天才・秋元康に教えたい、天才・奥田いろはの魅力と影響力

乃木坂46, 特集

秋元康(C)シネマトゥデイ

「秋元康はなぜ天才なのか?」

どこまで許されるか 試してみたんだ
よそ見してみたりして

秋元康 / 君しか勝たん

ピアノを弾きながら歌を唄ったり、ギターを片手に歌を口ずさむ人を見ると、その人が自己の内で、またこの世界にとって特別な存在であると感じ入ってしまうのはなぜだろう。失った恋人を愛してしまった瞬間、はじめて人はほんとうの愛を知る、という恋愛の普遍を歌った『君しか勝たん』に触れたとき、学生時代、始業前の音楽室でピアノを弾いているクラスメイトの女子のことを思い出した。いや、正確には、ピアノを弾いている少女のことを、ではなく、クラスメイトの女子がピアノを弾いている光景を、思い出したと言うべきか。
恋愛ソングを聴いてなぜその光景がよみがえったのか、わからない。なぜなら”僕”はそのクラスメイトと会話をした記憶を持たないし、正直、顔も名前も覚えていないからだ。当然、密かに想いを募らせる、片想いという青春の痛みはそこにあり得ない。でも、音楽室でピアノを弾いている少女、という絵は鮮明に描き出すことができる。陽光が射していて、全体が黄色がかっているその風景ならば。
と、こう書いてみてまず思うのは、これはあまりにもフィクションじみているな、という点で、今この描写に触れた読者もまたそう感じたのではないか。よくあるテレビドラマや映画のどこかの部分でこれまでに繰り返し描かれてきたであろうことを確信させる、紋切りに満ちた場面だ、と。しかしこれはまぎれもなく現実生活のなかでかつて私が直面した光景・出来事である。
ここで私が今考え興味を向けるのは、君しか勝たん、と歌う、秋元康が編み上げる音楽つまりフィクションの働きかけによって、忘れていた「現実」を思い出すことのおもしろさ、に加え、なぜピアノを弾いている少女を特別な存在だと確信しているのか、それは学生当時すでに自己の内で確立されていた感慨なのか、それとも、あれから「人生」を生きてきたなかで、音楽を聴いたり小説を読んだり映画を見たり恋をしたり、雑多な現実に流されてきたなかで、音楽を奏でる少女、という存在が神秘を宿すものへと養われたのか、であればそれはどのような瞬間であったのか、という点にある。それを別の言い方にすれば、たとえばヤコブソンの『言語学と詩学』に刺激を受けるのならば、言葉が芸術に変わる瞬間、を考える、となるだろうか。

秋元康の詩は幼稚だ、でもそれは僕がまだ若かった頃の、青の時代を駆け抜けた人間のだれもが持つ幼稚さだ。その言葉は、その幼稚さは、青春という個人的体験の感傷を引き出す甘やかな作用にとどまらず、幼稚なものをそのとおりくだらないと感じたり、また別の日にはそれがかけがえのないものに思えたり、成長する過程で分裂していった自分、人生のどこかの時点で置いてけぼりにされたもうひとりの自分と偶会しあられもない自分を完成させるだけのノスタルジーをそなえている。秋元康の記す言葉が芸術性を帯びることで、その言葉に反応した自分の記憶、日常の風景も芸術に変わるし、そうした体験が、作詞家・秋元康の手によってノートに記された言葉の数々が芸術に変わっていることを裏付け、折り返し、また循環していく。

