乃木坂46 理想の「選抜」を考える 32nd シングル版

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(C)乃木坂46 公式サイト

 「現状考え得るもっとも理想の『選抜』」

31枚目シングルのセンターにはアイドルからの卒業を発表した齋藤飛鳥が選ばれ、タイトルもそれにならい『ここにはないもの』と名づけられた。別れの寂しさを笑顔の内に表現する、という意気込み、サヨナラの輻湊を願う、という意味では、橋本奈々未をセンターに配した、アイドルとファンの別れを前向きに歌った『サヨナラの意味』を引用したような趣きをもつ、卒業ソング、となった。
個人的に、もっとも注目したのは、阪口珠美の抜擢に象徴されるように、今楽曲において、齋藤飛鳥というアイドルの結晶を「踊り」に見出している点にあり、アイドルの魅力をステージに集約しようとする作り手の憧憬に直に触れたような、気がしている。
とはいえ、前作『好きというのはロックだぜ!』と比較すれば、正直、カップリング曲の多くが不満を残している。唯一、乃木坂が乃木坂足り得る理由を明かした『アトノマツリ』に引かれるが、『悪い成分』『17分間』などは事前に募らせた期待感にまったく応えていない。

さて、今回もまた私が想う、きわめて個人的な理想に沈めた「選抜」を決めてみようと思い立ったのだが、今回は、前回までの「理想」とは趣きを異にする。
これまでは、どちらかと云えば、アイドルを眺めその感慨を文章にかえていきながら、考えながら、自分の理想に向かい歩いていく、発見していく、といった手順を踏んでいたが、今回は、このまえがきを書いている時点で、すでに「理想」が決まっている。ゆえにアイドル個々への感慨を打ち出していく過程でそこに魅力を見つけても、理想に加わることがないメンバーが数多く出る、ことになる。批評欄と、最終的に記す理想の選抜に食い違いが起きているはずだ。この点をあらかじめ告白・付言しておきたい。いわば、「個」としての理想と、「群」としての理想を天秤にかけ、今回は「群」としての理想を選んだ、とでも云うべきか。
理想とは、現実には起こり得ない突飛なもの、なのだろうか。しかしそうした思惟はバランスの秩序を失っているようにおもう。もしかしたら現実に起こり得るかもしれない、という淡い希望のなかで見出す光りを理想と呼ぶべきではないか。という純粋さ、無垢さを忘れずに、理想の選抜を編み上げてみた。

シングル発売から一ヶ月しか経っておらず、この段階で次の「選抜」を考えるのは駆け足気味にも思える。また、以前、「『世界に一つだけの花』を聴いた後に批評は書けるのか」という記事を書いたが、先日、『新・乃木坂スター誕生!』において披露された『まだ若い君へ』にもSMAPの『世界に一つだけの花』とおなじだけの力、おなじような香気が漂っており、アイドルを批評することはアイドルの価値を損なう行為でしかない、と確信させ、この点においても弱腰になってしまう。
アイドルの価値を底上げするのは『まだ若い君へ』のような純粋さにほかならないし、そうした純粋さを凌ぐだけの言葉を私は持たないから、途方に暮れるのだが、『グループアイドルソング ランキング 2022』を作る過程で、AKBグループ、坂道シリーズの一年分の楽曲をすべて鑑賞したその経験がアイドル観における万能感のようなものを私に宿していて、今の自分はアイドルの良し悪しに大胆になれそうだ、という気分にあること、また、折よく公式サイトのアーティスト写真が更新されたこともあり、このタイミングでペンを握ることにした。
これまで同様に、ここに記す走り書きが、現在の乃木坂46に在籍する各メンバーに向けた最新の評価、となる。


秋元真夏
老犬に新しい芸は仕込めない、と言うが、その言葉を体現してしまっているようで、最近は、アイドルの演技として生まれる感情、のようなものが一切なく、ただただ独りの女性としての感傷を打ち出すばかり。裏を返せば、デビュー以来一貫して日常を演じることに注意を打ち込んできた彼女がようやくその糖衣を溶かしきった、ようやく素顔が出てきた、とも言えるのだけれど。いずれにしても、演技、ダンス、共に伸びしろがなく、むしろそのどちらも一つの感情に蟠踞している。

鈴木絢音
佇まいが凛としてきて、アイドルを眺める際に、詩に触れるときのような、澄んだ緊張感が出てきた。

伊藤理々杏
喜劇の一場面において、お笑い芸人から演技・表現の古臭さを指摘されたのは、舞台演技で培ったもの、が古臭いのではなく、常に自分の日常と懸隔した存在を作ろうとするその意識の陳腐さを看破されたからではないか、と思ったりもする。

