「僕が見たかった青空」の柳堀花怜ちゃんが最高に可愛いんだけど

僕が見たかった青空, 座談会

柳堀花怜(C)モデルプレス

「アイドルの可能性を考える 第二十七回 僕が見たかった青空 編」

メンバー
楠木:文芸批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

2023年6月15日、アイドルシーンにまた一つ、あたらしいグループが立ち上げられた。グループ名は「僕が見たかった青空」。個人的には、なかなか良いな、と思った。作詞家・秋元康ならではの”タイトル”だと思う。もちろん多くのアイドルファンにとって「僕」と「青空」はもはやクリシェになった言葉だろうから、苦笑いしたファンも多いんじゃないか。クリシェというのは要するに、同じ言葉を何度も繰り返し使用することでその言葉が本来持っていた価値を失ってしまう、という意味になる。
けれど、作詞家・秋元康の才能は、この、クリシェに対して無頓着でありつづけるというところにある。何度も何度も、繰り返し同じ言葉を使うことで、その言葉の意味を考え知っていくところに秋元康の詩のおもしろさがある。たとえば、近年ならば、『僕たちのサヨナラ』で記した「なんて美しい オレンジ色の空」とか、『笑顔のチャンス』で書いた「誰にも一生忘れない空の色があるらしい」といった情感豊かで普遍的なフレーズでありながら、作詞家個人の目線をも感じられる詩を書けるのは、『何度目の青空か?』や『10月のプールに飛び込んだ』などの傑作を書き上げたあとも変わることなく青空に着想を求め、その意味を考えてきたからだと思う(乃木坂46の公式ライバルを名乗らせたグループのデビュー曲に『笑顔のチャンス』という当作を差し出さないところにもまた秋元康の無頓着さが現れていると言えるかもしれない)。
いずれにしても、シーンにまた、夢見る少女の群れが放たれた。数えると、23人。この少女たちも「アイドルの値打ち」の批評対象に含めることにした。
今回は、彼女たちの第一印象について、すこしだけ、触れた。

「卓越化と凡庸化」

僕はいつものようにオスカー・ワイルドのことを考える。思い出すのはいつも同じ話だ。「午前中ずっとかかって、ある文を直そうとして、結局はコンマをひとつ取るにとどめた。午後、私はそれをもとに戻した」

