STU48 菅原早記 評判記

STU48

菅原早記(C)モデルプレス

「さっきーこと菅原早記」

菅原早記、平成13年生、STU48の第一期生。
15歳でデビュー、17歳で卒業。アイドルとして過ごした時間は約2年、やや物足りない。船上劇場「STU48号」の出港を港から見送った早期離脱者の一人に数えられ、STU48では7人目の卒業者となる。
とはいえこの人はデビューから卒業するまで、ほとんど毎日、ファンとの交流を重ねており、内実に乏しいというわけでもないようだ。メディアにおける情報量は極端に少ないが、物語はそれなりにある。
この点はいかにも今日的と言えるかもしれない。菅原がアイドル活動中に参加したシングルは2枚。いずれも表題作の歌唱メンバーには選ばれていない。俗に言うアンダーメンバーということになるが、劇場に足繁く通うことでようやくその存在を認知できた時代はとうの昔、近年では「アンダー」であろうが「選抜」であろうがファンは毎日のように、生きたアイドルを、画面越しにではあるが、じかに目撃できる。
365日、ファンとの交流を重ね見出されたこの人の「紅一点」を端的に述べれば、心根のやさしさ、となるだろうか。他人の喜びや悲しみを自分の感情にすりかえ情動の発露を描ける少女であったらしく、卒業の報に際しては、作り手から「ムードメーカー」と称された。一転、その心根が仇となって、アイドルを取り巻く環境、めまぐるしく変わる境遇にふりまわされてしまったようでもある。
歌も上手い。取り立てて言うほどの個性があるとは思えないが、どんな曲でも、持ち歌でなくても、そつなくこなすだけの確かな技量をそなえている。しかしまったくと言っていいほど声価を得ていない。

今日におけるアイドルの最高度の内面の魅力とは、おそらく「屈託」にほかならない。退屈な日常生活にうつむく少女が「アイドル」に出会うことでほんとうの自分を知るという、夜明けの物語、つまり自己啓発のストーリー化にアイドルの魅力が占められ、アイドルは常に笑顔でいなければならないという意識はもはや時代錯誤のものになりつつある。前田敦子にしろ西野七瀬にしろ、時代に銘記されるアイドルは例外なく「屈託」をもっているし、それをファンに発見させ、共有させている。裏を返せば、大成しないアイドルのほとんどが、内面に秘めているであろう個人の屈託をファンの前にさらけ出す大胆さを有していない、と云えるかもしれない。
菅原早記も例にもれず、内面の屈託の在り処をファンに教えることができなかったアイドルであり、なおかつ、彼女の場合は、他人の感情を汲むことはできるが自分の感情をさらけ出すことはできない、という、性(さが)の皮肉も相まって、ファンの関心を買うことに苦戦したようである。すでに卒業を決心していたであろう日々のなかでも、素顔を隠し通し、ファンにその気配をさとらせなかった。
あるいは、そうした素顔の隠蔽が耽美へと倒れ込んでしまったこともアイドルとしての飛翔を妨げた原因のひとつに数えられるかもしれない。

この人も多くの平凡なアイドル同様に耽美につかれたアイドルであり、自分がファンの眼にどう見えるのか、カメラの向こう側にどう映るのか、過敏になることで、その自意識の過剰さが容貌にあらわされるという、現実の感覚を見失ってしまうような、空転した日常の佇まいをして、数少ない自身のファンをも唖然とさせた。
ある日突然、アイドルの相貌が様変わりし、昨日と今日では別人のように感じてしまう。そうしたファンの動揺をアイドル自らが作り出してしまう理由は一目瞭然で、アイドル自身が自分の生まれ持った魅力を発見することができない日々に耐えきれずに、自分の意思で自分の魅力をつくりだそうと決意するからである。
自分の魅力を知らない人間が、他者に自分の魅力を教えられるわけがない、ゆえにそうしたアイドルは魅力的に映らないから、人気も出ない、というのは大きな間違いで、自分の魅力を知らないから、それを「アイドル」を通して知ろうとするのが「アイドル」の魅力にほかならず、自分の可能性が一体どこにあるのかわからないなかでアイデンティティを模索する、自分の魅力を発見する、つまり夢を見つけようとするその少女の物語に、ファンは夢中になる。だから、自分の生来の魅力がどこにあるのか見当もつかず、またそれを探そうともせず、あるいは、それを見つけたとしても、それを信じ切ることができず、自分の手で後づけの魅力を作り上げてしまう心の弱いアイドルは、往々にして、魅力がない。つまり人気が出ない。
堀未央奈しかり、齊藤京子しかり、河田陽菜しかり…、耽美に陥り、自己の生来の魅力を見失い、夢を破断してしまったアイドルは多い。見知ったアイドルの表情がある日突然、様変わりするのだから、それまで「彼女」の内になんらかの好意つまり魅力を見出すことができていたファンにしてみれば、裏切られた、と感じてしまうのかもしれない。多くのファンが「彼女」に興味を示さないなかで、自分はその魅力に気づいた、という自負が、大衆の関心のなかに進んで飛び込もうとするアイドルの行動力によって倒されてしまう。だから人気が出ないし、人気つまり才能のあったアイドルは、容赦なく減退に曝される。

魅力というものは往々にして他者にはない自分だけのもの、つまり個性である場合がほとんどなのだけれど、耽美というものは往々にして、均質化、つまり個性であったものを均す行為であるから、アイドルは勇気をふりしぼって避けなければならない道なのだとおもう。たしかにうつくしさを増しているように見えるのに、泥水の中を泳いでいるように見えるのが、耽美、なのだ。菅原早記もその隘路に踏み込んでいるかに見えた。
卒業に際し彼女がファンに向けて語った文章のなかに「自分でも知らなかった自分をSTU48に入って 改めて知ることが出来ました。」というセンテンスがある。今日のアイドルの有り様を一言で表した素晴らしい文章だと感じ入る一方で、耽美に陥った彼女の有り様すらも捉えている点はなんとも皮肉的であると思う。*1
菅原と同郷の、岡山出身である藤原あずさも耽美に倒れ込み郷愁を払拭したメンバーであるという点もおもしろい。菅原早記がファンの前で最後に披露した歌は、NGT48の『Maxとき315号』だった。

 

総合評価 40点

辛うじてアイドルになっている人物

(評価内訳)

ビジュアル 7点 ライブ表現 12点

演劇表現 5点 バラエティ 9点

情動感染 7点

STU48 活動期間 2017年~2019年

引用:*1 STU48公式サイト