STU48 森香穂 評判記
「ショールーマーの星」
森香穂、平成9年生、STU48の第一期生。
つくねんとした容貌とは裏腹に、情熱に勇躍したアイドルであり、アイドルの扉をひらいてから卒業するその日まで、常にファンに自身の情動の在り処を指し示し、その心を揺さぶった。とくに、卒業を申し出た直後にそれを撤回したというあられもないエピソードは飛びきりにおもしろい。
学生時代、アルバイトに明け暮れ、青春を謳歌することができなかった、と述懐している。青春への名残が「アイドル」を青春そのものと扱う地熱に変わることで、森香穂の内に異様なまでの情熱が宿ったのかもしれない。
福田朱里によれば、森はAKB48のことをあまりよく知らない少女、であったらしく、職業アイドルに憧れ、アイドルになることが大きな夢だと語る多くの少女たちとは夢の立場を異にしている。アイドルになることが、ばくぜんと、なにか大きな夢を手にすることにつながるだろうという希望のもと、STUの門をひらいた。
そうした姿勢が好感を誘ったのか、とりわけ市岡愛弓との交流に際しては、既存の、出来上がったアイドル観の枠から外れた稚気が描かれ、夢に強く結ばれた関係であることをファンに印象付けている。
卒業後、ゼロイチファミリアの「#よーよーよー」の一員として改めてアイドル・デビューを飾った森と同じく、市岡もまた指原莉乃プロデュースのアイドルグループ「≒JOY(ニアリーイコールジョイ)」のオープニングメンバーとなってアイドルシーンに再登場した点もおもしろい。
森と市岡がSTU48から離脱したのは、紆余曲折の末、船上劇場「STU48号」(後に廃船)が完成した2019年。この年、10名のアイドルが同グループを去っている。希望の門出であるはずの出港が「アイドル」からの旅立ちを意味したその少女たちの点鬼簿に森と市岡の名も含まれている。
SHOWROOMの申し子、という触れ込みどおり、森香穂は自己表現の場のほとんどをその空間に委ねている。
劇場を持たず、日々スマートフォンカメラの前でファンとの交流をはかるアイドルの現状を指し、ファンから「チャットレディ」と揶揄される今日のSTU48・アイドルの草分け的存在であり、森はメジャーアイドルになる前から、すでにチャットレディ、ショールーマーとして活動していた。
ゆえに画面を通してファンのこころを掴むのが非常に上手い。山の天気のように画面の向こう側のアイドルの表情・機嫌が変わることでファンはアイドルに釘付けになった。事実、森にSHOWROOMでの立ち居振る舞いを教授されたメンバーも多いと聞く。まだ右も左も分からない、デビュー直後のSTUにあってはその存在感は別格に大きく、グループアイドルとしてはこれ以上ないスタートを切っている。
とはいえ、森が存在感を放てたのはグループの黎明期にあたる『瀬戸内の声』『暗闇』までであり、グループがこれまでの方針を投げ捨てダンスに力を入れるアイドルグループへと転向した『風を待つ』を機に彼女は「選抜」から外されてしまう。察するところ、この時期のSTU48はアイドルらしくメルシーに笑うことよりも、洗練された踊りを作り上げることに熱意を傾けており、けして少なくはない数のメンバーがそうした作り手の一方的な熱意に動揺し、やがて辟易し、アイドルを演じることに区切りをつけている。
森香穂個人に視点を戻し、別の言い方をすれば、チャットを通して獲得するファン人気と、アイドルのことを間近で眺めてきた作り手の評価にズレが生じ、対決してしまったのではないか。
理由は定かではないが一定数、ファンを引きつけるメンバーがいる。ならばこの少女にはなにかしらの魅力があるのだろう、という予感に裏打ちされ「選抜」の一方を組み上げたのがデビュー初期のSTU48なのだが、デビューから2年の月日が流れれば当然この意識にも変化が生じる。デビュー3年目ともなればアイドルのそれぞれは個々にやりたいことを明確に見つけるだろうし、それはきっと作り手も変わらない。かつてぼんやりとしていたものがはっきりと見えてきた際に、ファンの声価と、誰よりも間近でメンバーのことを眺めてきた自分たちの評価とが一致しないことは、理想の妨げにしかならない。理想を現実に変えるには、中途半端に人気があるだけのメンバーは容赦なく「選抜」からはじき出す必要がある。反対に、仮に人気がないメンバーであっても理想(理想、などと高尚に表現することに差し支えがあるならば、人心)に合致するなら、「希望」の選択肢に入る。