ローラン・ビネ/HHhH プラハ、1942年

島:今回の持ち込みは、楠木さんが絓秀実『詩的モダニティの舞台』、OLEさんが村上春樹『TVピープル』、横森さんが山城むつみ『文学のプログラム』、僕が綿矢りさ『蹴りたい背中』。
楠木:『詩的モダニティの舞台』を読んで僕が想うのは、詩にしても批評にしても、ある作品を前にして、自分にもこういうことができるのか、と茫然とするのではなくて、自分が作り出した作品を前にして、自分はこれを次もできるのか?、という「唖然」です。こうした感情は作家だけでなく、あらゆる職業に通じるんじゃないか。
島:バーンアウトのことですよね。
OLE:発想力が枯渇することへの恐怖でしょう。
楠木:もっと肉体的というか運動的なことです。野球でホームランを打ったときに、次にまた同じボールが来たら、自分はもう一度ホームランが打てるのだろうか、とバッターは考えたりするんじゃないかな。
OLE:それも「発想」の一つだよ。今回、ひらめいて打てた。次もまたひらめけるのか。絶え間なく。
楠木:発想というのは、できなかったことができるようになる、ということの入り口であると同時に、答えでもありますよね。つまりむずかしいことをひらめかなければならない、というわけではない。考えてみればそりゃそうだよな、という程度のものでいい。なんで今まで気が付かなかったんだろう、というのが発想なんだと思います。たとえば、馬のあぶみ。人類は古代から馬と暮らしを共にしていますが、あぶみをひらめいたのはつい最近です。何千年、下手したら何万年と、途方も無い時間、人類は騎乗時に、足をぶらぶらさせていたんですよ。
OLE:でもそれって、最初にひらめいた人は文句なしに天才だよね。
横森:天才だね。卓越化と言うのかな。集団の中から一人、才子が生まれる。
楠木:ディスタンクシオンを天才に結びつけるならロマン派になるんじゃないかな。ヘルダーつまりロマン派における天才とは凡庸の収斂だよね。アイドルで言えば西野七瀬とか生田絵梨花はこの枠における天才なんだろうね、きっと。今、大衆がイメージするアイドルって、凡庸な子、だから。その凡庸のなかで際立つ存在が出てくる。だからその存在は天才と認知される、という。ただ、ひらめきにおける天才というのはカントだよね。共通認識、評価基準からズレる存在こそ天才で、平手友梨奈とか、大園桃子がこれにあてはまる。ひらめきというのはまさしくこれまでの枠から抜け出る瞬間を言うのだろうし。
島:アイドルの話が出ましたけど、『蹴りたい背中』も「アイドル」ですよね。
横森:作者がある意味でアイドルだからね(笑)。文壇のアイドル。
OLE:しかしものすごい経歴だね。一流作家だ。
横森:最初に福田和也にべた褒めされたからね。成功を約束されたようなもんだよ。
楠木:僕はブッキッシュですから、女性の感情の機微とか、そのまま女性作家から学んでいる。塩野七生、河野多恵子。綿矢りさもその一人です。もちろん、アイドル観にも活かされている。綿矢りさは情動を書くのが上手い。とくに恋愛における女性の情動を衝動的行動力として描くのが上手い。IQが低くなった人間の行動ですね。情動における衝動って突発的な行動だけを言うのじゃなくて、戦略的な行動もあるんだ、っていうのを上手く書いている。作戦を練って冷静に行動しているつもりでも、その原動力が恋愛における情動なら、穴の多い戦略にしかならない。傍から見たら脇が甘いようにしか見えないんだけど、本人はそう思っていない。要するにまわりが見えなくなっている。そういう登場人物を描くのが上手い。だれもが経験する失敗を、小説という、特別なもの、として書けている。
島:今回『蹴りたい背中』のほかにもいくつか綿矢りさの作品を読みましたが、この作家の特徴は、女性漫画などでヒロインとして描かれる人物を脇役にして、ヒロインのライバルとして描かれるような女性を主人公にもってくるところですね。乃木坂でいえば、西野七瀬ではなくて白石麻衣を主人公にするような。
横森:純文学をやることの「発想」に取り憑かれてるよね。『夢を与える』は批評家が良しとする小説を狙って書きました、ってのがすごく伝わってくる。
楠木:『蹴りたい背中』は、書き出しの数行を書くのに1年かけたと言っている。それが本当なら、純文学でしょう。エンターテイメント作家はそういった時間の過ごし方はしないだろうから。
島:『ひらいて』もなかなか純文学的で、おもしろいのは、主人公が恋する男子を村上春樹の書く主人公にしている点です。こういうやりかたって純文学的でよね。
横森:ああ、本をよく読んで、世の中わかっているような男の子ね。
島:凡庸化です。卓越化とは反対に。村上春樹の、ハードボイルドであったりニヒルであったりする主人公に自分の主人公を口撃させることで、綿矢りさの書く主人公のほうがより普遍的な主人公、凡庸な主人公になる。結果的に、読者に共感される。
OLE:それはおもしろいね。村上春樹の物語に出てくる登場人物は個性にあふれすぎていて現実的じゃない。そこが魅力と言えば魅力なんだけど。それを逆手に取っちゃうのか。
楠木:『ひらいて』って映画化されていますよね。山田杏奈主演で。そういえば、山田杏奈が男の子に罵倒されるシーンがあったな……。山田杏奈が教室で告白するんだけど、相手の男の子に、俺はお前のことが嫌いなんだよ、って言われちゃう。あの男の子が村上春樹的なんですか。
島:彼は他のクラスメイトとは違う視点を持っていて、そういう雰囲気に主人公は恋をしちゃうんですけど、違う視点を持っているだけに主人公のズルさみたいなのを看破してしまう。普通、他人とは違う視点をもつ人物を主人公にしますよね。でもこの作品は逆です。それが純文学なのか、僕にはわかりませんが(笑)。
楠木:主人公の少女も風変わりでしたよ。要するに、人間は誰しも自分は他人とは違う、特別な存在だ、他人にはない個性を持っている、と無意識にしろ意識的にしろ確信しているはずで、その確信を凡庸な主人公を描くことで、その凡庸さに共感させることで、突く。『魔の山』のハンス・カストルプが代表的ですが、凡庸な主人公に共感するというのは、自分が凡庸であることを自覚させられるのではなく、むしろその逆です。凡庸な主人公であればほとんどの人間が共感する。しかしなにかの物語の主人公として自分が描き出されたことのその特権を前に、読者は、自分は特別な存在なのだ、という自覚を育む。綿矢りさの書く凡庸な主人公に共感するということは、自分が個性的な人間であるという勇気に取り替えられるんでしょう。つまり卓越化が起きている、ということになりますね(笑)。

