AKB48 小栗有以 評価

小栗有以 (C)BUBKA2016/1月号

「日替わりなラッキーな成り上がり」

小栗有以はAKB48の次世代ホープ、新センターへの呼び声が高い人物である。
しかし、ホープとは「希望」であるが、これまでに小栗有以の書いたどの物語を眺めても、そこにグループの未来を見いだすことは叶わない。もちろん、希望の実態が「抜擢」というかたちで作られた「傀儡」であるからそう感じるのではない。彼女自身が作り上げた偶像が、常闇のようなシーンを転覆させる力量を、未来を切り拓く能動性を、一つも内在しないからである。
AKB48のあたらしい主人公として原稿用紙の上に置かれた小栗有以の物語がきわめて平板であり、描かれるアイドルとしての資質が月並みであるのは滑稽ではなく、悲劇ではないか、とおもう。ビジュアルについては、過剰な評価を浴びているようで、「賛辞」への揶揄は禁じ得ないが、悪くはない、しかし、前田敦子や西野七瀬のようにグループアイドル史=群像劇にあたらしい系譜を作るような発見や圧倒はない。ライブ表現力についてならば、高いポテンシャルを感じる。華奢であるが、身体の芯から発生した振動が身体の先端に達するまでの安定性に優れており、それが舞台上での存在感につながっている。「彼女」が今、舞台上の何処で踊っているかすぐにみつけられる、という観者への誘導力はひとつの才能と云えるだろう。だが、”センター”の器ではない。彼女の舞踏をどれだけ眺めても、楽曲との融和や物語性の獲得といった「展開」への遭遇は一度も訪れなかった。「小栗有以」の姿形や立ち居振る舞いからは、グループの帙を繙かせるような求心力を感じることが出来ないのだ。なによりも、センターポジションに対する「メランコリック」や「反動」が皆無であり、まったくあたらしい物語を、しかし、過去と連なる物語を描く異物感が、手触りが伝わってこない。

才能の無い人間が周囲に持ち上げられるとき、往々にして”勘違い”が発生するものである。アイドルの場合、センターに立つ資質のない人物が、なにかの間違いで、時代のズレで、その場所に立ってしまうと、本来芽生えるはずのない自意識を獲得してしまうことになる。例えば、「わたしがグループを引っ張る。革命を起こす」、と。そして、その”勘違い”は本来、輝くはずであったジャンルでの才能をも枯らせ、アイドルから個性を欠落させて行く。小栗有以に多様性を感じないのは、センターポジション=主人公を意識するあまりに、自己の内奥をさらけ出すきっかけを前にしても「放棄」を選択するからである。そして、その「放棄」すらも、ギニョールのワンシーンに過ぎないのだから、痛々しい。小栗有以が原稿用紙に書き残した物語とは、宮脇咲良がすでに描写した光景ばかりである。受動性が命題として重く伸しかかるタイプのアイドルとして、その枠組からはみ出たことは、未だ、一度もなく、この点に時代の寵児としてあるべき物語性の欠如を確信してしまう。才能は、人智の及ばない存在から投げ付けられ、与えられる。『「結局、才能以上のものを書くことはできない」 これは六十年以上にわたって小説を書き続け、常に文壇の主要作家であり続けた正宗白鳥が死を迎えて最後に云い残した言葉である。』(*1)才能を授かることに比べれば、「立場」を貰うことも与えることも容易い。小栗有以は問題なくアイドルと呼べる人物だが、ギニョールという境遇の観点に立てば、それは”日替わりなラッキーな成り上がり”と云えるだろう。島崎遥香の喪失以降、”日替わりセンター”として配置された宮脇咲良、小栗有以、次にラッキーな成り上がりを手にするのは、システムの傀儡にされるのは、どのアイドルになるだろか。

 

総合評価 55点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 12点 ライブ表現 13点

演劇表現 9点 バラエティ 8点

情動感染 13点

AKB48 活動期間 2014年~

引用:(*1)福田和也/現代文学

評価更新履歴
2018/9/1 情動感染12→13

評価点数の見方

AKB48