秋元康の言葉、日常の記憶でしかない言葉が詩文になったり散文になったり、つまり文学・芸術に変わることの原動力、言わば理由・動機は単純明快で、そこにアイドルが在るから、にほかならない。詩作においてソファに沈み込み青の時代に還る、青春の反復を試みる。たどり着いた過去の風景のなかに立つ、かつて恋をした少女の横顔に現在を生きるアイドルが重なる……、だから、その言葉が、日常が芸術になる。
こうした感慨を細かく砕き批評的に表現するならば、芸術とは興奮の爆発であり、テクストにおける思考を通して人が興奮するのは、往々にして、互いに無関係だと思っていた事柄が自己の想像力によって身勝手に結合されそこに価値を見出したとき、ではないか。なにものかとなにものかを結びつけ新しい事実を発見しそれを「言葉」を表現手段として用い発するとき、言葉が芸術に変わる、のではないか。
たとえば私は最近、宮部みゆきの『火車』を十数年ぶりに手にとったのだが、読みながら、ふと、物語のカギとなる主要人物を登場させず、その横顔を主人公をふくめ他の登場人物の目線のみで遠くから少しずつ描いていくこの手法は『白夜行』とよく似ているな、とおもった。読了後、あとがきに目をやると、そこには助言者として東野圭吾の名が記されており、ニヤリ、としたものだ。調べてみると、この2作品の共通点を挙げる読者は過去にも沢山いたようで、情報としての価値はもはやどこにもないが、こうした、細部の情報に支えられたアイデアは批評を作る際に自己を奮い立たせてくれることだろう。
さらに言えば、クレジットカードローンを「夢の前借り」と表現し、それを、あるべき本来の自分を取り戻す行為、だとする『火車』のその物語は、トルーマン・カポーティの『冷血』を前にして、受刑とは本来の自分を取り戻すために与えられた時間だ、と論じた保坂和志の思惟と通い合っていることを私に確信させる。私はそれをさらにアイドルへと結びつけたりもする。アイドルを演じる少女とは、アイドルになることで、もうひとりの自分を演じることで、夢を前借りしているのではないか、などと考える。夢を、未来を前借りすることで、本来あるべき自分を手に入れようとしているのではないか、と。おもしろいのは、夢を前借りするアイドルに対し、そのアイドルを語る秋元康は詩作において過去に還り、青春を取り戻そうとしている点だ。
いずれにしても、ここでひとつ、疑問にぶつかる。秋元康の言葉がアイドルを”糧にして”芸術に変わるのならば、ではそこに立ち現れるアイドル自身もまた芸術と呼べるのだろうか、という疑問に。

