NGT48 山口真帆 評価

NGT48

山口真帆 (C)スポニチアネックス

「スーパーダイアローグ」

NGT48のオープニングメンバーであり、情動という点で極北に立つアイドルである。平成の終わり、令和の始まりに、生きる価値、日常を演じることへの問いの提示、激突、自身の情動を真正面からシーンに投げ付けた。
ビジュアルについては、トレンドに融和し、シーンの収斂からはみ出さない華やかで減衰する美を抱えており、白石麻衣がつくった現代アイドルのあたらしいジャンル、系譜に与する。ヴァルネラブルの受け入れによってみせる物思いに沈む仕草が、境遇に振り回される悲劇や儚さといったアイドルの存在理由を充たすに欠かせない材料の所持を妄執させる点に、そのあたらしいジャンルから分岐する、あるいは逆行する未成熟さが覗き、揺れ動く秤のように、きわめて不安定な美に映る。表現の分野での貧弱さは隠せないが、ドラマツルギーの観点で、無垢と愚直が併存する底知れない暗さ、稚気がグループアイドルの描く群像劇を成立させる登場人物としての役割を充たしており、自身がアイドルを演じることを、存在することを”必然”と認定する声量の獲得に成功している。不本意な出来事によって筆を擱くことになったが、卒業そのものにクリティークが渦巻くというのは、向田茉夏、神門沙樹、須藤凛々花、橋本奈々未、今泉佑唯等に連なる虚構であり、山口真帆は記録よりも記憶に残るアイドルと云える。

「…どうした?僕、気が変みたいに見えないよな?」
「とびきり快調に見えるさ」
「いったんおかしいって決められると、ものすごく面倒臭くてさ」とニックは言った。「もう二度と、誰にも信頼してもらえなくなる」

ヘミングウェイ/こころ朗らなれ、誰もみな「君は絶対こうならない」

作家に求められる資質とは、個性的な文体でも、情感豊かな描写でもなく、”時代を先回りし迎え撃つ”文章である。夏目漱石がニートを書き、大江健三郎は宗教とテロルの緊密を、村上春樹は現代人の無関心と無理解をその時代が訪れる前に物語った。不吉な予言と見間違う文章、しかし、予言ではない。人間の本質を描く行為が、結果として、未来を、希望を立ち現せることになる。つまり、我々は”物語”に対して傍観者にはなれないのだ。我々の物語(人生)は、行動は、日常は古本屋に積まれた文庫本のなかですでに書かれているし、紀伊国屋の新刊コーナーで色鮮やかに描かれるPOPのなかで紹介されている。あなた自身、あなたが昨日読み終えた純文学小説の主人公であるし、その主人公の友人、家族である。あるいは”彼”を、”彼女”を愛し傷つけ、嘘を吐くために真実を駆使する末端的登場人物かもしれない。齋藤飛鳥は『羊をめぐる冒険』の”僕”であり、『阿修羅ガール』の”アイコ”でもある。白石麻衣は『エバは猫の中に』の”エバ”と連関し、佐々木琴子は『百年の孤独』の”エレンディラ”を包んだシーツと同じシーツを掴む。須藤凛々花は『宙返り』の”師匠(パトロン)”のように転向をした。寺田蘭世は『ブランコ』の主人公とすり替わり詩的責任を果たすための的になった。高瀬愛奈は『イマニミテイロ』の脇役として物語に登場し、介入し、没入して、そこから戻ってこない。もちろん、アイドルを演る少女たちもまた、一篇の虚構を作る”作家”であることを見落としてはいけない。それ故に、彼女たちは他者の物語と連関し、より虚構に囚われるのだ。

