日向坂46(けやき坂46) 佐々木美玲 評価

日向坂46(けやき坂46)

佐々木美玲(C)上山陽介/PR TIMES

「サイトスペシフィック」

さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。

綿矢りさ「蹴りたい背中」

「机の上にある紙屑の山に、また一つ、そうめんのように細長く千切った紙屑」が載せられる。何度も千切られ、うずたかく積もった真っ白なティッシュペーパーは佐々木美玲の「孤独な時間が凝縮された山」なのだろうか。(*1)”道のりこそが目的である”と云うのは簡単だが、それを「アイドル」のアイデンティティにすり替えようとする動きには抵抗しなくてはいけない。まるで他人事のように、奇跡への実感が生まれる前に通り抜けて行くストーリー展開。その中央に立たされたのに、グループアイドルの第一期生に具わるはずの作家性が彼女の掌には降って来ない。欅坂46はサイトスペシフィック・アイドルのはずであったが、今は、空中分解され浮遊している。「同じ景色を見ながらも、きっと」欅坂46、けやき坂46第一期生、けやき坂46第二期生はそれぞれ「全く別のことを考えている。空が、空気が青く染められている場所に一緒にいるのに、全然分かり合えていない」(*2)。ティッシュをまた千切る。待ち構えているのはグループアイドルとしての”死”であることをすでに彼女は理解している。佐々木美玲は、グループアイドルの闘争や摩擦、無理解と無関心、漢字とひらがな、渡邊美穂と丹生明里、それらの架け橋としての役割を担った人物なのだろうか?私には、そうは映らない。彼女のクレバーな瞳は「ひらがなけやき」の悲喜劇をユニークに転化させる核のように映る。渡邊美穂のような主人公感や、丹生明里のような群像劇への求心性を佐々木美玲からは受信しないが、彼女がターミナルキャラクターだとは到底、思えない。何かの、何処かの「主役」に置かれるべき存在である事実は、彼女の姿形を見れば、歌声を聴けば、ひと目でわかる。ただ、それが、どこなのか、わからない。間違いなくグループの主役であるはずだが、物語の主人公ではない。「ボーカル」という言葉を聞いて人は何を思い浮かべるだろうか。その言葉の意味だろうか。私は漠然と、”主人公”を想う。永遠に追いかけるべき後ろ姿を、原典を想う。けやき坂46のなかにあって「ボーカル」を象徴するのは齊藤京子ではなく佐々木美玲であるが、しかし、佐々木美玲に主人公を感じない…。この背反性や倒錯が未曾有の反動を、分厚い氷で冷やされたガラス細工のように強靭かつ繊細なヴォイスを、つくる。音と共に描写されて行く笑顔のなかに詩的な含みがあり、まるでアイドルが抱えるやましさを暴露するような、感覚と知覚が塗り替えられるような、素朴な、しかし、終末世界的な日常風景が提出される。彼女は、イマニミテイロ、と微笑む。

「『三月十五日』を読んでいるときに、《人は、ほかの人から、あれはこれこれの人だと思われているような人間にならずに終わることはありえない》という不吉な一文を目にしたが、作者はこの文章をユリウス・カエサルのものだとしている。ユリウス・カエサルの作品はもちろん、スエトニウスからカルコピノにいたる伝記作家の作品も調べてみたが、出典を確かめることはできなかった。」(*3)これは、情報に囲繞される現代アイドルにとっても、逃げ切ることが困難な科白である。不吉な予言。かならず現実として訪れる予言。

俺に憑り付いているっていうカルマによると 俺は人違いで死ぬらしい
冗談じゃねえ そのご指名自体が人違いだぜ
俺がまだずっとガキの頃に聞いた話だ
俺の曾爺さん いつも通らない道を歩いてて 崖崩れに待ち伏せされて死んだ
あれは人違いみたいなもんだって近所のじいさんがよく話してた
俺の叔父さんは一字違いでマウイストの活動家ってことで引っ張られ もう8年連絡が無い
今は言わなくなったけどおやじは俺が外に出ようとするとよくこう言ってた
「決して目立つな。カルマにはくれぐれもみつかるな。人違いされるな、いいな、決して目立つな。爺さんと兄貴はお前と同じ長男だったんだ」

THA BLUE HERB 「路上」

泥沼の生活=路上からの脱出を試みる主人公の境遇は、アイドルという虚構に踏み込んだ少女に重なる。この「路上」の主人公は辺境からの脱出の為に盗みを計画する。しかし、彼は金(希望)を盗み出す際に住人を殺してしまう。返り血を浴びる。血まみれのシャツを隠すために盗んで着たジャケット。国境間近、彼は、そのジャケットの持ち主と人違いされる。「俺に憑り付いているっていうカルマによると、俺は人違いで死ぬらしい」。アイドルは(アイドルという概念は)、ファンや同業者に”あれはこれこれの人だ”、と一度でも思われてしまったら、それは回避できない予言として、カルマとして胎動してしまうものだが、佐々木美玲はこの予言を未だ、あるいは永遠に、受け付けないアイドルにみえる。演劇的な仕掛けからは無縁なのだ。「狭い窓が無限大と勘違い」(*4)しているような予言=批評をファンから、あるいは”作手”から彼女は浴びていない。彼女の姿形(物語)はグループアイドルとして、その連綿、伝統のなかで、どこかですれ違った”誰か”に似ているようで、しかしそれが誰であったのか記憶を辿ることができない。そこに確かに存在していたのに、振り向いたら消えている。夢を見ていたことは確かに覚えているのに、内容を、ストーリーを思い出すことができない。感情は、感触はそこに在るのに、未だ、漂っているのに。彼女は、佐々木美玲は何者なのだろうか、と問うたら、きっと嘲笑われてしまう。でも、だからこそ、彼女が、彼女の声が、一体どのような場所からやって来て、何処に辿り着くのか、嘆きのように掠れ減衰して行く歌声に耳を澄ませて聴き入る必要に迫られるのだ。

 

総合評価 73点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 19点

演劇表現 14点 バラエティ 12点

情動感染 14点

けやき坂46 活動期間 2016年~

引用:(*1)(*2)綿矢りさ「蹴りたい背中」
(*3)ガルシア・マルケス「わが悲しき娼婦たちの思い出」
(*4)SKE48/秋元康 「Darkness」

評価点数の見方