乃木坂46 中村麗乃 評判記

乃木坂46

中村麗乃 (C)アップトゥボーイ(UTB) 2018

「木から落ちる木の葉のように」

中村麗乃、平成13年生、乃木坂46の第三期生。
ルックス、スタイル、ダンススキルと高水準に保たれ、「共闘」を損ねない「闘争」の発露もあり、アイドルとしての憧憬が描きやすい人物である。衣装をまといカメラを見つめるその姿はまるで未開封のフィギュアのように清潔でキュートであり、乃木坂46の編み上げるイメージと合致している。アイドルが動き出すと、俯くと、そのキュートな表情が、途端に、メランコリックな「美」へと転換する。小刻みに揺れながら感情を情景化する射程の長い「踊り」を作る少女で、ステージの上においては日常の戯けた仕草からは想像できない寂寞さ、ある種の疎外感を投げつける。心に迫る”なにか”が、得体の知れない希求がある。俯きによって作られた細い眼が、顔をあげると力強く発光し、観者に幻想の投影を強いるのは、その”なにか”の働きかけなのかもしれない。
「胎動」の観点から見れば、この先、経験を積み、多くの楽曲を演じる中で豊かな表現力を手にすれば、欅坂46平手友梨奈が立つ場所=演劇と舞踏をすり替える舞台で、大衆から天才と称賛されるそのアイドルに真正面から対抗できる、肉迫しうる稀有な存在になるのではないか、抑えきれず、妄執してしまう。緊張の糸が切れた際にみせる無防備な立ち居振る舞いによって誘引する無理解や、期待通りに結実しないポテンシャルというカタルシスを内在する点に、同グループに所属する佐々木琴子の横顔を想起させもする。まさしく逸材である。

AKB48から連なるグループアイドルの物語においてその主流となった乃木坂46の黄金期に収穫された第3期生には、寵児の与田祐希、前田敦子や生田絵梨花の系譜に与する山下美月、未曾有な底知れない魅力を湛える久保史緒里、稀少獣の大園桃子と錚々たるアイドルが名を連ねる。まさに”精鋭”揃いであり、ハーベストムーンと呼ぶに相応しい世代である。
公開オーディション時、彼女たちのプロフィールがはじめて伝えられた瞬間、グループのファンにもっとも注目されたのが中村麗乃、このひとなのだが、彼女の現在を眺めるに、境遇が作る隘路の両壁で身体を擦って行くような、乃木坂46が標榜するアイデンティティの探求、ではなく、アイデンティティの減衰を描いているように見える。だが、中村麗乃に特筆を見出すとすれば、そうした悲観がアイドルのもっとも強い魅力・希求となる「儚さ」へと塗り替えられるのではないか、という期待感にある、と云えるだろうか。期待感、つまり一種の憧憬の確信こそ中村麗乃というアイドルのアイデンティティである、と。

ある偉大なヨーロッパの細密画の名人ともう一人の細密画の名人がヨーロッパの野を歩いていて、名人芸と芸術について話しています。目の前に森が現れます。より偉い方がもう一人に向かって言ったそうです、「新しい技法によって描くには技術が必要だ。この森にある一本の木を描いたら、その絵を見た人はそこに行ってその木を見つけることができる」と。わたしは皆さんが粗末だとご覧になった木の絵です。そのような才能によって描かれたのではないことを神に感謝します。ヨーロッパの技法で描かれたら、わたしを本物の木だと思ったイスタンブルの中の全ての犬が、わたしにおしっこをかけると心配しているのではありません。わたしは一本の木ではありたくないのです。木の意味でありたいのです。

オルハン・パムク「わたしの名は紅」

”一本の木ではありたくないのです。木の意味でありたい”、このようなモノローグ、対立命題は、何度目の青空か?二人セゾン、発表以降の作詞家・秋元康が作る詩的世界のよすがになっている。期待していない自分暗闇などが記憶にあたらしいが、氏の作る架空の世界が”新しい技法”への傾倒ではなく、フードを被るようにクリシェで視界を遮りながら語彙の再登場を繰り返し、通史の維持を試み、それが俗悪さという個性になり、原稿用紙の上で踊り演じるアイドルのアイデンティティにすり替えられていく遠景は、『わたしの名は紅』に記された細密画師の物語に見事に迎え撃たれている。
トルコの細密画師は、見本とする「絵」と同じ挿絵を生涯にかけて繰り返し描く。彼らは、己の眼を針で刺し、潰す。盲目になり、暗闇に包まれても「絵」は、描ける。その閾に到達してはじめて、写本の中に見本の「絵」には無い、他の絵師とはちがう、「個性」が発現する。
このような、喪失によって成熟を獲得するというストーリー展開は、アイドル(女優)に通じるものがあるのではないか。新しい手法=「役」の構築ではなく、虚構の中で自身の日常をそのまま、あるがままに、おもうままに再現する。生身の日常を千切ってキャンバスに投げ付けて行く。「喪失」の繰り返しによってのみ、行くあてがないと絶望する虚構の中に本物の「美」が発現する。それは”才能によって描かれた”「美」=アイドル(女優)などではない。物語ることで、大切な”なにか”がひとつずつ、木から落ちる木の葉のようにひらひらと損なわれていく「美」だ。アイドル(女優)本来のうつくしさとは、木の葉が空中を漂うときの舞姿、儚さにある。それを手にれたアイドル(女優)は一本の木ではなく、木の意味となる。
中村麗乃というアイドルには、この”奇跡”の復活、アイドル=女優という概念の再来を妄執させる切迫がある。観者に憧憬を描かせる佇まいこそ、アイドルの強い存在理由であり、中村麗乃は「一個」の表情だけで濃密な物語性を獲得するであろう遠景を持つ。俯いたときの彼女の表情には静かな怒りと可憐な透明感を結実させた”こわれやすさ”がたしかにある。それは、これまでのグループアイドルからは容易にのぞき見ることができなかった一回性を孕んだ儚さ、神秘に映る。

 

総合評価 71点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 17点 ライブ表現 16点

演劇表現 15点 バラエティ 13点

情動感染 10点

乃木坂46 活動期間 2016年~

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