STU48 峯吉愛梨沙 評判記

STU48

峯吉愛梨沙(C)コクリコ/講談社

「翠色のイリュミナシオン」

峯吉愛梨沙、平成16年生、STU48の第一期生。
12歳でアイドルの世界に踏み込む。アーティスト養成学校・アクターズスクール広島出身であり、中元すず香・中元日芽香姉妹と同門。STU48には同校出身者が多い。今村美月大谷満理奈石田千穂、由良朱合、清水紗良、川又優菜、池田裕楽など、とりわけライブパフォーマンスに優れたメンバーが揃い、グループの原料のひとつとして、その価値を底上げしている。そのなかでも峯吉愛梨沙の才能は抜きん出ており、アンファン・テリブルのごとく同世代の若手アイドルを取りひしぐ存在感を放っている。
とはいえ、実際にはグループの作り手、ファンのいずれからも声価に乏しく、シーンにあってはほとんど無名のアイドルに等しい。
峯吉愛梨沙は、歌を唄うこと、を自身の魅力の大部分に定めたアイドルだが、”かなめ”の歌声が独特にすぎるのか、才能が大きすぎるのか、はたまたアイドルの風貌が純真無垢にすぎるせいなのか、その資質に比してデビューから今日に至るまで、脚光を浴びていない。ゆえにその秘められた可能性をして点出の抑えきれない少女、鑑賞者をして飽くことなく賛辞を引き出し言わしめるアイドルであるように思う。

たしかに、アイドルとして飛翔するための要件のいくつかにおいて見過ごせない点がある。まず日常生活全般にわたる芝居の不自然さを挙げるべきだろうか。この人は良くも悪くも日常の多くの場面と、ステージの上つまり非日常の場面とで笑顔に変化がなく、内発的な欲求を拾えない。スポットライトの下に立った際の緊張感を除けば、ステージ上で演じ作ったアイドルがそのまま日常にトレースされており、ぎこちなく見える。アイドルとはこれこれこういうものだ、とするイメージの硬さ、少女特有の紋切り型の憧憬に根ざしたその生硬さは、次に、ミュージックビデオにおける演技へと波及しており、場面場面を切り取れば表情そのものには惹きつけられるものがあるが、動作に関してはまさしくどた靴を踏んでおり、未熟、としか言いようがない。
また、耽美への意識が少女にしては過剰であると感じる。この人は本来的にエキゾチックな笑顔の持ち主で、飾り気のないほうが魅力的に映るのだが、必要以上に着飾りめかす場面が多く、生来の魅力を損なっている。

しかしこうした弱点のいくつかが彼女の才能と強く結びつきそれを端的に裏付けするのも事実である。
特筆すべきはやはりそのスケルツォに満たされた歌声であり、たとえばジブリ映画に抜擢される声優のような、アニメーション=フィクションという場の既存の価値観をわきまえない、日常に味付けしない、混じり気のないヴォイスを峯吉もまた有し、発揮している。少女の身体に宿る未成熟なものが、アイドルとして過ごす日々のなかで、歌い踊る時間のなかで一切の加工を経ず保存されており、グループアイドルを演じる少女の内に見出す不完全さなるものを可憐で神秘的なものへと昇華させている。
この峯吉の歌声が最大限に活かされたのがアイドルの泡沫を桜の記憶にたとえ歌った『片想いの入口』なのだが、2018年に発表・制作された同作品以降、彼女の歌声は鳴りを潜めている。2022年、グループの命運をかけ制作されたシングル『花は誰のもの?』において峯吉は実質初めて「選抜」のイスを手にしたが、アイドルでなければ歌えない、アイドルだからこそ言葉に出せるホープに鎖されたその傑作の内に彼女の歌声を嗅ぎ分け見つけることはほとんどできなかった。やはり、個性が強すぎるのだろうか。
恋愛小説のなかで、登場人物の一人が唐突に政治を語り始めるような違和感をつくり出すその歌声に難があると作り手に判断されたのか、あるいは、ただ単純に演劇力への不安が無視できなかったのか、わからないが、次作『息をする心』において早々に「選抜」から外された。

「選抜」からの脱落の経験に際し、彼女は『花は誰のもの?』の詩情になぞらえ「選抜」に返り咲くことをファンの前で誓ったが、その思考力と行動力、おそらくは「アイドル」が常に生活の中心に置かれ自己を育んできた人間のある種の無垢さ、換言すれば、音楽への解釈の平板さに峯吉愛梨沙の才能の一端が現れているのだろう。
この人は、そこにあるもの以上のことは絶対に読み取らない。いや、読み取れない。
このアイドルは、どんな歌を唄うにしても、その音楽を歌い手の一人として解釈しそれを表現する、のではなく、すでにそこにある音楽から力を得てそれを表現する、という構えを崩さない。音楽を鑑賞する際に、その作品に対し、深読みしない。そこに流れる詩情に対して常に無垢である。ゆえに音楽への純粋な接触を叶えている、と好意的に解釈することができるかもしれない。
その意味では峯吉愛梨沙は、アーティストでありながら自己の携わる作品に対し批評家じみた立ち居振る舞いをとってしまう不純な人間たちとは一線を画している、と云えるだろう。
作品というのは、それが生まれた時点で、表現された時点で、ただそこにある
もの、でしかなく、それを説明しようと試みる、違う言葉で表現しようとすることは、また別の、異なる作品をつくる行為にしかなり得ない。アイドルにしてみても、自分が歌い演じた作品を、自分なりの言葉、自分なりの解釈をもって、人とは違う視点を持つことをファンの前で鼻息荒く表明しようとする少女でシーンは溢れかえっているが、そうした少女たちはまず間違いなく「凡庸」の枠に押し込まれ、バイプレーヤーに分類されるだろう。
ならば、その大衆から離れた場所に立つ峯吉愛梨沙はあるいは天意にそった登場人物と呼ぶべきかもしれない。
自分のなかに音楽がありそれが美意識であると信じて疑わない少女たちとは異なり、峯吉愛梨沙にとっては、音楽のなかに自分があるにすぎず、しかしそれがなによりも活力になるという閃光を叶えているのだから。

 

総合評価 60点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 16点

演劇表現 7点 バラエティ 10点

情動感染 14点

STU48 活動期間 2017年~

2023/04/15  編集しました(初出  2019/12/17)