乃木坂46 山下美月 評価

乃木坂46

 

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「坂の上の雲」

真之(*1)は、よく、自分は新時代のうまれだから。と、いった。 新時代というのは、真之が明治元年うまれであるという意味であった。だから自分たちは頭があたらしいという意味ではなさそうで、むし卑下するときに使った。武士というものがなくなる時代にうまれたため、武士的な素養をあまり身につけていない、という意味のことをいう場合につかった。真之だけでなく、かれの世代の連中は、旧式な人間を軽侮する一方、同時に典型的武士像というものへのあこがれをたいていがもっていた。真之が、広瀬武夫を生涯の友人であるとしたのは、広瀬が自分と同世代の人間ながら武士的教養をもち、懸命に武士であろうとしたところに魅かれたといえるであろう。真之は、東郷(*2)をそのような範疇の人間としてみていたし、乃木(*3)をさらにいっそうそのような目でとらえていた。

(司馬遼太郎「坂の上の雲・四」)(*1) 秋山直之 (*2) 東郷平八郎 (*3) 乃木希典

乃木坂46の第三期生にとって、第一期生が身に纏うイデオロギーと彼女たちを取り巻くイデオロギーは、やはり、手の届かないあこがれとして映るだろう。アイドルグループの第一期生の描く物語と、第ニ期生以降の書く物語には決定的な隔たりがある。万年筆で原稿用紙に文章を書いていた時代の小説と、キーボードへの打ち込みによって表示された文章に、言葉では簡単に説明することが出来ない「違い」があるように、彼女たちが書く物語の表情も異なる。ファンとの共闘性、共鳴性、共有性もまた、安易には比較ができないだろう。そのような境遇において、風に吹かれて揺れる木の枝や葉の裏側から耐えられずに次々と飛び立つアオバハゴロモたち、そのなかで、懸命に葉にしがみつく者がいる。広瀬武夫が武士であろうとしたように、山下美月もまた「乃木坂46」であろうと苦闘しているのである。

短い距離感での共時性という意味で、山下美月が前田敦子生駒里奈生田絵梨花)等の系譜に連なっていることはまず間違いない。勿論、姿形やキャラクターという外面的なものだけではない。与えられた使命、定めというイデオロギーについて、である。それは、カラカスの夜、バリオの夜景のように、才能もなにも持っていない人間たちが、苦闘しながら、傷だらけの絆を握りしめながら、自己超克をみせる物語(原典)、奇跡の光景への回帰を想わせる。特に、生田絵梨花に課せられたアイドル界の牽引という使命。この期待感は彼女の唯我独尊的な性向によって脆くも打ち砕かれた。その失われた、空中に漂ったままの期待感を吸い込み、仕舞う筐体として(傀儡として)山下美月の存在理由が満たされいくのは、定めと諦念するしかないだろう。

山下美月への懐疑を捨てきれない不安材料を挙げるとすれば、意図してか、あるいは生まれ持った性質か、心の重い闇を裸にするような立ち居振る舞いがとれない点だろうか。それが一種の「頼もしさ」に映ってしまうのは悲劇かもしれない。その「頼もしさ」とは、乃木坂46においては前例がないものだから。「逸材」と喧伝された、同期のライバルたちが、アイドル特有の、お決まりの隘路に迷い込み嘆くのを傍目に勇往邁進をする。きわめてリアリティのある、不条理と混乱に満ちた耐え難い世界にあって、ヴァルネラブルなアイドルを嘲笑うかのような強靭さをみせる。しかし、そのような英雄記的な物語だけが、あたらしい時代のアイドル(第一期生として生まれなかったアイドル)を応援するファンの需要を、心を、満たせるのかもしれない。山下美月は、新時代のアイドルとファンのあり方を決定づける存在なのかもしれない。

美人は気になってしまう。どうにかできないか、という考えを抱いてしまうのは異性としてごく自然な感情だろう。視界に入っている時の(認識状態にある)佐々木琴子というアイドルの存在感はアイドル史のなかで最高到達点と云って良いだろう。その佐々木琴子と並んでも存在感がほとんど薄れないという事実を発見した時、私のなかで山下美月に対する評価が一変した。おそらく、ほんとんどのファンは山下美月と並んでも遜色がない佐々木琴子の評価を上げるのだろうが、私は逆であった。

斜陽の気配を見せはじめている乃木坂46において、山下美月を視認することによって、ファンはグループの未来に希望を見出すことができるのである。

 

総合評価 72点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 19点 ライブ表現 13点

演劇表現 13点 バラエティ 10点

情動感染 17点

 

乃木坂46 活動期間 2016年~

評価点数の見方