、みたいなラップになった。BOSSって小説家なんですよ。根っからの。
OLE:林瑠奈の記事はペダントリーってよりブッキッシュにふりきってるよね。わかるやつにだけわかればいいってのをやってる(笑)。これがブログの魅力でしょ。
楠木:自分の文章を説明するのはダサいですよね。カッコ悪い作家です。じゃあそういう矜持みたいなものに甘えて知的強要をしてみようと、書いてみたのが林瑠奈評です。引用をする際に、その引用元の作品を知らなければ意味がまったく通じない、という場合と、引用元の作品を知らなくても意味が通じる、読者にとっての「文章」が結構する場合があります。後者は白石麻衣の記事とか西野七瀬とか、前者が林瑠奈ですね。
横森:『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読んだ経験を持つ読者が果たして何人いるのかと想像すると無謀だよね。
OLE:他人の日記を覗き見たときに無意識に確信することって、そこに書かれている内容はそのひとの身に実際に起った事実だってことだよね。じゃあその日記がすべて妄想の産物、ウソだったとき、どうなるのかっていう錯綜めいた物語を『インディヴィジュアル・プロジェクション』は書いている。その「ウソ」をアイドルに引用したのはおもしろいね。しかもタイトルどおり、アイドルへの切り込みが自分への踏み込みだってのを単純明快に綴ってる。
楠木:林瑠奈のおもしろさって、他者にあれこれ考えさせるところにあるんだとおもいます。そういうアイドルはほかにも沢山いるけれど、彼女の場合その「考えさせる」ことでアイドル像が実物からどんどん離れていってしまい、アイドル本人が話題から置き去りにされてしまっている。そこがおもしろい。論文の引用で話題になったじゃないですか。でも僕個人としてはそういうルールの話はまったく問題にならなくて、むしろ、とにかく伝えたいことがあった、衝動があった、というところに、引き返せない場所に誘われる魅力を感じてしまう。あるいは、それは何か意味のあるものを書かなければならないと追い詰められた人間特有の醜態と云えるかもしれない。いずれにせよ「衝動」がある。けれど最近はそういう「衝動」が枯れつつありますよね、彼女。アイドルに対する大げさな深刻さが枯れてしまった。それが残念におもう。そしてこの「残念」がアイドル本人との距離をあらわしているんですね。アイドルを置き去りにした、感慨なんです。そうした感慨を作らせるのが林瑠奈というアイドルの魅力なんでしょう。
「『衝動』としての北野日奈子の可能性」
島:そういった「衝動」に魅力を見出すとなると、アイドルってまさしく作家なんですね。
OLE:これは楠木君がよく言っているけれど、「売れるアイドルは文章が上手い」ってのはやっぱり説得力がある。指原莉乃、齋藤飛鳥だね。
楠木:作家、とくに小説家というのは、きっとだれもがそれを志した瞬間には強いイメージを持っているはずなんです。こういうものを作りたい、物語りたいっていう夢を。でも書くことに意識的になったり、かっこつけていく途中でほとんどの人間がその最初にもっていたイメージを見失ってしまう。きれいな文章だとか、巧緻のある文章だとか、読みやすいとか、凝った文体だとか、そういうものを追究しちゃうというか、そういうものこそ「文学」だと信じちゃっていて、肝心の、伝えたいこと、表現したいこと、これがどこにも書かれていない。
OLE:文体がどうだとかは文学の一時代の流行りにすぎないからね。
楠木:文章が上手いアイドルを並べて見てみると、文章の内に見知ったアイドルがしっかりと記されている。自分が何が云いたいのか、これがすべてなんですね。あとは読む側の勝手で、自分は言いたいことを書き切った。衝動的に書いた。であれば、そうした精神性においては、文章の巧緻なんてものは問題にならないわけです。これは作家でもアイドルでもおなじでしょう。これはもう何度でも繰り返し唱えますけど、アイドルの作る歌やダンス、演技を評価する際にもっとも大事なことは、アイドルがそれらを表現手段と捉え、その工具を用いて自分のこころに秘めた想いを伝えようと行動しているのか、であって、上手い歌やダンス、巧い演技を作ることが目的になってしまったアイドルはやっぱり評価できないし、そもそも魅力を感じないわけです。そういう平凡な人間は掃いて捨てるほど居るので。
OLE:衝動的かどうかを問うなら須藤凜々花とか平手友梨奈がずば抜けているよね。
島:生駒里奈も「衝動」の人ですよね。
楠木:「衝動」を文章を通して伝えるっていう点では北野日奈子が一頭抜くよね。このひとは作家になれるよ。
横森:『日常』のライブパフォーマンスとかさ、表情が芝居じみていてちょっと苦手なんだけど、あれも「衝動」なの?
