AKB48 星野みちる 評判記

AKB48

星野みちる(C)どんどんぶろぐ/AKS

「逆光」

星野みちる、昭和60年生、AKB48の第一期生。
グループアイドルとしてのキャリア、たとえば選抜に何回入ったのか、とか、センターに何回立ったのか、とか、そういった視点をもって星野みちるを眺めれば、このアイドルは「特筆」を持たない。アイドル史におおきな転換点を刻んだAKB48のオープニングメンバーであるという点を除けば、アイドルの物語の書き出しから結末部分まで、語るところ少し、といった印象を拭えない。凡庸、とするしかない。
それでもなお星野みちるのアイドルとしての物語に特筆すべきところがあるのか、探るならば、それは彼女が、結果的にアイドルになってしまった人物、という点になるだろうか。
夢見る少女が一箇所に集合したAKB48の魅力、それは当然、少女が劇場=非日常の舞台の上で自己の可能性を探る、本当の自分を発見する、本当の夢を知りそれに向かって走っていく、という成長の物語にある。また、そうした成長が記される時間のなかでアイドルを演じる少女たちがぶつかり合い、青春の稚気が描かれていくところにも今日のグループアイドルの魅力がある。星野みちるもまた、前田敦子や折井あゆみとの交歓の披露など、グループアイドルを成立させるエピソードならば事欠かない。
では、そうした青春の稚気の原動力とは一体なになのか、考えれば、それはやはり少女の未熟さ、不完全さになるのだろう。グループアイドルを演じる少女たち、とくにAKB48の黎明期、成長期を支えた少女たちが編む群像に豊穣な人間喜劇が備わる理由とは、前田敦子や大島優子のような圧倒的な主人公感をもった少女の存在感に依るのではなく、”結果的にアイドルになってしまった”少女たちの内から放たれる違和感、不気味な可能性の光りにある、と云えるだろう。
小嶋陽菜を眺めれば一目瞭然だが、アイドルとは無縁に見える人物、なにかの間違いで、運命のいたずらでアイドルになってしまった人物、つまり”ここではない別のどこか”で生活しているはずだった少女が、本来の日常つまり青春を喪失し、青春の犠牲を受け入れ、アイドルを演じている、という感慨によって芽生える違和感、言うなれば奇跡との遭遇が言いようのない希求力を発揮しファンをアイドルの物語に没頭させるのだ。
興味深いのは、”結果的にアイドルになってしまった”少女が自分ではないもうひとりの自分つまり「アイドル」を演じる日々を通過したことによって、アイドルからの卒業後、どのような物語を描いても、どれだけ足掻いても”結果的にアイドルになってしまう”点である。星野みちるもまた、この現象に囚われる、”結果的にアイドルになってしまう”登場人物の一人である。

卒業後、たとえば、シンガーソングライターとしての姿形、透明な湿り声、醒めた冷たさのなかにはアイドルの”ジャンルらしさ”の後遺症があるようで、ステージに立つ星野を眺めていても、それはほとんど、アイドルにしか見えない。その遠い記憶への呼応とは、笑うと口がハート型になるキュートなビジュアル(ちなみに、二人目の「星野」である乃木坂46の星野みなみも笑うと口がハートを形づくる)からうける印象に因るのではなく、小柄ながら落ち着き払い堂々とした立ち居振る舞いや仕草が作る倒錯から買う印象でもなく、シンガーソングライターとして生きることを渇望した彼女が歌を唄うときに作る外連の内(しかもそれはどうやら意識的でありまた無意識に作り出される、境遇によって育まれた思考から生まれる仕掛けにおもわれる)から拾うのであり、つまり彼女がどのような楽曲を提供しても、どのように歌を唄っても、アイドル時代の物語を超える量の歌詞を書いても、「星野みちる」は”結果的にアイドルになってしまう”のである。
アイドルを、日常を演じた経験に対する反動を抱えていない人物でありながらも、アイドルという”ジャンルらしさ”があたえるイメージをいつ迄も払拭できずにいる人物と映ってしまう逆光の存在から、AKB48の第一期生・星野みちるのアイデンティティとは「愛惜」と云えるかもしれない。

電車の揺れが伝える移動距離の長さと時間の永さ、つまり「退屈」は多くのアイドルを現実感覚で縛り付け、憂鬱を抱かせる。憂鬱は、少女にアイドルという架空の世界から旅立つ決心を掴ませる。星野みちるは、この憂鬱が降る退屈な時の流れを、アイドルのさき、あるいは横に置かれた、唄うこと、詩を書くこと、シンガーソングライターになる、という夢の所持によって希望にすり替える地道な実行力をそなえた人物であった。と同時に、秋元康がはじめて首を縦に振った『ガンバレ!』、卒業後に制作した『楽園と季節風』、『逆光』と自己批評にすら映る楽曲群が示すように、日常に侵食する音ではなく、ガーデニングチェアの上に置かれたラジカセから流れてくるような、聴く者をして、その人生を変える影響力を決定的にもたない「音楽」の作り手でもある。どうやっても、どう頑張っても、他者を衝き動かす批評空間の原動力に届かない、夢の途中で減衰し途切れてしまうような歌い手。それが、彼女に「愛惜」を背負わせる動機であり、つまり、幸か不幸か、彼女がアイドルに見えつづける原動なのだろう。

 

総合評価  55点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 14点

演劇表現 9点 バラエティ 9点

情動感染 10点

AKB48 活動期間 2005年~2007年

 

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