乃木坂46 井上小百合 評価

井上小百合(C)乃木坂46LLC

「誰も獲らないから」

とても不安定な振れ幅のある「美」を描く。井上小百合にとって自身の美とは、如何ほどの”値打ち”になっているのだろうか。無関心、あるいは客観性が欠如されているのか、期待感に満ちる美を提供したかとおもえば、次の場面では喪失感を観る者に与える。まるで、登山者を襲う5月の不安定な気候のように、揺れ動く。生き抜き方がこれほどまでに「美」に、あるいはアイドル像全体に反映してしまうアイドルもめずらしい。『何度目の青空か?』によって示された可能性の痕跡が、ひび割れた「美」の外郭から、未だ覗ける。『恋愛サーキュレーション』では普遍的な”アイドルらしさ”を演りきることをあっさりとクリアしてみせたが、その姿勢を維持することは「拒否」とした。正統や古典を打ち込まれたアイドル像の支柱は崩れ、センターポジションへの可能性が徐々に薄れていくのをファンは傍観するしかなかった。
耽美主義に傾倒するアイドルで溢れるシーンにあって、彼女にとってのトランキライザーは「舞台」であった。舞台装置の上で受動的に「役」を演じることは、日常でアイドルを演ることを、自身を囲繞する嫉妬や無関心といった感情を、中和してくれる。演劇世界では、思い込みの強い女性特有の未成熟な凄艶が醸し出され、日常では維持することのなかった「井上小百合」のチャーミングの余白が埋められて行く。「役」に自己投影しながら少女は自我を確立させたのだとおもう。「これ以上どう頑張ればいいのか」という場所で足掻くのはやめにして、アイドルの日常とは異なる空間で彼女は「頑張った」のである。

「結局、才能以上のものを書くことはできない」 これは六十年以上にわたって小説を書き続け、常に文壇の主要作家であり続けた正宗白鳥が死を迎えて最後に云い残した言葉である。

(福田和也「現代文学」)

しかし、これは、認め難い、到底納得のできない「事実」だ。
人は、がむしゃらに努力をしているうちは成功できない。その状態で、喉から手が出るほど欲しいと望むものは絶対に手に入らない。手にすることができるのは、”成功を希求する自分”だけである。”成功をするとき”、とは、とんとん拍子で物事が進み、欲しいものはあっさりと手に入る状態を云う。あれだけ拘って、泣いて、渇望した「福神」は、思いの外、あっけなく井上小百合の手の内に舞い降りてきた。しかし、そこに感慨こそあれど、情動はなかったのではないか。何故なら、それよりも大きい現実的な目標を現在の井上小百合は抱えているから。アイドルとしての固執を捨て、「才能以上のものを書くことはできない」物語はあきらめ、「舞台」に一意専心する彼女が次に手に入れるのは、一体どんなモノだろうか。

 

総合評価 63点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 14点

演劇表現 15点 バラエティ 7点

情動感染 13点

 乃木坂46 活動期間 2011年~

評価点数の見方