日向坂46(けやき坂46) 井口眞緒 評価

日向坂46(けやき坂46)

井口眞緒(C) 株式会社白夜書房/日向坂46

「退役した参謀が過去の作戦について語るような口調」

私はいつも自分の滑稽な態度で、自分の思想や肝心な観念を、傷つけやしないかと恐れているのです。私には見せかけの行為というものがありません。私のそれはいつも正反対になるものですから、みんなの笑いを誘って、その観念を傷つけてしまうのです。また感情に節度というものがありません、これが肝心な点なのです、いや、これがいちばん肝心な点だと言ってもいいでしょう……私はいっそのこと黙ってすわっていたほうがいいということは、私も知っています。かたくなに黙っていれば、かえってなかなか分別ありげに見えるものです。

ドストエフスキー/木村浩 「白痴」

井口眞緒には「見せかけの行為」というものがない。演技=虚構を作り上げ、生身の自分を護る被膜が無い。彼女はあまりにも生身である。それも精神の潤った生身。生身だから距離感の設定がむずかしい。アイドルという虚構へならば強く踏み込めるが、生身の女性に対してはどのように触れるべきか逡巡する。アイドルの感情表明や吐露により”見たくはない”と思う部分がにじみ出てしまったのを発見するのとは違い、井口は日常風景のなかに羞恥が表出しており、その無防備な姿形から目を背けたくなる。アイドルに対して、演じる行為の一切を諦めており(あるいは、最初の自己紹介で手を勢いよく振り回したその瞬間から、最初から最後まで、すべてが演技なのかもしれないが)、井口眞緒とアイドル・井口眞緒は等号を間に置くことができる。つまり、ドラマツルギーという視点できわめて貧弱なアイドルに映る。アイドルとして過ごす日常で「役」の演じ分けがないからだ。
アイドルを演じていない彼女が、不成立なままシーンに通用するのは、アイドルを演じることなくフィクションを作ってしまう力量を把持するからだろう。おままごとが好きな少女がそのまま大人になったみたいに。飼い猫の霊が夜中に廊下を走り回る日常の不気味さと無邪気が入り乱れるフィクションを彼女は作る。そのような観点で、井口眞緒からは演劇の分野で高いポテンシャルを感じるが、アイドルにとっての「演劇」とは殆どの場合、他人の作った仮構の中で動く境遇を指す。しかし、彼女は他人の用意した仮構では上手く呼吸できないようにおもう。彼女は自分で作った仮構、台本、文字の上でのみ自由に演技ができる。もちろん、そのような境遇に現役アイドルがたどり着くのは前例がないはずだが(石塚朱莉の劇団プロデュースなどはあるが)、「スナック眞緒」という小さな箱庭の虚構が成立し喜劇として実現したのは、彼女を取り巻く人間たちが、井口眞緒が発散するフィクティブな空間作りへの意欲、発想、自発的能動性に圧倒されたからだろう。この企画を実現させて行く力は、松村沙友理を彷彿とさせる。

井口眞緒は途切れのない仕掛けと仮装に満ちた文体を音読しているような喋り方をする。まるで、ガルシア・マルケスの「迷宮の将軍」を読み上げているみたいな口調。間断のない自問自答の「解」が短いセンテンスとなり、それをつなぎ合わせていく。物語性と連続性のある科白なのに展開が目まぐるしく変わるから、理解が追いつかない。独りだけ不気味で窮迫しており、滑稽に映る。だから、”みんなの笑い”を誘う。同時に彼女は誤解に包まれる。自然発生しているクリティークにはほとんど誰も気付けない。彼女自身もその場で”しくじった”顔をする。滑稽がユーモアに転化することはない。

「ある学者がさ、試しに現在ってものがどれくらいのながさなのか計算してみたんだって、それによると、現在っていうのは平均にして8秒程度のながさのことで、その8秒が過ぎれば現在(いま)は次から次へと過去の記憶になって人間の魂のあいだをながれて行く」

野沢尚 「眠れる森」

常に8秒以上息継ぎせずに喋り続ける井口眞緒の科白は、現在が過去と未来を侵蝕し混濁している。彼女は常に「告白」をするのだが、すべて独白に映る。彼女は告白ができないのだ。告白しようと思弁を並び立てようとも、独白に扱われてしまう。だから、喜劇の間隙にブルージーな伏目をみせる。静止した一枚の写真=絵を鑑賞して物語を作り上げるということをせずに、連続した写真を好んで提示する傾向が強いのは、言葉と行為が連結することに安心感を抱くのは、彼女がある種のオブセッションを持つからだろう。井口には写実主義的な趣向があり、目に映った情報を乱暴ではあるが、ありのままに描写する。間違って伝わった情報はきちんと訂正する。彼女は、電車に揺られた感触から、移り変わる街の風景と時代を自身に重ねていく。情感豊かな描写を書く。
電車に乗って乗り間違いに気づいた時、次の駅で降りずにそのまま、目的地がわからないまま、乗り込んでくる学生やサラリーマンを眺めながら、静かに運ばれていくような喪失。井口眞緒はアイドルという奇跡との遭遇に歓喜する一方で、過去の生活の喪失を看過しない。喪失の体験とは成熟に至る過程である。井口眞緒が成熟しているのは、崩壊の再建を実行しているからだ。彼女は、アイドルに成る以前の日常の崩壊を「アイドルの日常」として再建して行くのである。この点にアイドルの虚構を未完のままで放置する動機があり、真実を伝えるには嘘を通過する必要がある、と云った戯作者近松門左衛門の言葉と前面衝突し、その立ち居振る舞いもかけ合わせ、愉快に感じさせる。

井口眞緒は、自身の内奥、物語の核の伝え方が独特であり、ほとんどの場面で、語られる物語に主人公の描写がない。(他のアイドルの物語に再登場するのではなく)自身が主人公の物語において、他のアイドル(特に、齊藤京子、潮紗理菜、宮田愛萌)を献身的に、仔細に描写し交錯した物語を再現することによって、主人公=自身のアイドル像の輪郭を描いていくといった手法を採用している。これは非常に興味深く、洞察が尽きない。「スナック眞緒」は明確で平易な虚構(フィクション)であり、そこに訪れるアイドルはありのままの自分をなんとか伝えるために、嘘を付き、演じていくわけだが、そんな少女たちに井上はノンフィクションを間断なく浴びせかかるのである。混濁した虚構が映し出され観者はぐらっとする。

触れると、多事多難を発生させるアンタッチャブルな彼女が大舞台に抜擢されたとき、そこに渦巻く不安、期待感や高揚感というのは再現性の低い物語と云える。彼女の愚直を目の当たりにすると投影が生まれる。次の瞬間、他のアイドルとは一風変わった、息を抜く暇もない物語が立ち現れる。

 

総合評価 53点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 11点 ライブ表現 3点

演劇表現 9点 バラエティ 17点

情動感染 13点

けやき坂46 活動期間 2016年~

引用:見出し 村上春樹「1Q84」

評価点数の見方