STU48 市岡愛弓 評価

STU48

市岡愛弓(C)blt graph.vol.39/東京ニュース通信社

「片想いの入口」

ステージ上で揺き笑う「市岡愛弓」を眺めていて、私が想起したのは、「今泉佑唯」であった。容姿や立ち居振る舞いが似ている訳ではない。(アイドルが作る)虚構とリアリティーのバランス感覚が今泉の物語と似ている、と想った。『片想いの入口』において、過去と未来に挟撃される「現在」を鮮明に表現してみせ、魂が焼き付くような未成熟な咆哮は、まるで未完の文学小説のように未曾有な、底知れぬ可能性を提示した。その未成熟の表出が今泉佑唯のヴァルネラブルの露出に重なる。「何をしていても気になってしまう(*1)」、失ったあとに、「彼女(今泉佑唯)」というアイドルの奇跡を延伸することが”できたかもしれなかった”という事実を身勝手に想い狂う。「こんなはずじゃなかったのに…(*2)」とファンは後悔する。喪失を経験する。豊穣な物語=完結した喪失を描くトップアイドルと同等のストーリー性、つまりフィクティブな批評空間を作り上げる希求力が14歳の少女に、市岡愛弓に、すでに具わっている、という事実は驚嘆に値する。

歌唱力については、文句なしである。意外性と迫力がある。心の内奥を揺さぶろうとしてくる握力を感じる。透徹したヴォイスの持ち主であり、空気と共に心を振動させ季節の記憶を呼び覚ます。未成熟な頼りのない”ふるえ”が緊張感の共有を作り、想念の凄みとなって観者を圧倒する。だが、未だ、そこに「市岡愛弓」を感じない。歌唱力は傑作だが、アイドルとしての日常を千切って投げ捨てる衝動(表現力)が欠如している。『片想いの入口』においては、その未成熟さが歌詞と止揚し、楽曲を深化させることに成功したが、アイドル個人として評価する際には看過できない欠点に映る。これは、ひとつの倒錯として、難易度の高いバランス感覚の要求にきこえるが、人として、アイドルとして、多様性を獲得し、高い表現力を持つアイドルに成長する過程で、必然的に、越えなくてはならない「壁」となって、彼女の眼前に立ち現れるはずだ。しかし、それが隘路の入り口になる予感はまったくない。市岡愛弓がアイドルとして我々の前に姿を現したタイミングに、その壁を乗りこえる為の、宿命的な力(意味性)を見い出してしまうから。「グループアイドル」の収斂が丹生明里の誕生によって明確に告げられた平成年間の終わりに、市岡は歌をうたうことをアイデンティティとした、グループアイドルの範疇をはみ出るアイドルとして屹立するからである。AKB48の登場によって、アイドルのあり方が、ソロアイドルからグループアイドルへと完全に移行し、女優や歌手をアイドルと見做さない固定観念が形成された現代のアイドルシーンにあって、結果的に、市岡愛弓は、ソロシンガーとして、現代アイドル史に転換点を描いた人物と銘記される可能性を秘めている。

 

総合評価 66点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 16点

演劇表現 10点 バラエティ 12点

情動感染 14点

STU48  活動期間 2017年~

引用:(*1)(*2)STU48/秋元康 「片想いの入り口」

評価更新履歴
2019/02/10 ビジュアル13→14 情動感染13→14
2019/04/11 バラエティ 11→12

評価点数の見方