日向坂46(けやき坂46) 河田陽菜 評価

日向坂46(けやき坂46)

河田陽菜(C)ORICON NEWS/日向坂46

「ラブリィ」

河田陽菜、平成13年生、日向坂46(けやき坂46)の第二期生。
日常の不思議な鮮明さ、という意味では西野七瀬と響きあう資質をそなえた稀有な登場人物であり、一度でもその存在を認知してしまったら、あらゆるシーンにおいて、彼女の横顔に、立ち居振る舞いに意識が釘付けになってしまう。アイドルの物語、その書き出しの一行が、西野七瀬のエピローグと重なり、連なりを記すことからも、河田陽菜は西野七瀬の系譜に与するアイドルと云える。
天真爛漫な少女の面影がまだ残されていて、疎慢で、飛躍する想像力を持ち、たった一度しかめぐりあえないような突拍子もない喜劇を描く、ユーモアでラブリィなアイドルだが、自己を拒絶するような恥じらいを作り、俯き、不甲斐なさに泣いてしまう場面も多い。彼女がすぐ泣いてしまうのは、おそらく、「崖っぷちに追い込まれた」自分、という過去の経験が、未知の体験に対する情動の寄す処になっているからだ。溜め涙の底には、落葉のようにひらひらと降り積もった屈託と決意が見える。彼女は、毎回、観賞者の心に強烈な掻き傷を残すような笑顔と泣き顔を見せる。アイドル・河田陽菜の魅力とは、もらい笑いやもらい泣きといった情動の感染にある。ファンは、彼女が笑っていたら抑えきれず自分も笑ってしまうし、彼女が涙を落とせば、当然、自分も泣いてしまう。なぜ、こうも彼女からもらい笑いやもらい泣きしてしまうのか。あえて理由を探るのならば、それはやはり、常に「崖っぷちに追い込まれた」と自覚してしまうアイドルが、全身全霊でそれを乗り切った際の安堵を、ファンは彼女の笑顔や涙の根拠として受け取るからだろう。
この河田陽菜の”ふにゃふにゃ”した日常とは、現代を生きる若者のニュアンス=当たり前の青春を真っ直ぐに映す鏡だ、と云ったら大仰かもしれないが。言葉の真の意味で”身近さ”を提示する、フラジャイルなアイドルの横顔が一変する場所がある。彼女の日常の弱さは、ライブ舞台装置の上に立つと、ステージ裏の暗がりに押し込まれる。スポットライトを浴びる河田陽菜は勇敢な儚さを帯びている。私はこの一連の光景を以前にもどこかで眺めたことがある。一つの概念、魂が宿屋めぐりをしている事実に思い至る。
つまり、河田陽菜と西野七瀬のシンクロニシティから、まず導き出されるのは、アイドルの涙だ。”あの日”、西野七瀬がラジオで流した涙(観賞者に動揺をあたえ、やがて、もらい涙ともらい笑いを周囲に描かせる涙)とおなじ涙を、アイドルの世界に踏み込んだばかりの河田陽菜は作っていた、という事実を、西野との共時が教えてくれるのだ。陽気だけれど内向的、そんな倒錯を抱える少女が、アイドルとしてはじめてカメラに映し出され、自己紹介をはじめる。だが、言葉を発するまえに、少女は込み上げる涙を自覚し、それを怺えようとする。しかし抑えきれなかった。その表情のこわばり、声の震え方、涙がこぼれ出てしまうまでの猶予、つまりは感情の流路が西野七瀬の物語の作り方とまったくおなじなのだ。なぜ、あの場面で”彼女”は泣いたのか、不安に押しつぶされそうになったのか、その過程に思いを巡らすと心が揺さぶられるのだ。

ま、私もこれまでアルマゲドン起こるたびに「アホだ~」とか「しょうもない~」とか言いながらも何だかんだでチェックしてた人だけど、実際に地元でそれが起こってみると、シャレにならないってのが判る。
気づくのおせーんだよ。
そうなの。遅いの。人間誰しもそうなんだろうけど、実際に自分の身に起こってみないと酷いこととか嫌なこと判んないの。
人間誰しもそうなんだってのは、しかし言い訳にはなんないぞ!
まったくだ。私は反省する。本気で反省する。私はこの反省を活かして今後を生きていかなくてはならない。それより今、このときを何とか乗り越えなければならない。