OLE:あの表情は凡人であれば嘘臭くてとてもじゃないけど作れないよね。鏡の前で練習してみて「やめておこう」ってなるはず。でもそれを現実に大観衆の前で描けてしまうのは他人にどういうふうに思われても構わないっていう覚悟を抱いているんだよ。なるほど、衝動があるね。現実問題を何かが衝き動かしてる。
楠木:仮にそれがまったく企図されないまま出現したものであるなら、それこそものすごく純粋な衝動が宿っていることになる。
「生田絵梨花 VS 遠藤さくら」
楠木:アイドルのライブパフォーマンスに話題を移すなら、2021年末はまさに「生田絵梨花」ラッシュでした。しかしもっとも印象に残っているアイドルを問われたら、僕は遠藤さくらと答えるかな。
OLE:たとえばMTVのライブを鑑賞して評価が動くとすれば遠藤さくらだよね。生田絵梨花は良くも悪くも期待通り。生田絵梨花の歌声は強すぎるね。
島:他者を「排除」してしまう強さがあるんですよ。歌声に。だからトップアイドルになれたんでしょうけど。
楠木:おもしろいのが、その過剰な強さに対する弱さとしての「遠藤さくら」のほうが主人公感が強いって点ですね。自然と、自分のなかで遠藤さくらが主人公になっていたわけです、あの空間においては。
OLE:この場から一刻も早く逃げ出したい、と訴えかけるような顔をしていたよね(笑)。
横森:『崖の上のポニョ』をオーケストラにあわせて歌わされた大橋のぞみみたいだった。
楠木:そう、それが主人公感なんだよ(笑)。
島:生田絵梨花というひとは「存在感」の人ですよね。とにかく存在感が大きい。
楠木:なんでも自分のものにしてしまうでしょ、彼女。『君の名は希望』だって『帰り道は遠回りしたくなる』だって、生駒里奈や西野七瀬という圧倒的な主人公の横顔をなぞった楽曲なんだけど、生田絵梨花が歌えばそれは生田絵梨花のものになってしまう。アイドルの物語に曲を反映する、ではなく、曲がアイドルの物語に包括されていた、という事態をつくってしまえる。その生田絵梨花の隣で歌を唄うってこれはもうちょっと勝ち目がない。いや、そもそも勝ち負けの話じゃないんだろうけど。しかし生田絵梨花が存在感で圧倒してくる以上は立ち向かわなきゃならない。遠藤さくらは立ち向かい、勝ってしまった。
横森:アイドルの魅力は伝わるかも知れないけれど、曲の魅力がころされていたようにも感じる。
楠木:そうかな。遠藤さくらの歌の魅力って、まず曲の良さを教えられるって点にあるとおもうけど。曲の魅力をなんとかして伝えようとするその横顔を眺めるからアイドルに引かれるんだよ。
OLE:ただそれは生田と遠藤の「相対」ではないからね。生田絵梨花と対峙できるメンバーという点では興奮を覚えるけど。
楠木:最近、想うのは、生田絵梨花のようなアイドルになりたいって鼻息荒くする子は絶対に生田絵梨花のようなアイドルにはなれないなってこと(笑)。スケールとかステージが違うというだけであって、生田絵梨花だってデビュー以来、他の凡庸なアイドルとおなじ状況下で常に闘ってきたわけです。ピアノだって歌だって演技だって、正直に言えば、一流のプロと比較すれば未熟者にほかならない。けれど一方ではそのプロたちでは相手にならないくらい、多くのファンを魅了しているという現実がたしかに在る。なぜ彼女はここでこの歌を歌っているのか、というところまで問いつめさせる不思議な希求がある。ではそれはなぜ起こり得るのか、というのを突き詰めていくと結局「アイドル」の魅力と言うしかない。この「魅力」が遠藤さくらにも宿っているわけですね。
OLE:ステージの上に立った彼女たちって芸能人だとか役者だとか、そういう枠組みに収めることができないんだよね。「アイドル」と表現するしか手がない。
横森:そこまで高尚に考えると、アイドルって偶像だよね。じゃあカメラでは写せない。
楠木:それはまあ、おもしろい皮肉ではあるよね。美術館で裸身の彫像を眺めている鑑賞者はそれをどう捉えているのか、考えると、まず間違いなくそれを美術品と捉え眺めているよね。でも裸身の彫像というのは元々は信仰の対象物だったものがほとんどだからね。キリストの彫像を前にして信仰者が祈りをはじめるように、他の多くの彫像もだれかの信仰の対象だったわけ。それがコンスタンティヌス以降、芸術作品として鑑賞されはじめた。今ではガラスケースで保護され飾られている。偶像ではなくなったんだね。これはアイドルに引けるでしょう、きっと。
