乃木坂46の『思い出が止まらなくなる』を聴いた感想など

乃木坂46, 座談会

(C)Monopoly ジャケット写真

「アイドルの可能性を考える 第三十回」

メンバー
楠木:文芸批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

今回は、乃木坂の新曲のミュージックビデオをについて触れた場面があったので、その抜粋。

「Monopoly」

島:アイドルはどうですか?
楠木:話題性に乏しいですね、最近は。
横森:興味がないだけでしょ。
OLE:映画制作の方が忙しくてアイドルに割く時間がないんでしょう。
楠木:友人が自主映画を撮るって言うんで、その場のノリで脚本を受けちゃったんだけど、これがなかなか大変で。でも楽しい。発見もある。原作は友人が書いて、それを物語として僕が両足で立たせる。なんどもやり取りして完成したテクストなのに、上がってきた映像を眺めると、まったくの別物になっている。「え、なにこれ」って呆れ返ってしまうようなシーンばかりでね。本の解釈はほとんど変わらないんですよ、僕と友人で。でもなぜか現場で映像を作っていく段で、本に書かれたものとはまったく別の物へと変えてしまう。だからか最近は、アイドルのミュージックビデオを眺めながら、そういうこともあるんだろうなと、余計なことを考えちゃいますね。『Monopoly』には感じなかったけれど。
OLE:『最後のTight Hug』と『Monopoly』なら前者のほうが好きかな、俺は。
横森:『最後のTight Hug』もそうだけど、この映像作家はアイドルを綺麗に撮るっていう意識に希薄なところがあるね。すごくオーガニック。
OLE:厳しさがあるよね。表情が悪くても使うものは使う。完成品を見て、ガクッとなるメンバーもいるんじゃないかな。課題を頂戴するというかさ。
楠木:山下美月が良いですね。あとは賀喜遥香、池田瑛紗。山下美月はやっぱり演技ができるんですね。まあこうした感想に象徴されますが、この作家の特徴は、語ることのむずかしさにあります。身体の動きで表現させるので、詩と変わらないんですよ。ドラマを作る場合、それは文章で成り立ちますが、池田一真のミュージックビデオはアイドルの踊りを主体にして表現しますから、詩です。
横森:ちょっとズルく感じるけどね。
島:でも他の映像作家とは一線を画していますよ。素人目に見てもハッキリとわかる。
OLE:一番でしょう、この作家が。
楠木:ミュージックビデオとは別に、この歌詞は『君の名は希望』を下敷きにしているよね、きっと。もちろんこれはあくまでも曲を聴かせるための詭弁=批評ではあるんだけど、『君の名は希望』の後日談という意味では、現実も仮想も『最後のTight Hug』と多くの点で類似している。ただこちらはかなり距離と時間が近くて、人間味がかなり出ている。『君の名は希望』と『最後のTight Hug』はプラトニックで詩的。『Monopoly』はプラトニックではあるんだけど、詩的ではない。プラトニックをプラトニックのなかで裏切っていく点は、意識が純文学的かもしれない。とすると、歌詞とMVで対決していることになります。

「いつの日にか、あの歌を…」

島:次は5期生楽曲。センターは小川彩さん。
OLE:うーん。
楠木:歌詞が……。
横森:やってること全部ズレてる。
OLE:映像は良いよね。アイデアがあるよ。
楠木:少女の視点を借りて乃木坂の楽曲群に価値を見つけるということは、秋元康自身、自分に価値を付けていくことになるので、自分のつくった作品と自分を完全に切り離すことができていないと、こういう歌詞は書けません。本人にはフローベールの自覚があるんだろうけど、ただどうしてもナルシシズムを感じますね。ナルシストって、自分がナルシストであることに無自覚だから(笑)。作詞家が少女に語りかけるような、啓蒙を避けたのはナルシストであることを避けたいからだと思うんだけど、むしろそこにナルシシズムを見ちゃう。これなら『青春と気づかないまま』をそのまま再現した方が良い。
横森:歌詞と同じくらいダンスもおかしい。バレエはやめたほうがいい。
楠木:バレエは演技を鍛えるけどね。バレエ一辺倒で辟易するけれど、岡本姫奈も演技に可能性をもってる。
横森:バレエというかダンス全般の話だよね、それは。
楠木:そうだけど、バレエが一番だよ。身体のしなやかさという意味では。
島:センターはどうですか。僕は破格だと思うんですが。
横森:もう5期だけじゃなくてアイドルシーン全体でダントツでしょ、この子。
OLE:うん。齋藤飛鳥や生田絵梨花より上なのかどうか、考えるような、そういう水準。

「思い出が止まらなくなる」

島:最後、アンダー楽曲。
OLE:ずいぶんチープな映像だな。
横森:楽曲と歌声がミスマッチしてる。生田絵梨花と同じ問題を抱えてるね、中西アルノ。
島:こういうのを王道アイドルソングって言うんですか。
OLE:王道なのかな?真っ当ではあるよね。メロディもイメージも。
楠木:ファンにしても、作り手にしても、また中西アルノ本人にしても、なんか、アイドルになることが真人間になることだというような、そんな気配がしますね(笑)。
OLE:真人間が評価される時代だから、仕方ないよそれは。
楠木:真人間に本音として引かれます?
島:引かれませんね。
横森:それなのにアイドルには求めるんだよね。
OLE:ああ、なるほど。矛盾してるね(笑)。
楠木:アイドルを通して本音を隠すのか、あるいは、さらけ出すのか。といった話題以前の問題で、アイドルに変身する、イコール、まともな人間になる、なんですよね、中西アルノのテーマって。もちろん本性を隠してはいるんだろうけど、隠したままアイドルに浄化されちゃったらつまんないですよ。中西アルノの魅力ってデッド・キャット・バウンスにあると思っているので。
島:でも西野七瀬はそれで成功していますよね。
横森:中西アルノはコンセプチュアル・アートだから、西野七瀬とは土台が違うよ。
楠木:結局、アートをやるとなると、演技とかダンスとか歌にしても、真っ当というのは足を引っ張ると思うんだ。自己表現というのは、虚構性のことだから。


2023/12/08  楠木かなえ