乃木坂46 夜明けまで強がらなくてもいい 評価

夜明けまで強がらなくてもいい ジャケット写真/乃木坂46公式サイト

「夜明けまで強がらなくてもいい」

ミュージックビデオ、楽曲について、

サンプリング的再登場が不安定な秤のように人間喜劇を作るが、構成そのものは作り手の安易な想像力に頼っており、個の拡散、家郷の再構築といった筐体の抱える不安の輪郭は追えているものの、アイドルを演じる少女の写実には関心が持たれておらず、新鮮さから湧き出る鮮烈が降らない。結果的に、楽曲に定めたであろう命題を裏切っている。演劇要求の余白部分に書かれる演者による”語り”は作り手の写実や批評ではない。それはあくまでもアイドル自身の仮装である。作り手自らがアイドルの現在(いま)を写実しないのであれば、完成した作品をどこにでも転がっている模倣品と揶揄されても、それは当然の成り行きとしか云いようがない。あるいは、西野七瀬のように作り手にフィクティブな批評と呼べる水準の行為を強いる原動力=豊穣な物語性を具えるアイドルが現在の乃木坂46に伏在しない事実への皮肉の結晶が”写実の欠如”なのかもしれない。

桜井玲香を端境の人物として描いており、グループアイドルの連なりを真剣に扱っている点は良い。この世に生を受けたときに泣くのなら、物語が、アイドルが生まれ変わる瞬間にも、やはり涙は流されるのだろう。だが、その要(かなめ)の”涙”によって感興を殺がれるのだから外連がうまくいっていない。目まぐるしく変わる映像が場面展開や個性の発揮ではなく、ただの継ぎ接ぎにしかおもえないのは、ほとんどの演者が仮構のなかで呼吸する住人、つまり物語の登場人物として架空の世界を右へ左へと動く個人の内面を表出する構図を作れていないからだろう。平易に云えば、彼女たちは楽曲に対して存在理由を把持していない。だから観者は流された涙の理由を探ってしまう。”彼女”は何故そこで泣いているのか、必要のない動機を求めてしまう。だが、”女たち”はたしかに泣いているが、誰も鳴いていないし、哭いてもいない。”自分なり”の涙を作っているだけである。だから観者は呆れる。怒る。それを直視することに気恥ずかしささえ感じてしまう自分を自覚する。幻想や妄執は打ち消され現実に戻される。そのような嘆きの裏で松村沙友理の笑いは嘲笑いである。彼女はあの日からずっと虚構を現実と妄執して生きているから、いたずらに鮮やかで、いたずらに咲いている。また、与田祐希も俗物として振り切れたのか、翳りを作っており、立ち居振る舞いや仕草ではなく姿形のみで満足されるアイドルを脱し、都会のひかりに囲繞され欲に染まっていく人間の証しを握りしめるように、秘めた憤りによってグループの過去の証しであると同時に未来の希望でもあるという束縛に持ち込まれる苦悩が一気に壺にはまり濃密な物語性を獲得した感がある。もっとも興味深いのは、楽曲が抱える瑕疵と彼女の瑕疵が遠く響きあっていることだろうか。演劇で心を揺さぶられたのはこの与田祐希と松村沙友理のみだが、”発見”の観点では賀喜遥香がその要件を満たしていると強く確信する。彼女には何者にでもなれる凛とした透明感がある。『賀喜遥香』の成長物語は乃木坂46の移動と重なり合い、筐体の”イロ”を映す新しい鏡になるのではないか、と期待させる。つまり、これらの群像の成立が『遠藤さくら』を強い主人公として描くのだという決心を、覚悟を、命題を自ら裏切っているのである。この映像はあくまでも群像劇であり、『遠藤さくら』を主人公に置くことで獲得したであろう未完成や未成熟が映し出す一回性から生まれる希求力を具えていない。

遠藤さくらという人物はグループアイドルの分野に縛られておらず、『わたしには、なにもない』を演じた時点で女優としての存在理由を明確に掴んでおり、南沙良や山田杏奈といった若手女優たちとおなじ地平に立ち、おなじ生彩を放っている。しかしこれは過褒ではなく、危惧である。彼女は、アイドルとして日常を演じる、青春の犠牲、現実と仮想の行き交い、成長の共有といった幻想が背負う不気味さに乏しい。彼女は収斂の向こう側に誕生したアイドルであり、他のアイドルを置き去りにしている、のではなく、まったく別の”時間”に暮す登場人物と云える。近い将来、グループアイドルと乖離する自己の苦渋と対峙する危うさを抱えており、ある日、突然”空扉”を開くのではないか、不安の尽きないアイドルに映る。

歌詞について、

君の名は希望』で登場した「希望」はそれを最後に表題曲のなかで使用されることは一度もなかったと記憶するが、『夜明けまで強がらなくてもいい』で再登場を果たす。クリシェをアイデンティティとして成立させてしまった秋元康が「希望」の再利用だけは行わなかったことにどのような意味があったのか、『君の名は希望』の達成の保存を破った点にどれほどの価値が見いだせるのか、検証の余地が尽きない歌詞となっている。もちろん、「太陽」や「命」も看過が許されないメモリーと云えるだろう。
これまでに、とにかく書き尽くした絶対に移動しない”僕”を、次世代アイドルを描くために安直に移動させるのではなく、移動しないのは、移動できないのは何故か、この自縄自縛を穿っており、作詞家が従来の殻を破ろうとする姿勢がうかがえる。
『夜明けまで強がらなくてもいい』は「君」を喪失したあとの「僕」が孤独ではなく絶望に戻った物語である。もちろん、この「僕」とは、校庭でボールが転がってくるまで、そこでじっと座っていた、あの「僕」である。「希望」の存在に気づいた「僕」の後日の話が『何度目の青空か?』であるならば、「君」を喪失して校庭に再び座り込み、水道の蛇口から水がこぼれるのを眺める「僕」が、その胎動から移動するための衝動や動機を掴み、『何度目の青空か?』を『君の名は希望』の続編として成立させた理由を、欠落を語ったのが『夜明けまで強がらなくてもいい』だとするストーリー展開を試みるのもフィクション=批評として面白いのではないか。成長を続けるグループを前に作詞家は過去に戻ったのである。そして二つの過去=『君の名は希望』と『何度目の青空か?』の間合いに踏み込み、結末への欠落を埋めたのだ。つまりアイドルの成長共有とは決して不可逆的なものではないということだ。作詞家がアイドルへ宛てるメッセージが輪廻することは文学の観点で、救済がある、と云えるだろう。

 

 総合評価 73点

現在のアイドル楽曲として優れた作品

(評価内訳)

楽曲 15点 歌詞 16点

ボーカル 16点 ライブ・映像 15点

情動感染 11点

歌唱メンバー:生田絵梨花、白石麻衣、松村沙友理、桜井玲香、梅澤美波、山下美月、与田祐希、北野日奈子、秋元真夏、久保史緒里、高山一実、星野みなみ、新内眞衣、遠藤さくら、筒井あやめ、齋藤飛鳥、堀未央奈、賀喜遥香

作詞:秋元康 作曲:山田裕介 編曲: APAZZI

2019/08/29 再評価、加筆しました ボーカル15→16

評価点数の見方