STU48 谷口茉妃菜 評判記

STU48

谷口茉妃菜(C)ENCOUNT

「ワンオブゼム」

谷口茉妃菜、平成12年生、STU48の第一期生。
ジュール・ルメートルによれば、ディレッタンティスムとは、あらゆることを知りつくそうとする欲望にほかならないという。その意味では、STU48の谷口茉妃菜ほど好事家泣かせのアイドルはほかにいない。
大島優子に憧れ「アイドル」の扉をひらいてからすでに6年経つが、語るべき物語、語られるべき物語を何一つ持たない。常識が通用しない世界、清廉潔白であることを普段の立ち居振る舞いをもって証明しつづけなければならない息苦しさ、閉塞感、ある種の青春の犠牲を強いられる世界で6年以上生活しているが、浮世離れしたところは一つもない。当たり前の日常とひきかえになにを得ているのか、見えてこない。アイドルの横顔に特筆がなく、アイドルとして禿筆をふるった場面もない。メディアにおける情報の乏しさに始まり、日常の機微の無さ、ライブステージの上における幻想の弱さ…、アイドルの魅力を探る時間のなかでわだかまったその気持ちは最後まで晴れることがない。卒業しているのか、現役なのか、一瞬、躊躇させる。それくらい存在感に乏しい。

当然、アイドルとしての人気・知名度は極端に低い。
グループ初のオリジナル楽曲であり、無何有の郷への憧憬を歌った『瀬戸内の声』への抜擢を最後に、アイドルとしてのキャリアは尻すぼみになる。表題曲の歌唱メンバーに選抜されたのは、いわゆる「全員選抜」を敷いた『大好きな人』と『思い出せる恋をしよう』の2作品のみ。楽曲制作にあたり作り手がその作品を表現するにたるメンバーを選抜する、いわば理想を編むという意味における「選抜」をこれまでに一度も経験していない。歌をうたうことや、演技に対する熱誠には並みではないものがあるようだが、いずれも「表現」の域に達しない。
内に秘めているであろうものを表に現すことができないから、物語が生まれないのだろう。ゆえに、その実力を問うならば、ドラマツルギーの乏しさを端にして、アイドルを組み立てるステータスのほとんどが平均値を大きく下回る。他者の意見によって自己のアイドルのスタイルが崩れぬよう意識し行動している点は頼もしく感じるが、如何せん言葉の覇気の無さ、客気の欠如は目に余る。アンダーのカテゴリーから抜け出ない。

つまり個性がないということだが、個性がない、と一言で切ることを躊躇させるのが6年というキャリアの長さである。STU48というアイドルグループの客気に駆られたストーリー展開、境遇の熾烈さを知れば知るほど、その境遇を生き抜きアイドルでありつづけているという事実を前にして、個性がない、と言い切ることに、いささか躊躇が生まれる。6年という、グループアイドルとしては途方も無い時間の長さを有しながら取り立てて話す物語がないというその違和感、現実を前に、一種のヌエ的イメージを抱かなくもない。
この人は、いろいろなアイドルに似ている。同期ならば、家族のような存在だと谷口みずからが話す、矢野帆夏と見間違うし、2期ならば小島愛子を想起させる。似ているようで、違うような。それでもやっぱり似ているような、とらえどころのなさ。こうした感慨を作品の水準に押し上げてしまったのが日向坂46の4期生であり、4期のデビューソング『ブルーベリー&ラズベリー』なのだが、その象徴とも言える小西夏菜実の横顔にかさなるヌエ的イメージが谷口にも宿っているように感じる。
要するに、無個性であることを個性として受容することで、アイドル、ではなく、グループアイドルの魅力が立ち現れるのだという諧謔(かいぎゃく)に谷口茉妃菜というアイドルのおもしろさがあるのかもしれない。
言われてみれば、徳島という土地の有り様と、谷口茉妃菜というアイドルの有り様には、どこか通い合うところが多々あるように見える。生まれた土地に「アイドル」が生かされる、という意味では、立ち上げ当時に掲げたグループの憧憬を叶えている。

 

総合評価 36点

アイドルの水準に達していない人物

(評価内訳)

ビジュアル 4点 ライブ表現 11点

演劇表現 7点 バラエティ 9点

情動感染 5点

STU48 活動期間 2017年~