ブログを始めて4年経ちました

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「もうひとりの自分」

「アイドルの値打ち」を立ち上げてから4年が経った。4年経った今でも、日々、けして少なくはない数のアイドルファンがサイトにアクセスし読者になってくれている。物書きの身として、これ以上の喜びはない。多少の偏りはあるけれど、坂道シリーズに向けた記事、AKBグループに向けた記事、最新記事から過去に書いた記事まで、ほぼ満遍なく読まれているようだ。西野七瀬、大園桃子、平手友梨奈の記事は今でも多くの読者にアクセスされている。裏を返せば、それだけアイドルシーンが今なお盛り上がっているということなのだろう。過去の登場人物への興味・関心が完全に失せてしまったら、それは本当に、終わりの始まり、なのかもしれない。

とはいえ、おそらく、いや、まず間違いなく、ほかの誰よりもこのブログを読んでいるのは筆者である「楠木かなえ」自身だろう。ある小説が書かれたとき、その小説を一番読むのは、読んだのは、誰になるだろうか。担当編集者か、熱心なファンか。それはおそらく、作家自身にほかならない。書きながら考える、考えながら書いたものを「文章」と呼ぶならば、当然、その「文章」を一番読んでいるのは作家自身に相違ない。批評も、またブログも、同じことだろう。
「アイドルの値打ち」を読みながら、ふと、もうひとりの自分、という表現の多用に気づいた。多用=乱用ではないし、「もうひとりの自分」がクリシェになるとは思わないが、その「もうひとりの自分」についての思考がどこにも記されていないように感じた。言葉の意味とか、それを用いた真意とか、解釈だとか、そういったものを別の場所で説明する行為ほど愚かなものはないのだが、そうした行為とは別に、もうひとりの自分、について私情を宿したことがあったか。

もうひとりの自分。これは要するに、自分だけど他人である。他人だけれど自分である。ということを言っている。抽象的であり、また具体的な表現であるようにおもう。自分ではないなにものか、を日常のなかで演じる少女=アイドルを形容するのに格好に映る。アイドルを演じる少女に向けてならば、彼女たちの作る「アイドル」こそ、本来の自分ではない自分、つまり、もうひとりの自分、と捉えることが容易いだろうから。あるいは「アイドル」こそ彼女たちにとっては、本来の自分、なのかもしれないが。
しかし、自分を他人に感じてしまうのは「アイドル」に限った話ではない。私たちファンの側にしてみても、それぞれ、かたちは異なるだろうけれど、多かれ少なかれ、自己の他人化、の経験を持つのではないか。とくに「過去の自分」というのは、自分でありながら他人化される場合が多いようにおもう。

中学生の頃、卒業旅行だったか、クラスのみんなで遊園地に遊びに行った。4人の班、5人の班が作られ、私の班は5人だった。奇数となれば、当然、アトラクションに乗れない人間が出てくる。その日、大抵の場合、それが私だった。おそらく、遊園地という楽しい時間を過ごすはずの場所で、一人余る、という状況に耐えきれなかったのだろう、トイレに行く、と言ったか、お土産屋に行くと言ったか、とにかく一人になって、泣いた。仲の良い同級生であっても結局親友ではないという寂しさ。小学生の頃は、何をするにも一緒、という仲の親友がいたけれど中等部にあがってからは、とくに理由もなく疎遠になってしまった。だから余計に自分に友人がいないことの寂しさを痛感したのかもしれない。おもしろいのは、さっきまで泣いていたくせに、いざアトラクションに乗れたときは、嬉しくなって、無邪気に笑みをこぼした記憶があることで、つまりそういう過去の記憶を前にして「おもしろい」と感じるところに、他人化、があるのではないか。
過去の自分の「涙」を眺めて、テレビドラマや映画の登場人物の「涙」を見ているときみたいに可愛そうに感じたり、微笑ましくおもったり、「大丈夫さ、そんなこと大した問題じゃないんだよ」と思わず励ましてしまう瞬間こそ、過去を自分の身から引き剥がした瞬間であり、自己の他人化、なのではないか。あるいはこれを、成長、と表現するのかもしれない。

「アイドル」の扉をひらいた少女たちはこうした体験を、私の場合には10年20年の時間を要した「自己の他人化」を、アイドルという自分ではないなにものか、自分ではないなにものかだけれどそれはたしかに自分にほかならない、という日常を演じる生活のなかで急速に積み上げて行くのではないか。ならばそれは「成長の物語」と呼ぶべきだろうし、アイドルの魅力、なぜこうも少女たちに魅了され、引きつけられてしまうのか、目には見えない原動力の一つに、この、もうひとりの自分、がある、と云えるのではないか。

余談になってしまうが、こうした「自己の他人化」が起きない「過去」もある。それは「恋愛」である。
10代の後半、いわゆるひと夏の恋を経験した。私の場合、ひと夏どころか、一週間の恋、だったのだが。そのひとのどこを好きになったのか、自分のどこが気に入られたのか、一切わからないまま物事が進行し交際することになって、一週間後、別れた。ただ、一週間だけの思い出、つまり思い出の数の少なさのおかげなのか、その一日一日の機微を今でも鮮明に思い出せるし、なによりも、当時の自分のまま彼女の横顔を眺めてしまう。
20代の終わりには、恋人がいないから、という理由だけで好きでもない女性、自分に好意を抱いている女性がいる、という月並みな理由だけで約2年、交際したことがある。今では、彼女の名前こそ覚えてはいるけれど、正直、顔はぼんやりとしていて思い出せない。思い出と呼べるようなものは一つも作れていない。当時自分が彼女となにをしたか、どこに遊びに行ったとか、そうした日常の記憶もほとんど思い出せない。思い出せるのは、話すことが何もなくて普段聴かない好きでもないスピッツを流して時間を誤魔化そうとした、自分の卑怯な横顔くらいなもの。けれどそうした「過去」に対しても、自己の他人化、は起きていないようにおもう。そうした「過去」を、無為に過ごしてしまった時間を、今でも悔いているし、取り戻せるものなら取り戻し、その部分の人生を違う誰かと違うものに作り直したい、と時折、考えたりもする。
同じく、2年ほど、今度はほんとうに好きになって交際した女性から、ある日一方的に「恋愛ってそういうものだから」と電話一本で別れを告げられたこともある。あれは確か、友人が部屋で酔って騒いでいて、恋人との電話のために静かな浴室の中に逃げたあと、告げられた一言だった。だが、そうした恋愛の記憶・記録に向けて、過去の自分を他人化して励ますことができるのか、あらためて考えてみると、やはりそれはむずかしいように感じる。それはきっと誰でも、もちろん、アイドルを演じる少女にしてみても変わらないのではないか、と思ったりもする。

さて、話題を冒頭に戻すが、4年のあいだ、どのアイドル批評が読まれ続けてきたのか、今回もまた、集計してみた。集計にはグーグルアナリティクスを利用した。以下が過去4年間でもっとも読まれたアイドル批評になる。

 

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20222/09/22  楠木かなえ

 

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