乃木坂46 裸足でSummer 評判記

のぎざか, 楽曲

(C) 裸足でSummer ジャケット写真

「裸足でSummer」

歌詞、楽曲、ミュージックビデオについて、

乃木坂46の15枚目シングル。センターは齋藤飛鳥。
齋藤飛鳥が表題曲のセンターに立つのは今作がはじめて。出世作というわけではないが、グループのエース格として、次世代の旗手として、デビュー以来常に期待されつづけてきた少女がようやくグループの中心に立ったわけだから、大きな意味を持った作品と呼べるだろう。
あたらしいセンターが誕生すると同時にそのセンターがグループを去るという喪失と循環の物語を描いた前作とは対照的に、今作ではグループの次の時代を担うべき少女があたらしくセンターポジションに立つという、言葉どおり、希望の物語を作っている。丸めた背中から力強い生彩が放たれ、群青色の瞳は百花繚乱を映し出す、このあたらしい主人公の登場が俯瞰の落下によって描かれており、鮮烈で、かつ、すべてが瑞々しい。興味深いのは、今作においては、物語を語る行為から脱却し、物語を聴かせる行為へのシフトを告げている点だ。

前作と打って変わり、「裸足でSummer」では「君」の素顔を説明する描写が歌詞にもミュージックビデオの”本”のなかにも、一切書かれていない。「恋」はしているらしい、しかし「僕」は「君」の姿形を形容するも説明はしてくれない。つまり、このあたらしくセンターポジションに立った少女の横顔を、後に乃木坂46を牽引するエースにまで成長した少女のスカした感じのする性格を、現時点ではうまく説明することができない、という自白がある。と同時に、手腕がある、と認めざるを得ない歌詞にもなっている。なぜなら、わからないならわからないで「行動が予測できない」と言って開き直ってしまえばいい、という作詞家の投げやりな姿勢が、むしろ齋藤飛鳥の性格の在り処を指し示す結果になっているからだ。
アイディア不足を局部=小物に拘ることで解消するのが常の作詞家・秋元康が、今作では小物を多用し視点の分散を図っており、不気味な呪文を唱えられているような心地になる。だが「気まぐれ」や「振り回されて」といった歌詞にたどり着くと、なるほど、と感心する羽目になる…、複雑でまとまりのない詩情でありながら、むしろそれが奏功して聴き応えのある楽曲に仕上がっていて、どこか納得のいかない、しかし不思議な感動がある。しかもそれがアイドル・齋藤飛鳥の素顔と遠く響き合っているようにおもえるのだから、やはり手腕がある、と評するほかない。大仰に表現すれば、物語の書き出しを未だに終えていない、素性のよくわからない、しかしあたらしい主役に決定した少女へあてる詩情として、音楽を純粋に聴かせることへの企図として「裸足でSummer」はひとつのメルクマールになった、と云えるのではないか。
また、一列目に橋本奈々未、西野七瀬、齋藤飛鳥、白石麻衣、生田絵梨花を並べており、おそらくこれは、グループの表題曲、その歴史においてもっとも豪華で、もっともバランス感覚に優れた構成を実現したと云えるのではないか。

 

総合評価 65点

再聴に値する作品

(評価内訳)

楽曲 14点 歌詞 13点

ボーカル 13点 ライブ・映像 13点

情動感染 12点

引用:「」秋元康 / 裸足でSummer

歌唱メンバー:北野日奈子、星野みなみ、西野七瀬、齋藤飛鳥、白石麻衣、生田絵梨花、若月佑美、生駒里奈、堀未央奈、中元日芽香、高山一実、衛藤美彩、松村沙友理、秋元真夏、桜井玲香、橋本奈々未

作詞:秋元康 作曲:福森秀敏 編曲:APAZZI

 

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