STU48 佐野遥 評判記

STU48

佐野遥(C)朝日新聞デジタル

「日常の演じ分け」

佐野遥、平成7年生、STU48の第一期生。
「言葉」に対しなかなか意識的に振る舞うアイドル。自分の言葉が相手にどのように伝わるのか、自意識を持っていたようで、「アイドル」への解釈の独自さも相まってエロクエンティアの強いアイドルを作っている。
日常の立ち居振る舞いに説得力がある、または、そういった雰囲気を醸し出している、ということは、信頼感がある、ということである。信頼感、これは不思議なもので、存在感とは比例しない。存在感が大きければそれを糧にして信頼を育めるのかと言えば、そうとも限らない。むしろ存在感の薄い人間のほうが、身勝手な信頼感、を寄せられてしまう場合が多いし、往々にして、それは純粋な信頼感として扱われてしまう。
身近に確かに存在するけれどあまりよく知らない人、つまり存在感の薄い人を他者に向け語る際には、断片的な情報だけを頼りに語ることになる、はずだ。まったく知らない人、自分とは関係のない人つまり興味のない人、であれば、そもそも他者に向けその人のことを語る必要はないが、確かにそこに存在し自己とは無関係ではなく興味もそれなりにある人、の場合、無関心ではないことを表明しつつ、語る必要が出てくる。そうした状況は日常の様々な場面に潜んでいるだろうし、そうした状況に立たされた際に、その「無理にでも語らなければならない人」の情報の少なさを補う役割としてほとんど無意識に準備されるのが「信頼感」なのだ。信頼感があれば、あいつはこれこれこういう人なんだ、と言い切れる。言い切ることでまた、信頼を自覚することになる。当然、そのような信頼を下敷きにして発せられる評価はかれら彼女らの実像とズレている場合がほとんどだろう。
佐野遥とは、作り手にとってもファンにとっても、まさしく、”身近に確かに存在するけれどあまりよく知らない人”、であり、言葉=日常の仕草がしっかりしている、というイメージによって、まあ彼女なら大丈夫だろう、うまくやるだろう、という、とりあえずの信頼感を獲得したようである。
事実、彼女はグループのメジャー・デビュー作品『暗闇』において、見事に表題作の歌唱メンバーに選抜されアイドルとして文句なしのスタートを切っている。彼女のアイドルとしての実力を考えれば、「選抜」の水準に達していないことは火を見るより明らかだが、しかし「佐野遥」はその椅子に座ることを許可された。それは彼女が信頼感を獲得したからである。ただ、一方ではその「信頼感」の原動力ともなった”言葉への意識の強さ”によってアイドルの表情の硬直を招いてしまったようでもある。

このひとは、言葉の選択の端々に堅牢さが宿っている。とくにファンの立ち居振る舞いを冷静に観察しようとする仕草には一種の冷徹さをのぞき見てしまう。アイドルを演じるということは日常を演じるということだ、と察知したのだろうか。だとすればなかなか頼もしい人物に映るのだが。けれど、その何者かを演じなければならないという意識の強さが彼女の作るアイドルを硬直させてしまったようにも感じる。とにかく、まずは”アイドルらしさ”というジャンルを演じてみよう、と試みる姿勢、健気さは痛いほど伝わってくるのだが、そうした頑なさがむしろアイドルの表情を硬直させてしまったようだ。
結局、バランス感覚=才能と云うしかないのだが、アイドルとして暮らす日々のなかで作る演技、要するにドラマツルギー=日常の演じ分けとは、そもそもなぜ演じ分けをするのか、ウソを作るのか、動機が求められるわけである。佐野遥の場合、日常的に演技を作るのだけれど、なぜ演技をするのか、肝心の動機がまったく見えてこなかった。もちろん、あえて説明するまでもないが、アイドルだからファンの前では常に笑顔でいなければならない、だとか、アイドルとしての人気獲得のためにファンの求めるアイドルらしいアイドルを演じる、とか、そういった志はこの「動機」には含まれない。日常の演技とは、それはたとえば、自分のなかで他者に伝えたいと考えたものを、たった今、表現しようと試みる際のウソと云えるだろう。そういったウソを作れるアイドルだけがファンに素顔を伝えられるのだ。

これを言ったら元も子もないのだが、佐野遥、彼女は独りでアイドルの物語を書くよりも、他のアイドルと並んで画面に映される瞬間のほうが輝いて見える。同業者とコラボすることによって日常の「堅牢」が崩れ、生来の彩りが飛躍的に増すタイプのアイドルに見える。たとえば、同期である磯貝花音と並びスマートフォンカメラの前に座った日、佐野遥が磯貝の作りあげたアイドル像の外郭にヒビを入れるような言葉遊びで、磯貝花音に戸惑いを与え、心を揺さぶり、彼女の新しい一面を引き出すことに成功していた。それはもちろん、引き出す側の印象も変える。つまり佐野一人ではファンの前に提示できなかった彼女の素顔がこぼれ落ち、アイドルの内にあたらしい物語が作られていくような、そんな光景が映し出されていた。
こうした光景は現在のアイドルシーンにおいて、多くのファンを魅了し得るコンテンツと呼べるものかもしれない。独りよりも、ふたりで、という構図、物語の作り方。誰とだれが仲が良いのか、とか、仲が悪いのか、とか、目ざとくなるファンの無垢な希求に今日のアイドルたちは応えなければならないのだろうし、応えることができたならば、そのぶんだけファンに抱擁されるのだろう。
佐野に対するこの見当、独りではなく常に誰かと共に過ごせ、という要求が正しいならば、それはアイドルにとってネガティブな評価と映るかもしれない。だが、グループの深化、群像劇の成立という観点で眺めれば、グループアイドルとしての役割を果たしている、と評価できるはずだ。ドラマツルギーとは、自分の役割を見つけ、そこに必然性をつくる、つまり自分が”そこに”居ることを必然にする、という意味も持つのだから。

 

総合評価 46点

辛うじてアイドルになっている人物

(評価内訳)

ビジュアル 10点 ライブ表現 9点

演劇表現 10点 バラエティ 11点

情動感染 6点

STU48 活動期間 2017年~2019年

2023/04/02  編集しました(初出 2018/09/26)