NGT48 世界はどこまで青空なのか? 評判記

NGT48, 楽曲

(C)世界はどこまで青空なのか?ジャケット写真

「争うことのない世界へ」

ミュージックビデオ、ライブ表現について、

NGT48のセカンドシングル。センターポジションで踊るのは荻野由佳。
NGT48はAKB48に連なるアイドルグループだが、アイドルの作り方はAKB48を踏襲しておらず、乃木坂46や欅坂46の手法の確立にならっている。前作のジャケット写真ですでに胎動を描いていたが、それは今作においても顕著であり、楽曲の”表紙”だけではなくミュージックビデオにも波及している。

楽曲、ミュージックビデオ、ともに散漫で冗長な印象を拭えないものの、今作の映像では、デビューシングルとは打って変わり、アイドルに演技が求められ、ドラマを作っている。よって、ファンがアイドルに向ける、批評の展開が容易だ。

「世界はどこまで青空なのか?」のミュージックビデオは、アイドルを演じる少女が、当たり前の日常を捨てる、青春の犠牲を抱きしめる瞬間を描こうと試みている。だが、画面のなかで忙しく駆け回る主人公の横顔に対し、どうしても無感覚になってしまう。その理由は、映し出されたアイドルから発せられる、「アイドル」に対する決意があまりにも感傷的に過ぎ、不完全さを身につける少女特有の鮮度、つまり理不尽に惹きつけられる輝きのようなものが加工され本来の魅力を損なっている、と感じるからだろう。とくに「純潔」の押し付けには嫌気がさす。純潔とは、どんなに言葉を尽くしても伝えられないものだ。それをアイドル自らに熱弁させてしまう点に作り手の「アイドル」に対する解釈の狭さ陳腐さの盤踞を目撃してしまい、痛々しい。
「ハルジオンが咲く頃」が格好の例になるはずだが、この作り手は「涙」に異常な拘り、偏執があるのかもしれない。あるいは「感傷」がテーマに置かれた際に求められる人材なのか。いずれにせよ、それをアイドルに押し付けるのは、投射、つまり自意識の作品化というよりは邪な人形劇に映る。映像そのものがシーンを牽引する映像作家、たとえば湯浅弘章や池田一真の安易な模倣であるから当然と云えば当然なのだが。
柏木由紀や北原里英がアイドルの青春の犠牲を語るといったシーンは自家撞着的でおもしろい。
ライブパフォーマンスについては、小熊倫実が良いと感じた。「サイレントマジョリティー」発表当時の渡辺梨加を彷彿とさせる、キュートだがどこかデスペレートな雰囲気を持っていて惹きつけられるものがある。

 

総合評価 40点

何とか歌になっている作品

(評価内訳)

楽曲 9点 歌詞 10点

ボーカル 8点 ライブ・映像 5点

情動感染 8点

歌唱メンバー:荻野由佳小熊倫実、柏木由紀、加藤美南、角ゆりあ、北原里英、佐藤杏樹、菅原りこ、高倉萌香太野彩香中井りか、西潟茉莉奈、長谷川玲奈、本間日陽、宮島亜弥、村雲颯香、山口真帆、山田野絵

作詞:秋元康 作曲:斉門 編曲:板垣祐介

 

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