舞城王太郎 / 阿修羅ガール

アイドルになる覚悟、日常を演りきる覚悟、そんなものにはまったく縁のなかった少女が、ある日、突然”ひかり”と可能性に満ちた、ここではない、もうひとつの別の世界への扉を開く鍵を入手する。少女は”空扉”に手をかける。しかし、あたらしい世界に踏み込む覚悟を、前だけを見て自分の可能性を探るといった希望を抱いた直後に、ほかでもない”昨日の自分”に足を掴まれ、泥沼に引き摺り込まれてしまった。絶対に起こってほしくないと強く願う事象とは、どんなときでも、どのような場面でも、背負った不安は必ず現実のものとなっておとずれる。これは、AKB48から連なるグループアイドルの物語のなかで、気持ちがくじけるほど、繰り返し眺めてきた、ありふれた光景だ。主役の座から引きずり降ろされ辺境の地に閉じ込められた者もいれば、情報に囲繞され、打ちのめされ、ボロボロになり、アイドルの世界から去っていた者もいる。だが、孤独な個人の内面をさらけ出す悔悟の代償としての絶望を経験してしまった人間は、時として、鉄の決意を心の内奥から手繰り寄せることにもなる。文芸の世界を生き抜こうとおもうのならば、まず、なによりも孤独に陥らなければいけない。小説を書くにしても、アイドルを演じるにしても、まず、前にも後ろにも道がない、という状況に遭遇しなければならない。河田陽菜は、この、フィクションを成立するための境遇を手にしたのではないか、とおもう。彼女は、一番大切なものを失うことに脅える人間特有の悔悟を抱えた経験がある。孤独の深さを理解しているし、不安の限界を超えた日もあるはずだ。だから、河田陽菜の作る表情には、心を惹きつけられる。
隔絶から這い出てきた少女の内には、孤独に打ち勝つための度胸が、鉄の決意が具わったのではないか。河田陽菜がみせる立ち居振る舞いは、覚悟と度胸に裏打ちされた日常としてつよく描かれており、彼女はすでに現代アイドルとして文学的な輝きを放っている、と云えるだろう。彼女は、アイドルを、幻想を演りきれる。

「いいかいベイビー。もしも、崖っぷちに追い込まれたら」
ブラジルはいったん言葉を切り、チワワの顔をじっと見てゆっくりとしゃべった。
「もしも、崖っぷちに追い込まれたら、崖っぷちになっちまえばいいのさ」
「なによ、それ。そんなのあり?」
チワワはかん高い声でげらげら笑った。
「ハニー、きみは笑うけど、ほんとさ。崖っぷちになっちまえばこっちのもの。怖いものなんかなにもない」

田口賢司 / ラブリィ

ある日、彼女は、窓をあけて外の匂いを嗅ぐのが好き、と云った。きっと、”匂い”のなかに含まれる記憶を無意識に探しているのだろう。繁華街の側を車で通過するときに車内に吹き込んでくる飯屋の匂い、駅のホームで電車と共に運ばれてくる匂いたち。季節の記憶。匂いや音楽は私たちの季節の記憶を引き出しの奥から引っ張り出す”きっかけ”をつくり出し、日常を写実させる。この感覚は、百年前に生きた日本人、百年後に生きる日本人、どの時代の人間にも共感されるはずだ。本質を貫く感覚を言葉にして伝えられる、伝えようと思い立つ。これは、簡単そうにみえて実は特別な感性が求められる行為である。おもわず笑ってしまう、おもわずもらい泣きしてしまう、アイドル・河田陽菜の驚くほど鮮やかな日常の仕草、濃やかな日常の立ち居振る舞いは、アイドルを演じる少女による日常の写実、その賜物と云えるだろう。彼女が描く日常風景はまさしく白眉であり、彼女が発する言葉のひとつひとつを丁寧に洞察する読者は、アイドルを演じる少女の本心を発見し、それぞれが、彼女の性格を深く理解している、彼女の本当の素顔を知っている、と妄執を抱けるのではないか。そして、この妄執こそ西野七瀬とそのファンが体験した豊穣な物語の追体験であり、通史の観点に立つならば、西野七瀬の続編に位置する物語である。

 

総合評価 77点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 14点

演劇表現 13点 バラエティ 17点

情動感染 17点

けやき坂46 活動期間 2017年~

 

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