AKB48 宮崎美穂 評判記

AKB48

宮崎美穂 (C) ORICON NewS inc.

「冗長の極み」

宮崎美穂、平成5年生、AKB48の第五期生。
同期に指原莉乃がいる。多様性を売りにするというアイドルのイメージの出し方、作り方に、指原と宮崎は通い合うところがあるように見える。しかしアイドルとしての人気・実力には埋めがたいへだたりがある。宮崎美穂、このひとはきわめて平凡なアイドルである。アイドルとは余命があるからこそ美しいのだ、という「儚さ」とは無縁をつらぬく冗長なアイドルである。
アイドルの扉をひらき、自身がスケッチするアイドルの上に奇跡のようにきらめくポテンシャルが降り注ぎ、次世代を担う若手、将来のセンターを約束された若手として、ファンを大きな期待感で包んだ少女の時代から、その期待感が朝露のように消えていくのを傍観した青の時代まで、余すことなく語り、醜態を晒し続けている。凡庸な登場人物ではなく、ひと握りの、境遇に恵まれたアイドルだけに約束された数奇な成功が、たしかに、彼女の眼前にあったようだ。しかし結局それをつかめなかった。センター候補、エース候補、という場所からぐんぐんと減退して行った。デビュー当時、燦然と輝き、膨大な可能性を示しながらも、結局、なにも手に入れることなく夢の世界からはじき出されてしまう少女は多い。宮崎美穂はそうした少女の代表格と呼べるだろうか。
ただ、宮崎には泡沫を描く多くの少女たちと一線を画す点もある。それは、彼女がアイドルを延伸しつづけ、その時間の長さがすでに10年を優に超えている、という点である。
なんら才能を把持しない人間が、10年以上、アイドルとしての活動を継続する、文芸の世界に生存する、これはなによりも妥協を手懐ける手腕が必要だろう。数あるアイドルグループの中でもAKB48に10年以上居座るというのは並大抵のことではない。36枚のシングルに参加し、その表題作の歌唱メンバーに選抜された回数は11回と平均を凌ぐ成果だが、そのキャリアのほとんどがデビュー初期に作られたものであり、2011年に発売された『フライングゲット』以降、平成が終わり、令和がはじまった現在に至るまで、その物語に特筆を持たない。
アイドルとしての実力、これはお世辞にも高いとは云えない。けれど、世を渡る術、これならば高い能力をもっている、ということなのだろう。ただ、その世を渡る術によってアイドルの物語がひどく平板で退屈なものになってしまったようでもある。
宮崎美穂に運の良さを感じるとすれば、それはAKB48のブレイクによって、可能性を探るという「アイドル」の存在が職業として成立し、「アイドル」がプレステージになったことだろう。才能がなくても”食えてしまう”、これが今日のアイドルシーンのイコンであることを宮崎美穂の横顔は教えている。

こうしたアイドルの物語を前にして、その感慨を述べるならば、”再読には値いしないが退屈しのぎにはなるレベル”とこたえるべきだろうか。だが、アイドルファンがアイドルへ向け批評の矢を放つとき、5年10年と積み重ねられたアイドルの物語の評価基準を一体どの段階に定めるべきか、という難題を提起する存在だと考えれば、このひとにも指原莉乃と同様に功罪がある、と云えるかもしれない。
グループアイドルとして活動し、物語を書きつづけて行く以上、自身の全盛期ではなく、減衰していく資質と実力、つまり現在の姿形(醜態)を最前線で闘うアイドル、たとえば乃木坂46が放つ輝き、可能性と併行して評価されることは、けして避けられない。才能豊かな少女たちを前にして、自身に秘められた可能性、その器の狭小さを看破され、アナザーストーリーの一つ一つを記憶の消しゴムでなぞられてしまう……、それは宮崎美穂のみならずAKB48に所属する大多数のアイドルが抱える恐れや不安、苦渋と云えるだろう。

 

総合評価 34点

アイドルの水準に達していない人物

(評価内訳)

ビジュアル 6点 ライブ表現 7点

演劇表現 4点 バラエティ 11点

情動感染 6点

AKB48 活動期間 2007年~2022年

 

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