乃木坂46 シンクロニシティ 評価

乃木坂46, 楽曲

シンクロニシティ ジャケット写真 (C) 乃木坂46

「シンクロニシティ」

歌詞、楽曲について、

首を傾けたくなるような科白に満ちている。どこか納得がいかない、素直に通り過ぎることができない、そんな描写にあふれている。だが、眼前に差し出された空文には、文学の入り口に立ち、繰り返し批評されるのに耐え得るひかりもたしかにみる。
「シンクロニシティ」の魅力は、傑作とも愚作とも云い切れない、人工的なのにどこか神秘的に映る不安定さにある。一見、完成された鉄壁な作品に映る。スマートでクール、洗練されている。しかもセンターポジションに立つのは白石麻衣だ。彼女のビジュアルが楽曲の上品さと止揚することによって、優雅で、かつ、風雅な作品になっている。しかし、なぜかこころが揺さぶられない、情動が感染しない不完全さを抱えてもいる。

歌詞カードに記された”当然の現象”、つまり、これが当たり前なんだと云う日常を、鑑賞者が自身の生活から決定的に隔たった出来事だと捉えてしまうのは至極当然の結果である。「シンクロニシティ」で述べられる「僕」の視点はあくまでも空想と感傷を寄す処にした非日常なのだから。奇跡が当たり前のように起こる世界に鑑賞者は「僕」の視点を借り、突然立たされるわけだ。この倒錯が招くのは、楽曲全体に、あるいは歌詞に、あるいはミュージックビデオのなかに致命的な瑕疵があるはずだ、という探求心だ。鑑賞者は意識的に楽曲のキズを探す旅に出てしまう。だからこそ、作詞家・秋元康の無垢な”想い”は置き去りにされてしまうのだろう。

(自己模倣を都合よく共時にすり替え、これまでに様々な楽曲の詩的世界の内に引かれた横断歩道を用いて、その白線の前で、今日もまた、いつものように信号が赤から青へと変わるだけの、何処にもたどり着かない「僕」という構図には飽き飽きするものの)置き去りにされてしまった作詞家の”想い”を好意的に窺うとすれば、「シンクロニシティ」に記された歌詞は、偶然の一致が、奇跡が当たり前のように起こる詩的世界への招待状になっている、と云えるだろうか。
「当然」を当然として書くのではなく、「空想」を当然のように書くことでそこに疑念が生じる。この疑念を抱いた状態で、もし歌詞に書かれた現象が、ある日突然、いや偶然、「僕」が呼吸する仮想世界ではなく、鑑賞者が生活する現実世界の内で自身の手元に舞い降りたのならば、「ああ、このことだったのか」と見過ごしていたはずの感情の発見、奇跡との遭遇、つまりシンクロニシティを実感することになる。さらにおもしろいのは、それは”私たち”が知っているシンクロニシティではないという点だ。それは偶然の一致などではなく、傷みの能動的な共感と療養であり、ともすれば言葉の解釈の誤りと斬り捨てることも可能な表現行為であり(とくに、クリシェに対する無頓着と功罪からも、浅薄と斬り捨てるべきだろう)、同時に、作詞家のイノセンスを反映した独自の解釈=文学とも言える。

また、詩的世界に暗示される、明日は今日なのかもしれない、といった徒労の繰り返し、救いがあるようでまったく見えずに彷徨する、シンクロニシティと名付けられた奇跡があくまでも遠景のままで終わる屈託から、もしこの楽曲が生駒里奈の卒業ソングと置かれていたら、あるいは、もし平手友梨奈をセンターポジションに置いた楽曲として上梓されていたら、というアナザーストーリーが積み上げられ、妄執が独り歩きしている点にも興趣をそそられる。

 

 総合評価 50点

聴く価値がある作品

(評価内訳)

楽曲 17点 歌詞 5点

ボーカル 13点 ライブ・映像 12点

情動感染 3点

歌唱メンバー:白石麻衣、西野七瀬、齋藤飛鳥、生田絵梨花、与田祐希、井上小百合、新内眞衣、高山一実、星野みなみ、若月佑美、樋口日奈、寺田蘭世、桜井玲香、松村沙友理、久保史緒里、生駒里奈、大園桃子、衛藤美彩、秋元真夏、山下美月、堀未央奈

作詞: 秋元康  作曲:シライシ紗トリ  編曲:シライシ紗トリ

 

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