アイドルとは芸術つまりアートたり得るのか、問うならば、答えは明白で、アイドルはアートであり、アイドルを演じる少女はアーティストに相違ない。だがアイドルを応援する多くのファン、大衆にとっては必ずしもそうではないようで、現在のアイドルシーンは、アイドルを「作品」と捉えることができない人間で溢れている。
アイドルを作品とみなすことができないアイドルファンがシーンに溢れかえっていることは、ほかでもない『アイドルの値打ち』によって証されている。『アイドルの値打ち』は福田和也の『作家の値うち』を模倣、剽窃したものだが、『作家の値うち』発表当時に福田和也が予見した反応とまったく同じものが『アイドルの値打ち』にも多数寄せられている。それを一言で統括すれば、文学つまり芸術に点数をつけるとはなにごとか!という純粋無垢な咆哮であり、これを『アイドルの値打ち』に向けると、アイドルに点数をつけるとはなにごとか!となる。芸術作品に点数を付し価値を定めるという野蛮さ、その功罪についてはすでに福田和也を取り囲み大小様々な声が様々な人物から発せられており、たとえば西部邁から大杉重男というマイナーな批評家にいたるまで、ピュイゼとパーカーの分岐からカントの『純粋理性批判』におけるクリティークに対し、クリティカルの意味、差異まで、論じられ、すでに語り尽くされた話柄であるから、今更ここで容喙するつもりはない。
批評というジャンルを身近なものとしない読者を前に、一本の線を引き遠ざける、啓蒙を狙う意味でも、ある程度の知識強要はあってしかるべきだろう、と私はおもう。「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない。」と云ったのはユリウス・カエサルだが、私は政治家でも弁護士でもなく、大衆に向かって語りかけているわけではないから、この科白から逃れ出ることができる*1。たとえば、エコール、と一般大衆にとって聞き慣れない片仮名を使うとき、その言葉の意味を文章中で説明してしまうような、自分の文章=作品を毀すようなバカな真似はしない。天才を語る際には、かつて私がそうであったようにニーチェやバルザックの強要、強襲があってしかるべきだろうし、”推し”を見つけられないアイドルファンのことを、ソーニャに出逢えなかったラスコーリニコフ、と表現する際に、その比喩の意味をあえて説明するような、無粋な文章を私は作らない。文章を、その一章を読むことに一定の努力を強いる、という姿勢・スタイルを崩さない。それは私が”日本語を理解できる地球人”に向けてのみ文章を書く、文芸の世界で金を稼ぐ職業作家、つまりアーティストだからだ。このような独善はグループアイドルを演じる少女たちにも通底する話題ではないか。夢見る少女たちもまたこの種の志を抱くのではないか。あるいは、胸に抱くべきではないか。しかるに、今日のアイドルはそのほとんどがファンに媚びへつらうことで「アイドル」が成立するのだと確信し、戦略を立て、行動しているのだから、辟易する。
とはいえ、アイドルに点数をつけるとはなにごとか!と叫び狼狽えるアイドルファンの声に強く興味を引かれてしまったこともまた正直に告白しなければならないだろう。アイドルに点数をつけ評価することに激しい抵抗感を示し抑えきれず無垢な指摘をする読者にとってアイドルとはまさしく生身の人であるという点は、今日のアイドルシーンの性(さが)をとらえきるだけの材料を提示しているかに見える。かれら彼女らにとってのアイドルとは「作品」などではなく自分たちと何一つ変わらない一般生活者=「人」であり、だからアイドルに強く決定的に踏み込むことをしない。アイドルという存在を自己の内で揺さぶることに怯える。
もちろん、アイドルを生身の人間として捉え眺める、応援する、”推す”と誓うファンの興を削ぐつもりは毛頭ない。生身のアイドル、と形容するとこれは言葉が矛盾してはいるけれど、現在のアイドル・コンテンツの魅力の大部分はアイドルとファンの距離感の曖昧さによって支えられていることは否定のできない事実だろう。
しかし批評を作るとなると、その「生身」は行く手を阻まむ。しかもその「生身」に囚われる多くの人間は、きっと、アイドルを褒めるのは良い、だが貶すことは許さない、という思考にあるはずで、なおのこと批評から遠ざかる。アイドルを生身の人間と捉えることで宿す倫理観においては、アイドルを貶すことがだめならば、当然、アイドルを褒めることもだめだ、という姿勢をとらなければならないが、かれら彼女らはそうした構えを作ることができないし、きっと理解することもできない。だから永遠に批評に手が届かない。
映画や小説、音楽やゲームを貶す行為にはなんら抵抗感を抱かない人間でも、アイドルを貶すことには強烈な抵抗感を示し、ついには正義感を発揮する。それはただ単純に、かれら彼女らにとってアイドルが「アイドル」ではない、というだけのことだ。だから、批評ができない。アイドル批評が生まれ得ない、というよりも、書く必要がない、という幼児的状況にシーンは包まれている。

批評の必要性の有無については論じるまでもない。サント・ブーヴ以降、日本においては小林秀雄以降、文芸は批評なしでは立ち上がらなかった、という見方が一般的だが、私に言わせれば、文学ひいてはある芸術が自立するならば、そこにはかならず批評の自立を目にする、というだけの話で、アイドルがアートたり得ないのであれば、作品として自立しないのであればそこに批評を見出すこともまた困難をきわめるだろう。
端的に、乱暴に云ってしまえば、現在のアイドルシーンにあってはアイドルを批評することで生活を成り立たせる作家、アイドル批評家と真に呼べる人間を探り当てることができない、ということだ。夏目漱石は批評も書いたが、まぎれもなく小説家である。それは、漱石の生活は批評を書くことによって成り立っていたわけではないからだ。一方、江藤淳をして、日本の文芸批評の創始者と言わしめた小林秀雄は、批評を書くことによって生活を成り立たせた最初の作家である。今日のアイドルシーンに「小林秀雄」を見つけることは叶わない。ゆえに、アイドルというコンテンツは幼児性から脱出せず、這ったまま移動しつづけている。
だが、ひとりだけ、ある人物にかぎって云えば、あるいは、真にアイドル批評家と呼べるかもしれない。それは、アイドルのプロデューサーとしても働く作詞家・秋元康のことである。

