櫻坂46(欅坂46) 上村莉菜 評価

櫻坂46, 欅坂46

上村莉菜 (C) 欅坂46公式サイト

「ビジュアルに勝るものはない」

上村莉菜、平成9年生、櫻坂46(欅坂46)の第一期生。
これでもか、というほどキュートなアイドル。デビュー後、比較的早い段階で頭角を現し、文句なしの人気を獲得できたのも、生まれ持った”美”のおかげだろう。2015年にデビューしているが、令和が始まった現在も、そのビジュアルの輝きに減衰はみられない。上村莉菜は、自分にとってもっともかけがえのないものを他者に示すことができない、ある種の凡庸さを抱えた人物で、同期のアイドルと女学生のような稚気を描いている。彼女の屈託を、苦渋と決意が静かに深く詰まった、後戻りできない青春の書と扱うのならば、そこには現代でグループアイドルを演じる少女の屈託を包括した物語が記されている、と云えるかもしれない。
あるアイドルを、そのアイドルの実力を元に、同時代を生きる他のアイドルグループのアイドルと順位闘争の場面で比較する、これはやはり安易な試みにおもえる。だが、アイドルの資質の部分で語るならば、話は変わる。齋藤飛鳥をなぞるように、良心的で無害に映る外見を裏切り、他者からの要望や救済を拒絶する姿勢を所持する少女を、つまり、自分とは別の何者かを演じる際にこぼれ落ちる女性特有のニュアンスを描出する上村を、乃木坂46の選抜メンバーと同等の資質をそなえたトップアイドルと評価しても過褒にはならないはずだ。問題は、グループアイドルとして文句なしの資質をそなえているのにもかかわらず、上村莉菜は、自身が描くアイドルの物語に厚みをもたない点だ。さらに云えば、グループが欅坂から櫻坂への移動をはじめた現在、グループ内での存在感はいまひとつで、改名直後に発表された1stシングル「Nobody’s fault」の選抜メンバーから落選し、アンダーポジションに甘んじるなど、順位闘争の場における弱さも露呈し、いよいよ正念場に立たされている。それは、なぜだろう。

旬が過ぎてしまった、ということなのだろうか。いや、そうは感じない。上村の困窮とは、端的に云えば、境遇に恵まれなかっただけの話である。
才能がある人間は、どのような境遇に置かれようとも、結局、その才能に動かされてしまうものだ。一応の終止符が打たれた欅坂46の境遇を敷衍するならば、この才能による衝動への甘えがあった、と表現するしかない。少女の才能に任せる、少女が才能に動かされるまで待つ、といった放任、リベラルへの甘えが作り手にあった、とするほかない。アイドルの素顔をファンの眼前に余すことなく提出する、と云えば聞こえは良いが。彼らは、ただ少女の才能に頼り、縋り、「向性」を観察していただけに過ぎない。結果、上村莉菜という逸材が太陽に向かって真っ直ぐ伸びなかった、というだけの話である。
肝心なのは、欅坂から櫻坂に視線を向けたことで、作り手の失敗が白日の下にさらされたことだろう。踊ること、歌うことを演劇にすり替えアイドルを演じて行く、その青春のあり方に、アイドルのあり方に待ったがかかり、転換を余儀なくされた。その点では、あたらしい作風を求められる櫻坂46にあって、圧倒的な美を誇る、アイドルの古典的なジャンルらしさから逸れない上村莉菜は貴重な存在と云えるかもしれない。アイドルのビジュアル、これは、古今東西、あらゆるシーンにおいてファンを魅了してやまない、もっとも普遍的な資質なのだから。
現実を無視して理想に突き進む姿勢に綻びが生じ、夢見た世界に幻滅し、逃避するように堅く狭い壁の内側に籠もってしまった人間が、その巣穴からどのような表情をもって抜け出してくるのか、困難を乗りこえるのか。あるいは、茫然自失したまま空扉を開き、現実の世界へと帰還してしまうのか。上村莉菜は、今後の展開にスリリングな予感を孕んでおり、目の離せないアイドルに映る。

 

総合評価 61点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 12点

演劇表現 13点 バラエティ 9点

情動感染 13点

欅坂46 活動期間 2015年~

 

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