岩本蓮加
映像演技における経験が踊りに上手に活かされている。演技ができる人は、当然、踊りも上手い。この人の場合は逆なのかもしれないが。また、日常的に見せる、分け隔てない雰囲気、これも好感を誘うところが多いようにおもう。身近さ、があり、ファンは、アイドルのことをよく知っている、理解している、という態度を無意識にしろ意識的にしろ取れるようだ。

梅澤美波
梅澤美波の場合は、一転して、平均を容易に凌ぐ演技の才をもつにしては踊りに生彩がない。たとえば高山一実を想起させるくらいに、身体が硬直している。推進力、バランス感覚に欠ける。私が考える「理想」の水準には届かない。

久保史緒里
演技、踊り、そのアイドルの事跡には鬼気迫るものがある。

佐藤楓
もはやこの人を語ること自体が、長追いに思えてならない。

中村麗乃
アンダー・センターを務めた。ただ、作品そのものは魅力に乏しかった。決定的な存在ではなかった、ということなのだろうか。とはいえ、5期生と並んでもその瑞々しさを損なうことがないのだから、アイドルとしてのゾルレンに欠かない。

向井葉月
アイドル本人が公言してきたように、デビュー当時のイメージを脱ぎ捨て、ノントロッポなアイドルへと一歩一歩、確実に変化を遂げつつある。ビジュアル良し、踊り良し、演技良し。言葉の真の意味で多様性が出てきた。

吉田綾乃クリスティー
齋藤飛鳥が卒業した今、読み応えのある、符丁されたブログを書けるのはこの人だけだとおもうのだが、ちがう場所にモチベーションがあるのか、昨年の夏以降、更新されていないようだ。

与田祐希
変わらず、独吟されたアイドルとして、その虚構のやつし度合いはずば抜けている。

山下美月
乃木坂であることの志の高さ、言葉の率直さとは裏腹に「アイドル」に向ける熱誠はすでに枯渇しているかに見える。とはいえ、実力は折り紙付きで、とくに演技においては衒気に満ちている。

阪口珠美
久方ぶりに「選抜」に入った。ダンスの実力の確かさを評価されたのだろう。楽曲のイメージに合うアイドルを「選抜」に抜擢する作り手の志向の純粋さを証す存在という意味では、貴重。

遠藤さくら
生田絵梨花、齋藤飛鳥なき今、歌、踊り、演技、いずれも現役アイドルのなかで最高到達点に位置する。この人の価値・魅力を守ることが乃木坂のさらなる飛翔を約束することになるだろう。最近は、自分が特別なものを一つも持たないことの不安、その空白への自覚がますます充実してきたようで、自己を奮い立たせるものを自己の内に見つけられないという、確信の不在、つまり、なにもない、という「存在」に対する問いかけ、はじめから存在しないのであれば、その存在に対する問いかけ自体が、存在し得ないのだ、という空白さ、そこには遠藤さくらしかありえない、という実体を証す空白さには、アイドルから抜け出た魅力、あるいは、自己肯定だとか自己否定だとか、そういった陳腐さに囚われない、既存のアイドル観に縛られない、というよりも、既存のアイドル観を伸長させる力、を見る。

田村真佑
2022年を通して、もっとも質の高い踊り、歌唱を披露した。

賀喜遥香
完全なものは不完全なものである、と云ったシェリングの言葉どおり、アイドルの魅力=凡庸さを最高度の笑顔をもって教える。

掛橋沙耶香
療養中のため、選考外。

金川紗耶
アイドルとしての能事を心得たことの成果か、言葉の壁を乗り越えるその魅了的な踊りを武器に大きく飛翔した。映像演技において一抹の不安を投げるが、ビジュアル、ライブ表現力、多様性に関しては隙きを作らない。文句なしの一級品。

北川悠理
『アトノマツリ』において、自己の魅力を上手に表現した。

清宮レイ
メセナを失ってしまったのだろうか。「選抜」から漏れた。夢に向かい強く駆け出す人もいれば、立ち止まる人もいる。2度目の「選抜」にして早くも福神メンバーに選出され大きな飛翔を描いた金川紗耶に比して、現在の清宮レイはデビュー以来培ってきたもの、アイドル=演技としてのゾルレンに、予定調和的に破綻を来したかに見える。俗と無縁を演じていた少女がほかのだれよりも通俗に囚われてしまったことが、アイドルの魅力として発散されず、ネガティブなものに堕している。そうした気分が映像、ライブステージの端々に現れ、楽曲の世界観を毀している。

矢久保美緒
これといって見せ場なし。

林瑠奈
「アイドル」が充実しているようで、精神の横溢が作品によくあらわされている。『アトノマツリ』においては、他のアイドルの魅力を映像の内に見事に象眼してみせた。欲を言えば、もうすこし、自己を主役として描こうとする際どい無謀さをもつべきではないか。