ここまで、批評、批評と繰り返してきたけれど、そもそも「批評」とはなにか、簡明に提示しておく必要があるかもしれない。批評とは、現実の解釈にフィクションでの体験を活かす、物事を捉えるとき常に文学テクストが下敷きにされている、という事態がなにをもたらすのかを考えることだ、と唱える先人の、ハイデガーのヘルダーリン論考以降の定義からさらに一歩、前に進み、批評とは、フィクションによる現実への襲来を考えることにほかならない、と私などは考える。つまり冒頭の、音楽室でピアノを弾く少女のことを『君しか勝たん』のなかで想起したその意味を考える、というその思考のあり方こそ「批評」なのだが、これをアイドルシーンに落とし込めば、秋元康の詩を前にして、アイドルを通してでしかそれに触れることができない、考えることができない、という事態もまた「批評」を立ち上がらせるし、むしろアイドル批評を両足で立たせるにはこの情況・状況に頼るしか手はないように思われる。
アイドルを真剣に語ることがだれにもできない。言わばアイドル批評が起き上がらない。この原因はもちろんアイドルというコンテンツとそれにかかわる人間の幼稚さ未熟さに因るのだけれど、それらをすべて「秋元康」に還元するのは想像力を欠いているし、なにもかも「秋元康」の功罪に仕向けるその行為こそが「幼稚」なのだとおもう。むしろ現在のアイドルシーンにおいて成熟に向かい歩くものがあるとすれば、『僕のこと、知ってる?』や『しあわせの保護色』を見てわかるとおり、それは秋元康の詩情ではないか。

秋元康が詩作において過剰なまでに散文”のようなもの”を繰り返し打ち出していることはアイドルファンにとっては周知の事実だが、これは「アイドル」を通し自己を語ろうとする際に活用される手段とみなすべきだろう。その意味においては秋元康と小林秀雄のあいだに共通点を見出すことが可能である。
小林秀雄は批評家だが、この作家は批評を書きながらそこに詩を印す。ゆえに批評家でありながら詩人としての顔も持つ。そして、日本の文芸批評の創始者であるこの小林の出発地点としてまず挙げるべきはボードレールの名に一致するはずだが、説明するまでもなくボードレールもまた、詩人であり批評家である。
大衆が想う、詩人、のイメージとはどのようなものだろうか。それはおそらく、なにか超越的なもの、言葉では説明できない、天から降ってくるものを掴み取れる人、ではないか。その憧憬のなかで、しかしそれに届かず、自己の言葉を芸術に変えていったのがボードレールであり、ゆえに彼は、詩人であり批評家でもある、という立場を築いた。詩人であり批評家であったボードレールの、その「批評」の部分に着地したのが小林秀雄なのだが、あくまでもボードレールの「詩」の部分に憑かれた小林は、文章を書くにあたり、自己を表現するにあたり、超越的象徴的なものの出現と、言葉という現実を芸術に変えていくことのあいだで揺れ動いている。
では、やはり詩人である秋元康にとっての「批評」とはどのようなかたちで姿を現すのか。それはやはり自己を表現する手段として「アイドル」を活用する瞬間ではないか。詩人でありながら散文に恋い焦がれ、詩作において邂逅を果たした過去のなかでアイドルを物語る、つまり散文を記す=批評を作るその営為はしりぞけることのできない帰結と云えるだろう。『君に叱られた』『君しか勝たん』『最後のTight Hug』『他人のそら似』の4作品は詩人であり批評家である秋元康のアイデンティティを象徴する作品であり、ゆえに作詞家・秋元康の最高傑作は『会いたかった』でも『365日の紙飛行機』でもなく、上記4作品のような詩文、散文のあいだに揺れ動く詩情つまり批評の内に見出すべきかもしれない。

このような飛躍した妄想によって、秋元康こそアイドル批評家にほかならない、という思惟を私は固める。現在の日本においてアイドル批評家を名乗れるのは秋元康だけだ。自分の言葉でアイドルを物語り、その言葉の上でアイドルが芸術に変わっていく、という事態を引き起こしてしまえるのは秋元康をおいて他にいない。
であれば、やはりこの人は天才なのだろう。アイドルとはAKB48つまりは夢見る少女の集合=グループアイドルのことだとする共通認識を作り上げた点においてすでに秋元康は文句なしに天才として屹立するが、本分である詩作においても、今日の日本におけるアイドル批評の枠を作り出した創始者と呼べるわけだから、つまり天才と呼んでしかるべきではないか。

次項に続く