乃木坂46 人は夢を二度見る 評判記

のぎざか, 楽曲

(C)人は夢を二度見る ジャケット写真

「人は夢を二度見る」

楽曲について、

32枚目シングルの表題曲。センターは久保史緒里山下美月
楽曲、詩、アイドルがそれぞれ独自に志向し運動しているように見える。音楽の上をアイドルが滑り、空転している。アイドルと音楽の投機接触がなく、ふらふらとしている。ゆえにカタルシスを拾えない。
音楽にはかならずしも興奮が求められるわけではない、と唱えるのは正しくもあり誤りでもある。と云うのも、興奮にだって、飛び上がり自己を奮い立たせるものもあれば、静かに、心の奥でふつふつと胎動するのものだってあるからだ。なにがしかの興奮がなければ、その作品にもう一度触れようとは、きっと、だれも想わない。エンターテイメントにしてもアートにしても、だれかの季節の記憶になり得ないのであれば、繰り返し鑑賞されないのであれば、当為を立てない。その意味では今作品は、エンターテイメントと芸術性のあいだで揺れ動く今日のアイドルの有り様を鮮明に描いた欅坂46の『アンビバレント』とは似て非なるものと云えるだろう。
たしかに、ある作品を前にしてそれを”良い”と感じられるようになるまである程度の時間を要する、繰り返し長時間眺めなければそこにある魅力に至らない、という一方の意味で今作品は久保史緒里=乃木坂らしさを想わせるし、その繰り返し聴くという行動に働きかけるのが音楽ではなくアイドルであることもまた、いかにも今日的なアイドルソング、であり、その点においてはいずれ受容されてしかるべきかもしれないが。

ミュージックビデオ、ライブ表現について、

振り付けが難解にすぎるのか、アイドルに才能がないのか、わからないが、ほとんどのアイドルがステージの上、カメラの前に立つ水準に達していない。
映像作品にあっては、センターが上手く踊れていない部分、をカットし代わりにアイドルのアップを多用したり、演技に転じて崩し誤魔化しているように感じる場面が多々ある。演技はできるけれど、躍ることはひどく苦手だ、というところもまた、乃木坂らしさ、として飲み込むべきなのだろうか。

全体的に散漫、冗長な構図だが、映像を通して作り手とアイドルが再会する、たとえば『夜明けまで強がらなくてもいい』のブレイクを想わせるシーンには、心躍るものがあった。

歌詞について、

だれでも一度は、あるいは幾度も日常のなかで思うこと、しかしまたそれが作詞家・秋元康の個人的な思惟、イノセンスであると想わせるもの、を上手に記せている。
目的が叶ったらそこで同時に夢も終わる、という私たちが生きるこの世界にあってもなお間断なく夢を抱こうとする物語の設定を非現実的な憧憬に堕すことなく、当たり前の生き方として捉えさせる点は心を揺さぶる。とくに中盤以降の歌詞の作り方、視点の持ち方、私情の打ち出し方、物語の編み方が素晴らしい。
今作品においてより顕著になったが、日々成熟し洗練されていく作詞家・秋元康の思惟つまり詩情に対し、作品毎に入れ替わる他の作り手(作曲家、映像作家、アイドル)たちがそれに拮抗することができないという点は、今後、おおきな課題として挙がるのではないか。


歌唱メンバー:久保史緒里、山下美月、遠藤さくら、菅原咲月、田村真佑与田祐希、井上和、梅澤美波、筒井あやめ、川﨑桜、佐藤璃果、賀喜遥香金川紗耶、早川聖来、一ノ瀬美空、松尾美佑、五百城茉央、岩本蓮加、弓木奈於、柴田柚菜

作詞:秋元康 作曲:松尾一真 編曲: APAZZI