「見たことない空を見よう」

島:アイドルに話題を移すと、新しいグループがデビューしましたね。僕が見たかった青空。
OLE:曲のタイトルみたい。発表していないだけで、この名前で曲を書いたことがあるんじゃないのかな。
楠木:なるほど。
横森:このグループも「アイドルの値打ち」で批評するの?
楠木:もちろん。坂道シリーズを扱っているから、ここもやらないと整合性が取れない。
横森:「OUT OF 48」とかいうのは?
楠木:あれはAKBの企画の一部だから……。というか、このペースでアイドルが増え続けると、とてもじゃないけどすべてのアイドルを批評するという目的は叶わないので、編集と相談してサイトの形式そのものを大幅に調整している。この調整が終われば、予定では今年中に坂道のメンバー評は終わる、はず。去年なんて結局、矢久保美緒のページしか書いていないので(笑)。刈り込みと加筆に時間をつかいすぎた。あるいはそれが僕にとっての「アイドル」の魅力・希求なのかもしれない。
島:「僕が見たかった青空」で気になった子はいますか?センターは……、八木仁愛さん。16歳。
OLE:なんでこの子?って思わせるのが狙いだから。これであってる。
横森:ダンスか歌が上手いんじゃない?
OLE:柳堀花怜、吉本此那、萩原心花。このへんが人気出そう。
楠木:柳堀花怜だけ別格じゃないですか?グループアイドルのお披露目って、どの少女もいまいちパッとしないというか、風采が上がらないというか。そういう少女が多いけれど、極稀にいますよね、ひと目見て、売れる、ってわかる子が。この柳堀花怜って少女は絶対に売れると思う。
島:17歳ですね。東京出身。
OLE:山下美月だよね。
横森:一ノ瀬美空→山下美月→生田絵梨花だね(笑)。
楠木:AKBの山﨑空もそこに入る。
OLE:辿れるよね。この系譜に入るのかな、この子。
楠木:ビジュアルが良いし、あとは、演技もできそうですね。会見でアイドルたちが言葉のキャッチボールをしていたけれど、あれは事前に練習したんでしょう、きっと。要するにある程度「本」があったはずなんだけど、そういうなかであれだけ堂々と振る舞えるのは大したものですよ。実際的な人が売れるからね、今のアイドルシーンって。今回の記事のタイトルはもう決めていて、「僕が見たかった青空」の柳堀花怜ちゃんが最高に可愛い、です。キャッチーでしょ?
横森:(笑)
島:「可愛い」よりも「可愛い件について」にしたほうがキャッチーじゃないかな。
横森:それもう古臭くない?
島:ネットスラングなんて古臭いくらいでちょうど良いんですよ。
OLE:それだとまとめサイトになっちゃうから、口語にすれば良いよ。「可愛すぎる」とか。
横森:それもネットスラングじゃん(笑)。
楠木:口語は良いアイデアかもしれない。「可愛いんだけど」にしようかな。
OLE:ああ、それいいかもね。気になる(笑)。

島:読者目線で質問するなら、この子たちは乃木坂のライバルになれそうですか?
OLE:それはファンが決めることなのかなあ。
横森:売れそうだけどね。
楠木:このグループ名なら『笑顔のチャンス』をデビュー曲にすれば良かったのに。絶対に売れたよ。作曲家に才能があるようだし、乃木坂とか欅坂とか、才能のある作曲家がついてきたから売れたわけでしょう。『笑顔のチャンス』の作曲家を専属にしちゃえばいい。
OLE:「空」をテーマにするなら、それこそ柳堀花怜のビジュアルが活きるからね。
楠木:言われてみると、一ノ瀬美空って名前に「空」が入ってるんですよね。そして、山﨑空も……。
横森:山下美月も「月」を持っているからね。
楠木:「空」をテーマにした表題作のなかでまず想起するのは『夕陽を見ているか?』と『何度目の青空か?』の2作品になるはずだけど、『夕陽を見ているか?』が「空」に郷愁を求めているのに対し、『何度目の青空か?』は希望を見出している。そして『笑顔のチャンス』は「空」に郷愁と希望のどちらも見出しているんだね。だから新しいアイドルグループのデビュー曲として文句なしに思える。当然、センターは柳堀花怜で。これで絶対にヒットしたよ。
横森:これで”あざとキャラ”だったら、笑うよ。
島:センターをやれる子が”あざとキャラ”って、なんか、もったいない。
楠木:それはべつに良いんじゃないですか。最近、僕は想うのだけれど、アイドルって、真実かもしれない嘘、を描くべきなんだけど、これが逆になってしまっている少女が多い。嘘かもしれない真実、を描いてしまっている。山下美月がどちらなのか、言うまでもありませんよね。

2023/06/17  楠木かなえ