島:アイドルはアーティストなのか、それともエンターテイメントなのかと問う前に、そもそもアイドルというのは偶像なんですよね。
OLE:指原莉乃が「ステージの上で踊るアイドルだけを見てくれ」って言っていたけれど、アイドルへの深い理解があるんだな彼女にはやはり。
楠木:アイドルがジョブになり、芸術になり、今ではエンターテイメントになった。しかしそれでもステージの上においては、アイドルは「アイドル」足り得るんですね。しかし一方では「日常」というものも無視できないですよね。表現、これは日常生活のなかで感じた違和感の爆発であるのは間違いない。アイドルの歌、踊り、演技に魅力を見出すとすればそれは日常の再現だったり日常との通い合いになる。見知ったアイドルの横顔を非日常のなかで発見するから興奮するわけです。より知っていくわけですね、アイドルの素顔を。指原莉乃の、ステージの上だけ見てくれ、という訴えかけは正しいし、STU48の福田朱里が、アイドルの日常の5分10分だけを切り取って判断するな、と嘆いていたけれどこれも正しい。アイドルの魅力を探るのはステージだけで充分というか、ステージの上でしか探ることができない。アイドルを理解する、知っていくにはステージを眺めるしかない。もちろん、一曲で判断しても良い。たった5分で構わない。ただ、そのステージ上での魅力を探る際の灯台の明かりになるのが「日常」なんです。その「日常」が豊穣であったアイドルの最高到達点として西野七瀬を挙げるべきですが、『帰り道は遠回りしたくなる』や『きっかけ』を掠れながら途切れながら唄う遠藤さくらはそこにもタッチするのではないか、とすでに可能性を感じています。
「『きっかけ』が乃木坂46のバイブルになった日」
OLE:ステージの上でのみ「アイドル」が実ると考えると、年末に披露した『きっかけ』のリレー歌唱は成功しているよね。未熟者であることが最高に魅力的なんだってのをしっかりやってる。アイドルが作り手に丁寧に演出されているし、アイドルもそれに応えていた。完成しつつあるものを、みずから崩していくみたいなね、そういうスリルがあったよ。
横森:『きっかけ』がバイブルになった日だね。
楠木:ワンフレーズしか口ずさまないのにそれぞれの物語が立ち現れるからね。そんなことが可能なのは乃木坂46だけでしょう。要するに物凄く純度の高いところで詩に触れている。詩を詠んでいる。だから、たったひとつのフレーズしか歌っていない、意味を持ちようがない短い言葉しか歌っていないのにもかかわらず、ほとんどのアイドルが物語を映している。たとえば、山下美月が《生きるとは選択肢 たった一つを選ぶこと》と歌えば、それはアイドルを卒業するかどうか岐路に立ったと話す彼女の当時の屈託を想起させるし、向井葉月が《それがルールならば》と口ずさめば、アイドルをとにかく演じなきゃいけないという《ルール》に縛られていた頃の彼女の物語が立ち現れる。そしてそのあとに続く歌詞のとおり、今、彼女は自分の意志で走り出した。つまりアイドルと楽曲が有機的に結びついている。あるいは、結びつけ語ることを可能としている。
横森:新内眞衣の《何に追われ焦るのか?と笑う》とかね(笑)。
楠木:清宮レイの《客観的に見てる》や林瑠奈の《私が嫌いだ》もアイドルの物語がにじみ出てる。
OLE:北野日奈子はどの部分を歌ったんだっけ。
楠木:《後悔はしたくない 思ったそのまま》。
OLE:それは感心するね。衝動か(笑)。
島:おもしろいですね。考えて割り振っているんでしょうね。
OLE:そうだろうけど、そこは問題にならないんだよ。どこを歌っても結びつくから。そういう才能が集まっているんだね。
楠木:歌詞とアイドルのふたつの情報から新しい価値を作り出すというのは、まあ批評ですよね。たとえば、北川悠理は《こんな風に心に》と歌っているけれど、その《風》の”ふう”を”かぜ”と読んで彼女の空想=風のイメージに連ねてアイドルを語ることもできるんだけど、そういう想像を育むまでもなくアイドルの側から物語が提示されているから驚きます。
島:表現の魅力ですね。
OLE:今後、このグループに誕生する新しいアイドルが『きっかけ』を歌ったときにアイドルのストーリーが形を作って現れるのかという意味では、たしかに『きっかけ』はバイブルになったのかもしれないな。*1
2022/02/06 楠木
引用:《》*1 秋元康/きっかけ