ガルシア・マルケスの小説に『電話をかけに来ただけなの』という短編がある。ヘミングウェイの『君は絶対こうならない』で置かれた科白が命題の物語。
「春の雨が降る午後」に主人公のマリアは仕事に向かう途中、運転する車の故障にみまわれる。ヒッチハイクをする彼女の前に一台のバスが止まる。「運転手はそんなに遠くまで行かないことを、たしかに彼女に告げた。《かまいません》とマリアは言った。《とにかく電話をかけたいだけですから》」マリアは夫であり仕事のパートナーでもあるサトゥルノに約束の時間に着けないことを知らせる必要があった。「バスには、年齢不詳の、さまざまに異なった様子の女たちが乗ってい」た。やがてバスは「修道院のような、大きな陰気な建物」の中庭に入る。バスに乗っていた女たちは一列に並び、警備員によって建物の玄関に誘導されて行く。マリアは玄関まで来ると「《電話をかけに来ただけなんです》」と警備の上役の女に伝える。「《わかったわ、お嬢さん…ちゃんとお行儀よくしていれば誰に電話をかけてもかまわないのよ。でも今はだめ、あしたにしましょう》」と、マリアを寝室に連れていく。そこで漸く、マリアは「陰気な屋敷」の正体が修道院などではなく、「心の病をもった女たち専門の病院」だと気付く。「恐怖にかられて彼女は寝室から走って逃げ出したが、玄関口に着く前に、機械工のようなつなぎ服を着た巨体の女監視人につかまり、熟練した羽交い締めによって地べたに押さえつけられた。マリアは恐怖に麻痺しながらこの女を肩越しに見た。《神様にかけてお願い、死んだ母に誓って、電話をかけに来ただけなのよ》。」
この主人公のマリアを、彼女を”患者”と妄執して匿う「陰気な屋敷」から救出できる唯一の登場人物が彼女の夫であるサトゥルノだが、仕事の時間になっても姿を現さない、連絡も寄越さないマリアに対して彼が抱いた「焦燥」は、自分がマリアに捨てられた、というマリアの「出奔」であった。マリアは過去に彼を捨てたことがあった。「《愛には短い愛と長い愛があるのよ》…《これは短い方の愛だわ》」と無慈悲に言い放ち、サトゥルノを捨てた過去があった。だから、今度も前と同じように、自分は彼女に捨てられたのだ、と彼は確信する。サトゥルノは彼女のあたらしい恋人だと妄執する男に無言電話をかけるようになる。「彼は自制を失った。それからの数日間、彼はバルセローナの知り合い全員にアルファベット順に電話をかけた。誰も彼の言うことに同意する人はいなかったが、電話をするたびに彼の不幸は深まった。嫉妬にかられた彼の妄想は、金持ち左翼人社会の常習的な夜更かし族の間で広く知られるようになり、みんな彼を苦しめるような冗談ばかりを返してくるようになったからだ。その時になって彼は初めて、この美しい都市-この狂った不可解な都市、自分がけっして幸せにはなりえない都市-において自分がどれほどまでにひとりぼっちであるのか理解した。夜明け近くになって、猫に餌をやってから、彼は死なないように自分の心を握りしめて、マリアを忘れる決意をした。」
「二ヶ月たっても」マリアは「陰気な屋敷」の暮らしに馴らされていない。「囚人食のような食事」をついばみ、脱走を試み、看守に捕まり、抵抗すれば狂人扱いされ、叩かれた。夜は退屈で孤独だった。「地獄の底」を彼女は生きのびた。「この地獄から脱出するためならこの世にできないことは何もない」と彼女は自覚する。彼女は夜警の部屋に向かい”取引”をする。その覚悟は妥協ではなく、喪失と云えるかもしれない。彼女は、夫にメッセージを届けることに成功する。
「刑務所と告解室とがまざったような面会室は、昔の修道院の外部者面接室だった。サトゥルノが室内に入っても、両者が期待してたかもしれない喜びの爆発というふうにはならなかった。マリアは部屋の中央、椅子ふたつと、空の花瓶が置かれた小さなテーブルの横に立っていた。イチゴ色の情けないコートを着て、見るに見かねてあたえられたひどい靴をはいており、彼女が出所するつもりで準備してきたことは明らかだった。…《調子はどう?》と彼はたずねた。《やっとあなたが来てくれて、うれしい》と彼女は言った。《ここは死ぬよりひどかった》。…涙にむせびながらマリアは幽閉のみじめさを語り、番人たちの暴力、犬のような食事、こわくて目も閉じていられないような果たしない夜について話した。…《もう二度と同じ人間にはもどれないと思う》。」このマリアの無垢な祈りと、彼女と対峙するサトゥルノの審判、科白こそ、時代を迎え撃つダイアローグである。「《でも、それも全部終わった》と彼は生々しい顔の傷を指先でなでながら言った。《ぼくは毎週土曜に来るよ。もっと来てもいい、院長先生が許可してくれれば。すべてうまくいくさ…簡単に言えば、完全に回復するにはまだ何日か、かかるらしいんだ》。…彼女は愕然となって言った。《あなたまであたしが狂ってるなんて信じてるの!》。《なんてことを言うんだ!》と彼は笑おうとしながら言った。《要するに、誰にとっても、きみがもうしばらくここに残った方がいいということなんだ。もちろん、もっといい条件のもとでね》。《でも言ったじゃない!あたしは電話をかけに来ただけなのよ!》。」(*1)

この『電話をかけに来ただけなの』の主人公マリアは”あなた”を映す鏡である。オブセッションに塗り替えられた彼女の叫びも、彼女を匿う陰気な屋敷も、彼女を叩きつける看守も、妄想に囲繞されるサトゥルノも、すべて、あなたを映す鏡なのだ。

 

総合評価 61点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 8点

演劇表現 11点 バラエティ 12点

情動感染 16点

NGT48 活動期間 2015年~

引用、出典:(*1)「」ガルシア・マルケス/予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語 / 電話をかけに来ただけなの

評価点数の見方