STU48 市岡愛弓 評価

STU48

市岡愛弓(C)blt graph.vol.39/東京ニュース通信社

「片想いの入口」

市岡愛弓、平成15年生、STU48の第一期生。
舞台装置の上で踊る市岡愛弓を眺めながら、私が想起したのは今泉佑唯であった。容姿や立ち居振る舞いが似ているわけではない。アイドルが作る虚構とリアリティーのバランス感覚が今泉の物語と似ている、と想った。『片想いの入口』において、過去と未来に挟撃される”現在”を鮮明に体現し、魂が焼き付くような未成熟な咆哮は、まるで未完の文学小説のように未曾有な、底知れぬ可能性を提示した。その未成熟の表出が今泉佑唯のヴァルネラブルの露出にかさなった。「何をしていても気になってしまう」、失ったあとに、彼女(今泉佑唯)というアイドルの奇跡を延伸することが”できたかもしれなかった”という事実を身勝手に想い、狂う。「こんなはずじゃなかったのに…」と、ファンは悔悟を抱え込む。喪失を経験する。豊穣な物語=完結した喪失を描くトップアイドルと同等のストーリー性、唐突に”彼女”を失うかもしれないという不吉な胎動の手触り(フィクティブな批評空間)を15歳の少女から、市岡愛弓からすでに投げつけられた、という事実は驚嘆に値する。(*1)

歌唱力については文句なしである。意外性、迫力がある。心の内奥にある塊を掴み、不用意に揺さぶろうとしてくる握力を感じる。久保史緒里の透徹したヴォイスにある種の「ダイナミック」を付与したような、叫びにも似た唄声を市岡愛弓はそなえている。未成熟で、頼りのない”ふるえ”が緊張感の共有を作り、観者を圧倒するのは想念の凄みを発見するからだろう。だが、未だ、そこに「市岡愛弓」を感じない。歌唱力は傑作だが、アイドルとしての日常を千切って投げ捨てる衝動(表現力)が欠如している。『片想いの入口』においては、その未成熟さが歌詞と止揚し、楽曲を深化させることに成功したがアイドル個人として評価する際には看過できない欠点に映る。これはひとつの倒錯として、難易度の高いバランス感覚の要求にきこえるが、人として、アイドルとして、多様性を獲得し、高い表現力を持つアイドルに成長する過程で、必然的に越えなくてはならない「壁」となって彼女の眼前に立ち現れるはずだ。しかし、それが隘路の入り口になる予感はまったくない。市岡愛弓がアイドルとして我々の前に姿を現したタイミングに、その壁を乗りこえる為の、宿命的な力(意味性)を見い出してしまうから。「グループアイドル」の収斂が丹生明里の誕生によって明確に告げられた平成年間の終わりに、市岡は歌をうたうことをアイデンティティと成立させた、グループアイドルの範疇をはみ出るアイドルとして屹立するからである。AKB48の登場によって、アイドルのあり方がソロアイドルからグループアイドルへと完全に移行し、女優や歌手をアイドルと見做さない固定観念が形成された現代のアイドルシーンにあって、結果的に、市岡愛弓はソロシンガーとして、現代アイドル史に転換点を描いた人物と銘記される可能性を秘めている。もちろん、グループアイドルのソロシンガー化への試みと失敗は板野友美以降、幾度となく繰り返されてきたのだが。

 

総合評価 65点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 16点

演劇表現 10点 バラエティ 12点

情動感染 13点

STU48  活動期間 2017年~2019年

引用:(*1)STU48/秋元康 「片想いの入り口」

評価点数の見方