乃木坂46 樋口日奈 評価

樋口日奈(C)EX大衆6月号

「シークレットグラフィティー」

近年は「舞台」活動に精力的に取り組むが、それが生田絵梨花や井上小百合のような自己の枠組みの拡張ではなくデビュー初期から書きつづけた「アイドル・樋口日奈」の本篇の放擲に映るのは、やはり彼女の作る邁進の姿勢が空回りしているからだろう。成長共有への致命的な裏切りとまでは言い切れないものの、今後の展望(アイドルとしての憧憬)が見出し難い人物である。
年齢不詳的な美人、京人の淑やかと狂人的な立ち居振る舞いを作る架空のキャラクターという意味では、舞台で演じた『しずかちゃん』と重なって見える場面も多く、『シークレットグラフィティー』との融和からも見て分かる通り、樋口日奈はフィクションを作り上げる為に必要な材料の獲得といった境遇の面では強運の持ち主と云えるだろう。一方で、『My rule』の失敗によって境遇に左右されるだけの受動的なアイドルが抱える「無聊」が顕にされ、徒労感を観者に投げつけてしまった。

”黒い心”の露出、つまり闘争の描き方に意識的であり、仲間やファンとの向き合い方も丁寧で繊細、真剣さの欠如もなくグループアイドルとして心地よい物語を作っている。少女の抱える屈託が惹き寄せる同情や情動による自家撞着(ありがちな愚行)にも遭遇しており、むしろそれが型にはまった偶像を強調する為、特別な瑕疵をみつけることは叶わない。だから、折好くまとまった平板で退屈なアイドルに映る。彼女は一見、新鮮で人間味のある「生活」の手触りを感じさせる科白を並べるが、通読してみれば、それらが代わり映えのない、どんな局面でもありきたりな描写に終始した見栄えの良い嘘=張りぼてである事実に容易に到達できてしまう。彼女の作るアイドルは、”君じゃなきゃ”という重さや希求力を把持しないのだ。たしかに、救済的な仕草に溢れた日常の提供は、彼女が不条理や不遇に頬を打たれた際に同情や共闘を募る手順を簡易にしているが、樋口日奈の作る意味ありげな微笑からは、そのような妖美よりも浅薄や企みの浅さといった幻想の歪みをどうしても嗅いでしまう。浅薄は、日常の演技から観者に「素顔の発見」というイベントに遭遇させる動線の欠如を招いている、と云える。彼女は「西野七瀬」のように観者に晒すべき醜態(真実)を意図的に目撃させる所業、そのような危うい境域に踏み込む覚悟を一度も持たない。もちろん、資質の差と云ってしまえばそれまでなのだが。
表題曲に
選抜された回数やアイドルとしての人気が、具えた実力と乖離を描かない人物であり、話題性や意外性に乏しく、”人狼ゲーム”で描いてみせたブラックスワン的な立ち居振る舞いを裏切るように、乃木坂46にあっては物語性の薄いアイドル=末端的登場人物に押しやられている、と云えるだろう。

京都人の”イメージ”に憧憬を抱き、見様見真似で京人を立居振舞う。すると、樋口日奈=京人というイメージが自然に独り歩きをはじめ、アイドル=幻想が他者の内に堆積し固められて行った。もう一人の自分。アイドルが作る虚構(フィクション)の性質を説明する上で、デビュー当時の「樋口日奈」は扱いやすい事例と評価できる。読者の手腕によって幻想が作られて行くという観点で、彼女が敬慕する「西野七瀬」の後を追いかける資質の発揮と捉えることも可能だろう。樋口日奈の失敗は、事実と異なった情報の伝播が生む誤解が”事実を歪曲する嘘”としてファンの眼に映ることに怯え、独り歩きするイメージに戸惑いを覚え、その幻想を演りきるのではなく、妄執の解消に努めてしまった点にある。彼女は過去の自分が書いた”教科書の裏のいたずら書き”や”高架線の柱の落書き”を、自ら消し去ってしまったのだ。

 

総合評価 60点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 12点 ライブ表現 12点

演劇表現 12点 バラエティ 12点

情動感染 12点

乃木坂46 活動期間 2011年~

評価点数の見方

乃木坂46