こうした矜持が作り手の内に自他ともに目に見えるかたちで出てきたのがセカンドシングル『風を待つ』であり(私の記憶が確かならば、同シングルにおいて歌唱メンバーに抜擢されたアイドルは、以後、参加したすべてのシングルで「選抜」に座している)、森は、このSTU48の未来を担う作品の歌唱メンバーには選ばれなかった。
今日のSTU48を眺めれば、『風を待つ』において打ち出した憧憬がしっかりと下敷きにされているのは一目瞭然であるから、そこに容喙する必要はもはやどこにもない。過酷な境遇のなかで序列闘争を凌ぎ切ったアイドルたちが作り出すそのライブパフォーマンスには確かに他のグループにはない力強さ、迫力がある。
裏を返せば、チャットレディとしての才能、いや、努力が、現実のアイドルとしての活動の場ではなんら貢献しなかった、通用しなかった、という点に、つまり教訓に森香穂という人の価値があるのだろう。
ファンとのコミュニケーションからステージ上で作るダンスに至るまで、すべて耽美としての自分磨きに励んだ森香穂が結果として売れなかったことには、境遇の健全さを見出すべきかもしれない。
ゆえにこの人は与えられた境遇に対しとにかく空回りしているように見えた。
在籍するメンバーのすべてを歌唱メンバーに採用する、いわゆる「全員選抜」を組んだ『大好きな人』において、作り手のその矛盾した思考、「選抜」の価値を貶めるそのシステムに対し当事者でありながら堂々と反動を提示した点は、「グループアイドル」と云うよりも「ソサエティ」への深い理解、明晰な頭脳と度胸の持ち主だと感じるが、そうした彼女の性格は、総じて、裏目に出てしまう。
2018年6月、森はSHOWROOMを通じて、劇場支配人からのセクハラ被害にあったことをファンに告発する。
同年7月、公式サイトに劇場支配人名義での謝罪文が掲載される。
同年12月、「NGT48・山口真帆暴行被害事件」が発生。
翌年1月、山口本人がSHOWROOM内で事件を告発。
ここでそれぞれの事件について容喙する余裕はないが、この時系列を眺め想うのは、アイドルを演じる少女たちがその活動のなかで、その裏側でトラブルが起きた際には、何をおいてもまずファンにそれを伝える、涙を流し訴え出る、言わばファンに中労委の役割を求める、という構図の確立である。であればやはり森香穂はSHOWROOMというコンテンツにおける事象と現象の草分け的存在と呼ぶべきだろう。
森、山口がシーンを去った今日でも、大なり小なり、納得のいかない出来事、不満が生じた際には即日ファンの前でそれを漏らすアイドルに絶えない。たとえばSTUならば2.5期生の岡村梨央がそれにあたるだろうか。
少女たちがアイドルの内情を詳らかにする光景への是非はともかく、断定して言えることは、そうしたアイドルはもはや偶像でも神秘でもなんでもないという点である。
常識が通用しない世界で常識を求めることの正義感、勇気が必ずしもそのアイドルを飛翔させるわけではないという点、自分の感情をおしころすことが美徳にされるという点は「不条理」としか言いようがないのだが、アイドルに限って云えば、アイドルという言葉の意味を考えれば、それは当然の帰結でしかないように思う。
アイドルがみずから、自分は「アイドル」つまり「偶像」などではなくファンと同じ生身の人間なのだ、というたぐいのメッセージをファンに投げあたえてしまう森香穂の性(さが)は、やはり同じようにSHOWROOMを主戦場にしてアイドルを育んできた中井りかと共時していると言えるかもしれない。
しかるに中井りかはアイドルに対する真面目さによって編み出される葛藤、つまり熱誠を、ドラマやミュージックビデオなどの映像作品における演技へのリアリティに還元させアイドルの命を生かしてしまうという離れ技を見せたが、森にそのような特性は具わっていなかった。
総合評価 45点
辛うじてアイドルになっている人物
(評価内訳)
ビジュアル 11点 ライブ表現 5点
演劇表現 3点 バラエティ 12点
情動感染 14点
STU48 活動期間 2017年~2019年