乃木坂46 大和里菜 評判記

乃木坂46

大和里菜(C)音楽ナタリー

「太陽は許してくれる」

大和里菜、平成6年生、乃木坂46の第一期生。
常に責任ではなく負い目から逃れようとする人、というイメージが強い所為か、卒業後(卒業という表現は適切ではないかもしれないが)、ファンのあいだで好意的に語られる場面をまったくと云っていいほど作らない。
シングル表題曲の歌唱メンバーに選抜されたのは「夏のFree&Easy」の一作のみ。第一期生のなかでは早期離脱者に数えられる。しかしアイドルとしての物語は3年とけして短くはなく、むしろバランスが良い。大和里菜は、上京による夢の暮らしへの期待、その裏にある心細さを乗りこえようとする姿勢をファンの前で惜しげなく描いており、陳腐だが、しかし、アイドルとしての人気を欲し戦略を練った結果、こころの内奥を自ら提示しようと試みたその物語には、この現代でアイドルを演じる少女の苦闘の劇をたしかに読む。

畠中清羅、松村沙友理とならび、アンタッチャブルなアイドルだが、この人は、より生々しい衝動性を把持する。自身の脳内に広がる外界の美しさ、匂い、それを他者に共感してもらいたいと欲する強迫めいた情念の有り様は、アイドルの自己肥大を映し、常にファンを動揺させた。

ナブ・アヘ・エリバはニネヴェの街中を歩き廻まわって、最近に文字を覚えた人々をつかまえては、根気よく一々尋たずねた。文字を知る以前に比べて、何か変ったようなところはないかと。…それによれば、文字を覚えてから急に蝨を捕とるのが下手へたになった者、眼に埃が余計はいるようになった者、今まで良く見えた空の鷲の姿が見えなくなった者、空の色が以前ほど碧くなくなったという者などが、圧倒的に多い。…文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍にぶり、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなった。これは統計の明らかに示す所である。…ナブ・アヘ・エリバはこう考えた。埃及人は、ある物の影を、その物の魂の一部と見做しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。
獅子という字は、本物の獅子の影ではないのか。それで、獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになるのではないか。文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智慧もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精の悪戯である。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜みにくくなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。

中島敦 / 文字禍

「乃木坂浪漫」のなかで大和里菜が朗読した「文字禍」は今日のアイドルシーンと響き合う点が多い。たとえば、「他の星から」の詩的世界で描かれたのは、夢を手にした少女の日常の喪失だ。アイドルという奇跡との遭遇を手に入れた少女がいつもとおなじように駅の改札口を出ると昨日まであたりまえだった日常が、みえる世界が一変している。夢への実感によって、妄執的な万能感によって街の風景が、通り過ぎる人間が末端的登場人物にみえる。自己の内に芽生えたその得体の知れぬ存在に奪われつつある日常へのなごりを握りしめるといった楽曲の構図は、グループアイドルである大和里菜を通過した「文字禍」に見事に迎え撃たれている。
大和里菜の場合、彼女が引用や共時に迎え撃たれたのは、アイドルに成ったことでむしろ本来の日常生活では発露されなかったであろう本性や欲、つまり通俗である。
語彙(夢)との遭遇は、人に感情を与える。しかしやがてそれが子供のもつ感受性、無垢さを人から奪うことにもなる。アイドルに成る、この途轍もなく遠い夢を叶えた大和が発見したあたらしい感情こそ、現実世界の日常では発露することなどあり得なかった通俗にほかならない。つまり、街や通行人が末端的に思えるほどの輝かしい日々を獲得した少女は、同時に、生来の素朴さを消失していったのだ。無限の可能性を手にしたつもりで、実は失っていた。しかもその欲は生来の無垢さが損なわれれば損なわれるほど、どんどん肥大して行く。
おそらく、こうした喪失を経験しない、もうひとりの自分の誕生を目撃してもなお、これまでどおり自己の生来の価値=素顔を見失わずありのままの姿をファンに提示できる少女、あるいは、通俗にこころを満たしていてもそうした欲の在り処を他者に看破されないウソ=演技を作れる少女だけが、トップアイドルと呼ばれる、順位闘争の場を生き抜く一握りの存在になれるのではないか。大和にはそれがなかった、というだけの話。

アイドルを卒業した大和里菜、彼女の後日の物語は、スキャンダルや困窮といった話題が中心になっているようだ。だが、実は、彼女はアイドルを卒業後、ソロシンガーとしてデビューしミニアルバムを発売している。元トップアイドルグループに所属していた人物には似つかわしくない、数人の通行人が、ひと時、立ち止まっては去る、狭いステージの上で、頼りない歌唱力で弱々しく歌をうたう、もう一度、夢の世界に戻り奮闘する、僅かに残ったファンに活力を与えようとする、不器用で前にも後ろにも道がないことに気づけず、しかし果敢に光りをつかもうとする後日譚を描いている。イベントを告知するポスターには「元乃木坂46」という文字はどこにも見あたらなかった。

大和里菜のアイドルとしての結末が「文字禍」のナブ・アヘ・エリバとおなじように本=語彙(通俗)に圧し潰されたのは悲喜劇に映り、嘲笑の的になるのかもしれない。
しかしファンにとって本当の悲劇とは、グループの歴史から彼女のような夢に破れ醜態を晒すアイドルが排除され、永遠に黙殺する戦略的倒錯ではないか。グループの一つの転換点、あるいは端境期と活写されるべきアイドルを”初めから無かった”ことにする作為にこそ、ファンは揶揄を向けるべきだし、こうした思考の経験に、大和里菜のアイドルとしての値打ちがあるのかもしれない。

賢明な老博士が賢明な沈黙を守っているのを見て、若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか?それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
獅子狩と、獅子狩の浮彫とを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌されたものである。この二つは同じことではないか。
書洩らしは?と歴史家が聞く。
書洩らし?冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。

中島敦 / 文字禍

 

総合評価 42点

辛うじてアイドルになっている人物

(評価内訳)

ビジュアル 3点 ライブ表現 7点

演劇表現 6点 バラエティ 13点

情動感染 13点

乃木坂46 活動期間 2011年~2014年