乃木坂46 僕が手を叩く方へ 評判記

のぎざか, 楽曲

(C)僕が手を叩く方へ ミュージックビデオ

「僕が手を叩く方へ」

歌詞について、

3期生楽曲。センターを務めるのは久保史緒里。
「僕」の系譜に立つ一連の作品の新作にあたり、「僕」と「君」の双方に活力が向けられつつある、という意味では過去の作品とは一線を引き、一歩踏み出している。
作家の個人的体験を表現する、叙情に倒れ込んだ詩作ではなくアイドルとファンの関係性を超越的に表現した叙事であるという点ではこれまでの「僕」シリーズを踏襲している。また、表題作『好きというのはロックだぜ!』のテーマとも合致しているように見える。とくに詩を通して投げ与えようとする活力のあり方は『僕がいる場所』を強く想起させ、レジティマシーを編んでいる。「君」にはけして見えない場所で、「君」のことを忘れられず常に眺め支えようとする存在がここにいるのだ、という愛のみじめさ、つまり献身に突き進んでしまった愛としての活力をうたっている。
友人にしても、過去現在問わず恋人にしても、他人でしかない存在が、つまり自分以外の人間が、他人である自分のことを常に想い考え生活している、自分の知らないどこかに存在している、という不思議さ、不気味さ、を前にして、それを奇跡だと実感できる人間は果たしてどれだけの数、存在するだろうか、また、そうした存在が「君」にとってどれだけの活力になり得るのだろうか、と現実的実際的に問いかける声は、おそらく、今作をノートに記したあとの作詞家のこころには届かない。なぜなら、この叙事に触れてこころを揺さぶられるのは、「君」ではなく、暗闇のなかで手を叩く「僕」であるはずだからだ。この点が『僕が手を叩く方へ』の最大の魅力と云えるだろうか。他者を励まそうと、活力を与えようと行動し、唄うことは、同時に、その歌を唄う本人をもまた療養し、活力を生むのだろうし、そうやって活力に満ち溢れていく人間の存在を知ることでまた、活力を得る人間もいるのである。
こうした情景をアイドルシーンに再び落とし込み読めば、ファンから偏愛を向けられるアイドル、という構図を、ほかならないアイドル自身に演じ表現させようと企図しているところになかなかの迫力があるし、演じるアイドルへの期待度の高さもうかがえる。”3期生もこういう歌を唄うようになったんだな”、と。

この暗闇の中からひかり在る方を見つめる「僕」の、そこにたどり着くまでの冒険譚、彷徨譚、アイデンティティの模索劇として、はじめて「君」ではなく「僕」の横顔だけを鮮明に描いたのが『僕のこと、知ってる?』なのかもしれない。今作に触れた後に、あらためて過去の作品に触れてみるとあたらしい発見があるかもしれない。

ミュージックビデオについて、

池田一真の、とくに『Sing Out!』の影響を強く受けている。 乃木坂46のレジティマシーを克明に打った作詞家・秋元康の熱誠の、その流れを汲んでいるかに見える。『Sing Out!』と比較すればスケールの違いこそあれど、構想力に抜群の安定感があり、凡百の作家とは一頭抜く存在感を放っている。たとえば、サビ部分にアイドルのアップを入れてくるところ、それが失敗せずに楽曲の魅力を底上げしているところなどは映像作家・伊藤衆人個人の優れた才能をたしかに感じる。この部分だけはアブストラクトを捨てドラマを描こうとしたのだろうか、たしかなカタルシスがある。とくに与田祐希の表情が素晴らしい。自分ではない何者かを演じきろうとする人間特有の倫理観が、硬直させた笑顔の内によくあらわされている。
この、今日のアイドルシーンにおける百戦錬磨のアイドルが、ここにきてなぜこうも硬直した、ぎこちない、アイロニーのこもった不敵とも言える笑顔を作ったのか、また映像作家にしてもなぜこのような笑顔を演出あるいは許容したのか、という違和感、疑問が、結成10年、記念すべき30作目のシングルとして命題された集大成感、いわゆる「乃木坂らしさ」に応答しているように思えてならない。
いつからか、「乃木坂らしさ」の探求に明け暮れ、ひしがれ、1期2期の育んだ伝統としての「乃木坂らしさ」への反抗・転向、継ぐことと継がないことの束縛、硬直の中でアイドルを伸展・成長させてきた、つまり常に伝統にとらわれまたそれを守り育んできた3期生の面々を、今なお「乃木坂らしさ」という話題の中で裁き物語ることにどれほどの意味があるのだろうか、感傷に引きずり込む笑顔をアイドルの個々が編んでいる。
しかし特筆すべきは、やはりセンターで歌い踊る「久保史緒里」の透徹された佇まいであり、センター=主役を演じるその久保の表現行為をほかのアイドルが客観視しているように見える点、「表現」に憑かれた人間の過剰さを理解し受容してしまっているように見える点、思い込みの強さ、自己に向ける高い精神性を他者にさえも要求しようとするその理想の潔癖さに対し反発したり白けたり動揺したりするのではなく、圭角が取られ冷静に抱擁しているように見えることが、より一層彼女を孤独に陥らせているような、果てしない虚しさをいだかせているような、またそれが作品の全体像、印象に波及し、鑑賞者を突き放した独りよがりなアーティスティックな作品、ではなく、コントル・アタックの一切が封じられた防衛力抜群の虚構が作られているところに今作品の魅力の大部分があるようにおもう。
あくまでも久保史緒里がなにを演じているのか、なにを表現しているのか、であり、楽曲のそなえる世界観が入り込む余地はどこにも残されていない。「グループアイドル」の威光、境地から抜け出ておらず、溺れている。ゆえに、グループアイドルの作品、として眺めればその香気は、一級品、と認めざるを得ない。


歌唱メンバー:久保史緒里中村麗乃向井葉月与田祐希山下美月佐藤楓吉田綾乃クリスティー、伊藤理々杏、岩本蓮加、梅澤美波、阪口珠美

作詞:秋元康 作曲:藤谷一郎 編曲:藤谷一郎