早川聖来
相克の緊張感から逃れでたことで、アイドルの表情が弛緩している。売りであった演技、踊りのいずれも平均を大きく下回り、見るに堪えない。

筒井あやめ
ひた隠しにされた少女の素顔がドラマ・映像の世界で発見されるという、役者然とした神秘性を放っている。それは踊りでも変わらない。ステージの上では喜怒哀楽の結構したアイドルへと姿を変える。古典的、と云うべきか。あるいは、その存在感、雰囲気から、レトロフューチャー・アイドル、と形容すべきか。かつて思い描いた乃木坂の未来像として、もうそろそろこの人を懐に手繰り寄せるべきではないか。

柴田柚菜
特筆に値する話題をもたない。影が薄い。

黒見明香
個人的に、今、もっとも注目しているメンバー。ジャージ姿でも、制服・衣装を着ていても、そのシルエットのバランス感覚には目をみはるものがある。思い込みの強さをそのまま行動力にかえることができる人、らしく、「選抜」に割って入るペネトレーターとして、カタルシスとの偶会を予感させる。

佐藤璃果
あと一歩、という距離は、実は一番遠い。なにかを強く欲しいと願う、またそれを口に出し唱え続けても、手に入るのは、それを欲しいと願っている自分、だけだ。それでもなお愚直に歩むのか、アイドルの構えを変えるのか、佐藤璃果は岐路に立たされているように見える。

松尾美佑
陽気さのなかに隠しきれない暗さをもつこでとで一種の後ろめたさを潜めている人、というイメージだったが、最近は、ぼんやりと、自分の輪郭をつかめてきたようで、そうした気分がファンに感染し活力を描いているように見える。

弓木奈於
ボヘミアンの出世頭として、強く希望を描いている。もし、研修生時代の弓木奈於を眺め、現在の彼女の活躍を想像できたのなら、貴方の眼力は確かなものだ。私にはそうした想像力は備わっていなかった。『アトノマツリ』を眺めるに、この人は「演技」ができる。

井上和
演技、踊り、歌唱、いずれも表現の彫琢を止めない。寵児と呼んで然るべき登場人物。

一ノ瀬美空
5期生のなかで一番踊りが上手い。とくに鳴動する笑顔は飽きが来ない。
 
菅原咲月
アクチュアルな人、というイメージを固めつつある。フィクションの内に現実を持ち込む行為、性(さが)そのものはおもしろいと感じるが、その「現実」が常に「過去」である点はすこし陰気に映る。過去に支えられることと、過去を動機にすることでは、アイドルの容貌が異なって見えるのではないか。

小川彩
すくすくと才能を伸ばしている、といった印象。

冨里奈央
『きっかけ』の歌唱においては、アイドルの素顔がセンテンスに込められていて、好感を誘った。

奥田いろは
5期生のなかで一番歌が上手い。小手先の技術に走らずにしっかりと、生来の自分、を守り表現している。踊りに関しては、あえてケチをつけるならば、歌うことの姿勢と踊りを作ることの意識を分け隔てたほうが良いと感じる。

中西アルノ
『絶望の一秒前』『バンドエイド剥がすような別れ方』を歌い演じる彼女を眺めるに、アイドルのウィークポイントに「踊り」を見出したが、新作『17分間』において、弱点は克服され、キザな部分は残しつつ、動作、表情にやわらかさが出てきた。

五百城茉央
素朴なアイドルだが、ライトに照らされると高貴が宿る。
 
池田瑛紗
演技、歌、踊り、いずれも私が考える理想には遠く及ばない。

岡本姫奈
歌、難あり。踊り、難あり。バレエというイメージに拘りすぎているように感じる。そうしたアイデンティティと目すものを毀す必要はないが、くれ打ちしなければ成長は見込めない。バレエを下敷きにした踊り、に拘っているからか、踊りが画一化していて、どの楽曲を眺めても、おなじような感慨しか出てこない。笑顔はなかなかに奔放的で、魅力的に感じる。

川﨑桜
5期=次世代アイドルの中心、にあって、井上和とは別の、もう一方の主流として、確かな存在感を放っている。ただ、井上と比較すれば、演技、歌唱、ダンス、いずれも小ぶりにおもう。

よって、私が考える理想の「選抜」は以下のようになった。32ndシングルのセンターには筒井あやめを選んだ。

(C)乃木坂46 公式サイト

3列目:五百城茉央、弓木奈於黒見明香、一ノ瀬美空、小川彩、林瑠奈、松尾美佑
2列目:金川紗耶田村真佑、中西アルノ、菅原咲月、川﨑桜、賀喜遥香
1列目:井上和、筒井あやめ、遠藤さくら

2023/01/04  楠木かなえ

 

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